第二百九十話 懐郷の中の暴食
「そういえば、元の姿に戻っているな」
「ん?」
暴食の腹の中の異世界を探索中の俺たち。自分の生まれ故郷を写し出した心象風景の世界で一番近くにある反応を目指して進んでいた。
「ああ。そういえばそうだな」
ここに来る前に纏っていた影の黒装束がなくなっている。フラウの姿も元の衣裳のままだ。
「……だが、影を纏えてはいるようだ。能力もここに来る直前の状態のままだな」
つまり、目に見えていないだけできちんと効果は発揮してくれているということだ。
「ふむ。今の自分のパーソナルデータの姿を表現しているだけで能力自体は変わらないか。まあ、その方が助かるな」
「……ずいぶん抽象的な世界なんだな」
「半精神世界のようなものなのかもな。だからこそ物理的容量が存在せず、暴食は無限にモノを食べられるのかもしれない」
「なるほど」
食べたものを情報エネルギーに変換して、こちらの世界に送還しているといったところか。
というか、女王はやたらと難しいことを知っているな。やはり数百年を生きる吸血鬼なだけあるということか。
「……と、この辺りのはずだが」
その後もしばらく歩き、魔力の反応があった辺りに着く。
「ん?」
そこで、何やらガサゴソと動くものを視界の端で捉える。
あれは……。
「ん? おお! 影人殿! そなたらも来たのか!」
「殿様っ!」
そこにいたのは殿様だった。
こちらに気が付き、駆け寄ってくる。
「あなたもこちらに来ていたのですね」
どうやら殿様もこの世界に来ていたようだ。無傷なところを見るに、彼も暴食にまるごと喰われたようだ。
「……ふむ。メンツ的にわざと喰われたのですかな?」
殿様は俺と女王とフラウというラインナップを見てすぐにそう結論付けた。
「ええ。ということは殿様もですか?」
「……いや、ワシは喰われてから、気付いたらここにいましてな」
殿様は気恥ずかしそうに頬をかいた。
ここに来てから暴食の中が異界に続いていることを理解したということか。
「……それより、そなたは何かを探していたようだが?」
「ん?」
女王が話を切り替え、殿様の行動に言及する。
「ああ。これは夜想国の女王陛下。神樹ではろくに挨拶もできず」
殿様は女王を見ると仰々しく挨拶してみせた。
「今はよい。それよりもそなたは何を探していた?」
女王はそれを取りなし、本題に入りたいようだった。
国をまとめる者同士ではあるが、どうやら格は女王の方が上らしい。まあ、年齢や国としての年数からしてもそうなるのか。
「おお。これは失礼した。
じつは、食糧となるものを探しておりましてな」
「……食糧?」
たしかに長期間この世界に滞在するなら必要となるのだろうが。殿様はそんなに長い期間ここにいるのだろうか。
「ですが食糧庫に行っても、その辺りの民家に入ってみても、家財道具は一通りあるのに食べるものだけは見つからなくてですな」
殿様が困ったように頭をかく。
殿様にはワコクの光景が広がっているのだろうか。
だが、食糧だけがないというのはどういうことだろうか。
「……ふむ。周りをチョロチョロしているそなた以外の反応はワコク兵か」
女王が周囲を見回しながら呟く。
どうやら感知能力をいっぱいに拡げたようだ。
「いかにも。ワシと同じようにここに来た者どもが幾人かいましたので、その者たちにも探させております」
「そんなにまでして食糧を探すというのは長期戦を見据えてということですか?」
たしかに長丁場になるなら必要だが、そこまでするだろうか。
「……いや、ワシらというよりは……」
「?」
殿様はそこで表情を曇らせた。
「ふむ。何やら事情がありそうだな。我らも手伝うとするか」
「そうだな。事情は探しながら聞こう」
「はいです!」
「助かります。試しに適当な民家を見てみると良いでしょう。鍵はなぜかかかっておりませんので」
殿様に言われ、俺たちはすぐ近くにあった住宅に入ることにした。俺には前の世界の普通の一軒家に見えるが、フラウたちにはまた違う民家に見えているのだろう。
「ああ。中に入ると互いを認識できなくなるのでご注意を。外に出ればまたお互いを見ることができますゆえ」
「なるほど」
室内の造りや階層も違うだろうから、たとえばフラウが平屋だと思っている建物で、俺からしたら2階建ての家に一緒に入って俺が2階に移動したらフラウに俺はどう見えるのかと思ったが、建物に入った瞬間にそれぞれの心象風景に切り替わるというわけか。
「じゃあ、同じ家に入ればいいか。あくまで確認だからな」
「うむ。じゃあ、お先に」
女王はそう言うとさっさと入っていった。さすがに不老不死の吸血鬼は肝が据わっている。
