第二百八十四話 傲慢の戯れ
『……ア?』
「やったか!」
桜の『世界の扉』によって色欲の背後から現れた女王の鎌が、色欲の瞳に宿る紫色の炎を切り裂く。
「……浅い」
「え?」
女王の呟きがここまで届く。
『アハ……アハハははハハハっ!!』
どうやら鎌は完全に炎を切り裂くことは出来なかったようで、再び勢いよく燃え上がった紫色の瞳の炎に応えるように色欲は楽しげに笑った。
「……でも」
「?」
その様子を見ながら、女王はふっと笑みを浮かべる。
「まだ終わりではない」
そのとき、色欲の目の前に扉が現れ、開かれたそこからフラウが2本の鎌を携えて現れた。
「フラウっ!」
いつの間に。
「はいですっ!」
「うむ」
フラウは2本の鎌のうちの1本を女王に投げ渡す。2人が持つ鎌は白く光り輝いていた。
「魔人の短剣、モード鎌。聖剣状態なのです!」
そう言って2人は前後から色欲に向かって鎌を振り上げる。
魔人の短剣の能力は他の魔人武器との同期、及びフラウの場合は聖剣化の付与。
つまりあれは二振りの聖剣化された魔人の鎌ってことだ。
「いくのです!」
「今度こそ、死ねっ!」
『……アー?』
そして、2本の鎌が色欲の瞳の紫の炎を挟むようにして切り裂いた。
「いったか!?」
『……ア』
切り裂かれた炎が完全に消える。
そこには前に見た色欲の瞳があった。
どうやら魔人の鎌は物理ではなく完全に精神体のみに攻撃を加えるようだ。
『……』
そして、嫉妬の象徴を失った色欲は力なく地面に落ちていった。
「……嫉妬は、消えたのか?」
「そうですね。この反応。原罪龍の数が減ったようです。
残りは色欲と怠惰」
天竜はどうやら原罪龍の反応を探れるようだ。天竜の持つ万有スキルだろうか。
「残りは色欲と怠惰か。それは、どうなるんだ?」
「……様子を見ましょう」
2体とも傲慢に誘導されて無理やり戦っていたようだが、それはまだ有効なのか?
「……う」
やがて、地面に落ちた色欲が体を起こす。うつ伏せの状態から手足をついたまま四つん這いの体勢になる。
だが、声は念話ではなく、色欲の声だった。
実体のない嫉妬が消えたからだろうか。
「……あ。待って」
「ん?」
色欲は地面に手足をついたまま、何かを必死に抑えているようだった。
「いま、あなたが出てきたら、ダメよ!」
まるで内側から溢れる何かを懸命に押さえつけるかのように色欲は抗っていた。
「……くっ。この力、怠惰じゃ、ない!?」
「……なに?」
色欲はいったい何と戦っているのか。
「……うそ」
「天竜?」
隣にいる天竜が驚いたような表情をしていた。
「……まさか、魂魄分離? そんなことも出来ると言うのですか?」
「……どうしたんだ?」
天竜は色欲を凝視したまま動かなかった。
いったい、何が起こっている?
「……ぐ、あ、あああああっ!!」
やがて、色欲の身体が少しずつ膨らんでいく。
「ダメ! 出てこないで! 自分を取り戻すのよ! 怠惰!!」
『……黙れ』
「!?」
色欲の中から聞こえた声は、怠惰のものでも嫉妬のものでもなかった。
「……あ」
そして、色欲の身体は一瞬だけ小さく縮むと、
「ああああああああっ!!!』
一気に膨れ上がっていった。
「お、おい! もしかしてあれ、怠惰の姿になるのか!?」
それはドラゴンの姿になっているようだった。
女性的で柔らかくしなやかな色欲の肉体は頑強な鱗に覆われたドラゴンへと変貌していく。
『オオオオオオオオッ!!!』
それはもはや何者でもない、ドラゴンの咆哮だった。
そして、その巨大化はとどまる様子を見せない。周りの家屋を巻き込んで破壊し、それでもなおまだ大きくなっていく。
「……こ、これってマズいんじゃないか?
もしかして、あの怠惰と同じ大きさになるんじゃ……」
夜想国に匹敵するほどの大きさの怠惰。
こんなところでその大きさになられたら、この国は更地になってしまう。
「私が何とかしましょう』
「天竜!」
どんどん巨大化していくドラゴンに、天竜は同じように竜化しながら向かっていった。
だが、その大きさは先ほどよりも小さく、横に並ぶ家と同じぐらいの大きさだった。
天竜がドラゴンのもとに着いた頃には、竜化した天竜の数倍の大きさになっていた。そして、それはまだまだ止まらない。
『……ここでは、周りに被害が出過ぎますね……よ、っと』
「……おいおい」
天竜はそう言うと、巨大化していくドラゴンをひょいと持ち上げた。
天竜よりも十倍近く大きくなっているのだが。
『よっ、こいしょ!』
「投げたっ!?」
そして、天竜は自分よりも何倍も大きなドラゴンを空へとぶん投げた。
『あ、お三方。危ないので地上に避難しといてくださいねー』
天竜からの忠告を聞いた桜たちは慌てて『世界の扉』で俺のもとに合流する。
『……では、今度こそ』
桜たちの避難を確認した天竜は空中でなおも巨大化していくドラゴンに向けて照準を定めるように口を向けた。
そしてその口に、強力な魔力を大量に充填していく。
「そうか。思念体の嫉妬が消えたことで、もうあれは実体でしかない」
そして、怠惰や色欲ならば一撃で葬れると言っていた。
『天竜の咆哮!』
「うわっ!」
そして、天竜の口から強烈な光の奔流が放たれた。
それは一瞬でドラゴンまで到達すると、その体のすべてを包み込んで直進した。
そして、その光が収まる頃には、
「……消えた、か」
巨大化していたドラゴンは跡形もなく消滅していた。
「やったです!」
「さすが天竜ね」
「ふっ。良いところを取られたな」
フラウたちも勝利を確信して喜ぶ。
ミツキに介抱されていたセリアもほっとした顔をしている。
どうやら原罪龍は完全に消えた……、
『……出てきなさい』
「え?」
と思っていたら、天竜だけは空を見上げて険しい顔をしていた。
『……やれやれ。使えない奴らですね』
「なんだ? 何もない空からの声?」
この声は、さっき色欲の中から聞こえた声だ。
やがて、その声がした空に小さなひとつの光が現れる。
それは小さな小さな白い光で、だが、強烈な存在感を放っていた。神々しささえ感じる光。
『……傲慢』
「え?」
『ふふふ。さすがはアカシャ神の最初の創造物のひとつですね』
天竜の言葉に光の粒が応える。
あれが、傲慢?
