第二百八十九話 暴食の腹の中の懐かしき風景
「……その能力、闇の帝王の称号を得たか」
「……ン?」
「……いや。そろそろ行くぞ」
「はいです!」
女王はこちらをチラリと見たあと、すぐに視線を暴食に戻した。ヤツは再び食らうものを探してウロウロしていた。どうやら動くものを捕食するという本能で動いているようだ。
「……フラウ。本当ニ行クノカ?」
失敗すれば体の一部をえぐり取られて、激痛の中で死んでいくことになるというのに。
「もちろんです! ミツキお姉ちゃんを助けるです!」
フラウは鼻息荒くそう言ってのけた。
フラウにとってミツキはもう一人の姉のような存在なのだろう。
「……そんなに心配ならば、せいぜい守ってやるんだな」
「……アア」
女王に言われ、俺は指をパチンと鳴らした。
「え!? わっ、わっ!」
フラウの足元の影が動き、フラウを包み込むように影が昇る。そしてそれはすぐにフラウの全身を纏う黒装束になった。
首から上はそのままだが、見えないほどに微細な影が顔全体を覆っている。
「コレデヤツノ攻撃ニモ少シハ耐エラレルダロウ。トハイエ直撃スレバアウトダ。クレグレモ気ヲ付ケテクレ」
「あ、ありがとう、ございますです」
フラウはくるくると回って自分の姿を確かめていた。俺のはツナギのような簡素な黒装束だがフラウのは一応、女の子向けにリボンなんかもあしらってみた。
「……ふふ」
なんだか少し嬉しそうだし、まあ及第点だろう。
「……ノアと魔王は我々がヤツの中に入ったあとの足止めを。セリアはヤツに直接関わらない部分での損壊の回避を頼む。あまり自然を壊されても困るからな。だが極力、無理はしないように」
「わかったのだ!」
「はいはい」
「承知しました」
残る3人に指示を出すと女王は魔人の鎌を出現させた。
「よし。いくぞ」
女王はそう言って思い切り鎌を振り上げた。
「はっ!」
そして、それを勢いよく振り下ろすと紅い斬撃が放たれて暴食に向かって飛んだ。
『ウー?』
木々を切り裂いて現れた斬撃に暴食は目を輝かせる。
『アーーッ!!』
そして、向かってくる攻撃に自ら飛び込んでいった。
「ヤツの射程は口の前方5メートル程度の球状だ。ヤツの前に飛び出したらその射程内に入るように調整しながら喰われる」
「アア」
「はいです!」
「よし、いくぞ」
女王は一度こくりと頷くと、バッ! と一気に飛び出した。俺とフラウもそれに続く。
『……ッグ!!』
暴食が女王が放った斬撃をひと呑みにする。物体だけでなく魔法や斬撃なんかも喰えるのか。まあ、喰っているわけではなく転送なわけだから当然か。
『ン~』
暴食はモグモグと口を動かす。異空間へと飛ばしているのなら咀嚼に意味はないはずだが、モノを食べたという事実で満足するのだろうか。
「もう一発!」
女王は暴食に向かって飛びながら再び鎌を振るった。紅い斬撃が暴食目掛けて飛ぶ。
「影人。我らを連れて【影追い】を使えるか?」
【影追い】は影を通って任意の影から現れる移動・奇襲用スキルだ。事前に出現先の影を登録したり、そうでない場合はその影と繋がっている必要があるなど、いろいろと条件があるが、
「問題ナイ。俺ノ影ガ及ンデイル範囲内ナラバ何人デモドコニデモ移動デキル」
今の状態の俺ならば吸収した影を広げた範囲内ならば自由に影を移動できる。周囲の影を吸収した結果、俺の影はこの辺り一帯に広がっていた。
「よし。ならばそれが一番手っ取り早いだろう。次の斬撃に合わせてヤツの射程範囲内に移動してくれ」
「ワカッタ」
「ひゃっ!」
俺はフラウを小脇に抱えた。
「ご、ご主人様! ちょ、ちょっと~!」
「フラウ。影カラ出タラ少シ跳ブ。コノママ行クゾ」
「……おまえ、さすがにその持ち方はないだろう」
「ン?」
フラウの腹あたりを持って手足がぶらんとするように持っていたら女王になぜか怒られた。
「……むー」
フラウもなぜか不機嫌なようだ。
「……コ、コレデイイカ?」
俺は持ち方を変え、いわゆるお姫様だっこの状態でフラウを抱えた。
「……こ、これはこれで」
「ン? ヤハリ嫌カ?」
「あ、いや、そういうわけではなくて……えと、このままで、大丈夫、です」
「ソウカ」
正直、両手が塞がるからさっきの持ち方の方がいいのだが、フラウ本人がいいのならいいだろう。
「……やれやれ。じゃあやるぞ。準備しておけ」
「アア」
女王が再び暴食に斬撃を放つ。それに合わせるように俺は足元の影を歪めた。
出現位置の座標を合わせる。暴食の3メートルほど手前。ヤツの捕食時に斬撃と被らないように注意しなければ。先の斬撃でタイミングは図れた。