女王が玄関の扉から中に入ると、扉が閉じた瞬間に女王の気配が酷く希薄になる。俺の認識している世界から遠ざかったのだろう。
「じゃあ、俺も見てみるか。フラウはここで殿様と待っていてもいいぞ」
「いえ、私も行くです!」
万一に備えてフラウには待機していてもいいと言ったが、本人は行く気満々だった。まあ、べつに危険はないだろうから問題ないか。
「よし。じゃあ、くれぐれも気をつけてな。一通り探したら出てきてくれ」
「はいです!」
「よし……」
フラウの返事を聞いてから民家の入口へ。
一般的な一軒家。洋風の造り。2階建て。外から見える窓の中も普通の民家だ。人の気配はない。
玄関の扉を開く。
玄関。靴を脱ぐ部分がある。靴はない。申し訳ないが土足のまま失礼する。
「!」
玄関の扉が閉まるとフラウと殿様がいる所と世界の繋がりが薄くなるのを感じた。
より、前の世界に戻ってきたような感覚になる。
「……お邪魔します」
ポツリと呟いて家に上がるがそれに応える者は当然いない。
「……ふむ」
木目調のフローリング。すぐ右手に2階への階段。正面は、リビングか。廊下右手、階段下に収納扉。左手には襖。窓から和室が見えていたな。
「……まずはキッチンを見てみるか」
ひとつひとつを確認するのも面倒だ。
殿様も自分の目で確認させたかっただけだろうから一番食糧のありそうなキッチンを確認したら出よう。
俺はそのまま真っ直ぐ進み、リビングに入った。
「……まあ、普通の家はこんなもんだよな」
それなりの広さのリビングにはソファーやテーブルが置かれ、テレビや本棚もあった。エアコンもついている。ウチはあまり普通の家ではなかったが、子供の頃にクラスメートの家に行ったときはこんな感じだった。というより、ほぼほぼそれと同じだ。
「なるほど。やはり俺の記憶をトレースしているのか」
この街はやはり俺の地元の街を再現しているようだ。もしかしたら他の民家に入ってもここと同じ構造なのかもな。さすがに住んでいた街の民家の内部構造をすべて把握していたわけじゃないからな。
「……電気は、まあつかないか」
リビングの入口にある電灯のスイッチをカチカチと押すがやはりライトはつかない。
「キッチンは……そっちか」
リビングを一通り確認したらキッチンへ。
そういや、俺が昔に行った家はカウンターキッチンとかではなくてリビングから奥まったところにあるタイプだったな。
そうしてキッチンへ。
シンクにガスタイプのコンロ。
「水も、出ないと」
シンクの蛇口をひねるが、やはり水も出ない。
「冷蔵庫もあるにはあるが……空だな」
大きな冷蔵庫には何も入っていなかった。そもそも電気が通っていないから冷えてもいない。
「……ちょっと失礼して、と」
俺は冷蔵庫の横の棚を開けたが、そこにも何もない。シンク周辺の戸棚もすべて確認するが、食器類はあるのに肝心の水と食べ物だけがどこにも存在していなかった。
「……ふむ」
これは意図的にそれだけを再現していないということか。相手は暴食だ。まあ、紐付けして考えることはできるが。
何か意味があるのか。ただのシンボリックな仕掛けなのか。
「……分からないな。とりあえず殿様から食糧を探す理由を聞くか」
俺は特にこれ以上調べる必要もないかと断じて家を出ることにした。
キッチンをあとにして再びリビングに出る。
「……う、あ」
「おわっ!!」
リビングに出ると、さっきまでは誰もいなかったはずのソファーの上に何者かが座っていることに気付いた。
「……っ」
俺は急いで刀を抜こうとしたが、さっきまで腰に差さっていた黒影刀がなくなっていることに気付いた。
家に入った瞬間に消えたのだろうか。まったく気が付かなかった。殿様やフラウといったあの世界との繋がりが薄くなったことで黒影刀も再現されなくなったのか?
「……」
いずれにせよ状況は良くない。
さっきから魔力も闇の力もあまりうまく扱えなくなっている。
前の世界に入り込みすぎて俺自身が力を認識できなくなっているのか。
「……あー……」
ソファーに座っているそれがこちらを向く。
「……くっ。暴食……」
やはりと言うべきか。そこにいたのは暴食だった。
……いや、少し違うか。あちらの世界で見た奴より少し小さい。そして、さらに細く、やつれている。今にも倒れてしまいそうだ。
「……食べるものは、ないよ」
「!」
喋った。
普通の子供のような声。
そこに、攻撃性や敵意は感じない。
「……これは、イリスからのお仕置きだからね」
「……イリス、だと?」
暴食はそう言うと、膝を抱えて俯いたのだった。