原罪龍の中で最も強く、天界に封印されているはずの?
『まあ、これは私のほんのひと欠片。鱗のひとつのようなものですけどね』
「……」
傲慢は俺の心の中の声に応えた。どうやらこいつもルルたち同様、人の思考が読めるようだ。
『色欲たちを融合したのも、最後に怠惰の肉体を暴走させたのも、すべてあなたの仕業ですね?』
『ふふふ。いや、まさかアカシャ神がここまで相性を合わせた配置をしてくるとは思わなくてですね。さすがに、いささか分が悪いかなと。
それならば物語を盛り上げるために、私も少し参加してみようかと思ったのですよ』
この世界は神の采配によって原罪龍に対して相性の良い者が対応できるように国や種族が置かれていた。
そのおかげもあって色欲、強欲、嫉妬なんかは簡単に倒せる予定だったのだ。
それを傲慢ただ一人にかき回された。まさかここまで苦戦を強いられるとは。
奴は、まるでゲームを楽しんでいるかのようだった。
奴からしたら、ほんの戯れでしかなかったのだろう。
『ですが、こちらの手駒が弱すぎましたね。
まあ、お遊びはこのぐらいにしましょう。そろそろ私の本体も出てくるでしょうから、そちらと合流することにしましょう』
それは、傲慢本体の封印がまもなく解かれるということか。
鱗1枚分の欠片だけで原罪龍をここまで操作するほどの実力。奴本体はいったいどれほどの……。
『……残りの原罪龍はいいのですか?』
『ん?』
消え去りそうな傲慢に天竜が尋ねる。これ以上の手出しはしてほしくないところだが。
『問題ないでしょう。憤怒と暴食は別格。私が手を出すまでもなくうまくやってくれることでしょう』
『……』
小さな光はそれだけ言うと、空の遠い彼方へと消えていった。
『……あ、そうそう。これは今の貴女の攻撃で出た残りカスです。もういらないので好きにしなさい。そのつもりで攻撃したのでしょうしね』
「え?」
空の彼方から傲慢は最後にそれだけ告げて消えた。
少しすると、空から何かが落ちてくるのが分かった。
「……あれは」
それは、一人の女性だった。
「……色欲?」
『……いいえ。あれにはもう原罪龍としての力はありません』
「……天竜」
そういうことなら、
「桜。扉で」
「はいはーい」
もしあの色欲に原罪龍としての力がないのなら、あの高さから落ちて無事ではいられないだろう。
俺は桜に頼んで『世界の扉』で彼女を地上に下ろしてもらった。
すでに力のない存在になっているのなら移動させても桜に負担はないだろう。
そして、俺たちの元に扉を通してゆっくりと地面に色欲が着地した。
意識がないようで、色欲は静かに眠っていた。
「……本当にたいした力もないわ。一般女性を通過させたのと同じだったもの」
「……そうか」
どうやら彼女は本当に原罪龍ではなくなったようだ。
「天竜。どういうことだ?」
「……うまくいくかは分かりませんでしたが」
人の姿に戻った天竜が合流してきたので真意を尋ねた。
「天竜の咆哮は魔法的要素も持つと言ったでしょう? それはつもり、物理的攻撃でありながら攻撃の対象を選べるということでもあったのです。ですから、私はあの砲撃で彼女の生体部分だけを残して消滅させたのです。
さすがに原罪龍の要素を残したままでは彼女を生かしてはおけませんでしたが、何とかなったようですね」
「……あの状況で、そんなことまで」
やはり彼女も相当だな。
だが、色欲自身には戦う意思はなかったわけだしな。それを救い出したいという天竜の気持ちは分からなくもない。
「……色欲は、どうするか」
普通の人間と同レベルにまでなったのだから一人では生きていけないだろう。
「しばらくは私が責任を取って面倒を見ましょう。ある程度教育したら、<ワコク>にでも移り住んでもらえばいいでしょう」
「……そうか。では、よろしく頼む」
異民族を寛大に受け入れるワコクならば心配はないだろう。天竜ならきちんと教育してくれそうだしな。
「……しかし、傲慢か」
これだけの騒ぎをお遊びと談じた原罪龍最強の存在。
俺も、あいつと戦えるだけの力を身に付けなければ。
「……さーて、これで地上の残りはあと1体ね」
「そうか。そうだったな」
傲慢よりも先に、まだ他の原罪龍が残っていたな。
「天竜。今の暴食の状況は?」
「ちょっとお待ちを」
天竜が目を閉じて状況を探る。
戦闘中は世界の動向を探るのをやめていたようだ。
「……封印は、解けていますね」
「やはりか」
では、今ごろノアや殿様たちが迎撃をして……、
「……そんな。ほぼ、全滅している?」
「……なに?」