『アー!』
先ほどの斬撃を喰い終えた暴食は再び現れた斬撃に喜んでいるようだった。食べられば何でもいいのだろうか。
斬撃の速度と暴食の飛び付く速度。それを見極めてタイミングを合わせる。
「……イクゾ」
俺たちは【影追い】で影に沈んだ。
空間法則によって影の中にいるのは一瞬。ほとんど影に沈んだ瞬間にはあちら側から出ている感覚だ。
「……よし」
すぐに影から頭が出る。位置を確認すると予定通り、斬撃の少し手前に出る。が、そこで少し待機。斬撃が通り過ぎてからそれを追う形で出る。すでに【影追い】は終了しているが、今は【影潜り】で影の中に潜んでいる状態だ。
『アー!』
「……」
嬉しそうに斬撃に向かう小さな痩せ細った子供。これが暴食。
着ているものもぼろぼろの布切れ。頬はやつれ、手足は骨に皮を張り付けたような状態。
見ていると、憐れな気持ちになってくる。
食べても食べても自分の血肉にはならない。それでも止まることのない食欲という欲求。
なんだか、今までのどの原罪龍よりも憐れな存在だ。
頭の上を斬撃が通過する。
その陰に隠れるように地面から飛び出す。斬撃の後ろにピタリと張り付くような状態。女王もフラウもちゃんと位置取りしている。
「……」
憐れ、とは思うが、みすみすヤツにこの世界を喰わせるわけにはいかない。いっそ、早く楽にしてやろうというのは、エゴだろうか。
なんにせよ、ヤツにはさっさとご退場願うとしよう。
『アーー、ッグ!!』
そして、俺たちは暴食に喰われた。
「……う」
「気が付いたか」
「……女王。ここ、は?」
どうやら意識を失っていたようだ。
ぼんやりする頭を覚醒させて体を起こす。
「……ど、どういうことだ」
辺りを見回すと、前の世界の住宅街が広がっていた。一軒家が立ち並ぶ、閑静な住宅街だ。
「……しかも、あれは」
そして、その住宅街の先。小さな山のてっぺんには、大きな屋敷。あれは、
「……俺の、家だ」
俺が生まれ、そしてこちらの世界に来るまで住んでいた家。俺たちの家の総本山であり、当主である親父の所有する山。
「……いったい、どういうことだ」
俺は、結局また死んでしまったのか?
「……そうか。おまえには、そう見えるのか」
「え?」
隣を見ると、女王がどこか懐かしげに目を細めていた。
「……我には、我とスカーレットが生まれた故郷に見える」
「……心象風景を投射してるのか」
「みたいだな」
どうやら、この空間はそれぞれの生まれ故郷が見えるようになっているようだ。どういう仕組みかは分からないが、やはり完全な異空間ということなのだろう。
「……フラウ?」
そういえばフラウを抱えていないことに気付き、隣を見ると、フラウが地面に膝をついて目の前の光景を涙を流しながら見つめていた。
「……パパ。ママ」
「……」
そうか。フラウの生まれ故郷は魔族によって滅ぼされた。目の前に映るのは今はなき郷愁の里、か。
「フラウ」
女王がそんなフラウの肩に手をかける。
「我の故郷もとうの昔に滅びた。これはもはや過去の思い出にすぎない」
「……」
数百年を生きる女王の生まれ故郷ならばなくなっていても不思議ではない。
「忘れる必要はない。だが、我らにはすでに第二の故郷とも言うべき大事な居場所があるはずだ」
「……あ」
フラウがいまだ涙の渇かない瞳でこちらを振り返る。
女王にとっては自らの国がそうなのだろう。フラウにとっては……。
「過去の大事な者たちのことはたまに思い出してやれ。それだけで彼らは満足だろう。まだ若く、そして生きているフラウは今いる居場所を大事にして生きていくのだ」
「……はい、です」
フラウは涙をぬぐって立ち上がった。
どうやら無事に立ち直ったようだ。過去の美しい思い出は足を止めるには十分すぎるほど魅力的だ。
だが、俺たちにそんなことをしている時間はない。
「……!」
フラウが俺の手を握る。小さいが、太陽のように温かい手。
「ご主人様。行きましょう!」
「……ああ!」
「……ふ」
そうして俺たちは走り出した。
「……見えている風景は違うが、向かう場所は分かるな?」
「ああ」
「はいです!」
3人ともが、口に出さなくとも同じ方向に向かっている。
俺にとっては山の頂上。つまり、自分の家だ。きっと2人もそうなのだろう。
「ミツキの魔力と、大きな何かがあそこにある」
「……道中、他にもいろいろあるな。少し見ていこう」
「ああ」
俺たちはまず、一番近い反応がある場所に向かうことにした。