第二百八十一話 三体融合への対抗措置は……
「くっ……!」
色欲の姿をしたそれが俺の肩に触れようとしている。
本能的にそれはマズいと感じる。なぜだか、コイツに触れられてはならないと魂が言っている気がした。
「……ハァッ!」
『……ア』
俺は体をねじって何とか色欲の手を刀で弾いた。すぐにその場から退く。
「……っ」
手応えが、恐ろしく重い。
まるでとてつもなく巨大な岩を、いや、山を叩いたかのような感触。
「ゥアアッ!」
「ちっ!」
色欲から離れたと思ったら、今度は吸血鬼たちが群がってきた。
そいつらを適当に蹴散らしつつ色欲の出方を窺う。
「……!」
そのとき、俺が弾いた吸血鬼の一体が色欲にぶつかった。
「……ァ」
「なっ!」
すると、色欲に触れた吸血鬼は糸が切れた人形のようにその場にくず折れ、たちまちに体が崩壊して消え去ってしまった。
「……これは」
「嫉妬と怠惰の能力の複合ですね」
「……天竜」
俺の隣に人型に戻った天竜が降り立つ。
「ご主人様!」
「影人様」
「フラウ。セリアも」
天竜の背に乗っていたフラウたちも合流する。
桜とスカーレットは空で様子を窺いながら滞空している。ミツキは俺たちに吸血鬼が近付かないように屋根から狙撃してくれていた。
「天竜。能力の複合というのは?」
「……アレは、いま3体の原罪龍がひとつに融合した状態です。つまり、それぞれの能力を有しながらさらにそれらを合成させた能力をも使える状態と言えるでしょう」
「怠惰のスキルは【怠惰の共有】だったか。嫉妬のスキルというと……」
「触れた者の魔力や生命力を吸い取るスキルですね」
いわば、怠惰のスキルの上位互換か。
「これまでは不老不死の吸血鬼を殺しきることができなかった嫉妬の能力が同系統の能力である怠惰を吸収したことで強化された、と考えるのが妥当でしょう」
「……なるほど」
それはつまり、
「……俺たちでも、ヤツに触れられれば危ないということか」
「……そうなりますね」
厄介なのがより厄介になったわけだ。
これまでは嫉妬のスキルを多少受けても、魔力や生命力が潤沢な俺たちは魔力や生命力を奪われるが死にはしないといった具合だったが、今度は本当にヤツのあらゆる攻撃が俺たちにとっても文字通り即死攻撃となり得るということだ。
「……女王の攻撃は、まだ通用すると思うか?」
「……可能性は、ないわけではないかと」
「……そうか」
確実に仕留められるか分からない状態になったと。
3体融合した状態のヤツらは容姿は色欲のそれだ。だが、瞳は嫉妬の紫色の炎の瞳のまま。
そこを女王の持つ魔人の鎌で攻撃できればダメージを与えられるかもしれない。その可能性はなくなったわけではないようだ。
女王は今の状況を把握しているのだろうか。
おそらくしているのだろう。
嫉妬を倒すために力を溜めると言って消えた女王。それはもうとっくに終わっているはずだ。
にもかかわらず現れないのは様子を窺っているからだろう。
3体融合などというイレギュラーでパワーアップしたヤツらが安易に攻撃を受けるとは思えない。
ヤツらを倒せる可能性がある女王はそのチャンスを窺っているのだろう。
それはつまり、俺たちがそのチャンスを作れということだ。
『おそらく、その考えで間違いないかと』
「!」
隣にいる天竜が念話を送ってきた。
『……そうか。あんたも人の思考を読み取れるのか』
『あの2人ほどではないですが』
女神やルルが出来るように、天竜にもその力があっても不思議ではない。
念話で返してきたのは、会話で色欲に聞かれるのを防ぐためだろう。
『……3体融合なんてして、あいつらに自我はあるのだろうか』
ただでさえ【最期の接吻】の影響でほとんど自我はないようなものなのに。そこにさらに大きな力を取り込んだりして。
『……分かりません。ただ、やられる寸前だった怠惰を吸収するという知恵や機転は健在です。意識はなくとも本能で戦略は練れるのかもしれません』
『……厄介だな』
魔王大戦のときの俺も意識はなくとも戦闘行為はできていたらしいし、戦闘本能でそういった情報の取捨選択は可能ってところか。
『まあでも、ひとまずは女王が攻撃する隙を作るという意味ではやることは変わってないな』
『はい。一度も攻撃を受けずに、触れられることもなく、という前提が加わりますが』
『……難易度がさらに上がったわけだ』
「あ、あの、ご主人様!」
「ん? フラウ?」
天竜と念話で話していると横にいるフラウが入ってきた。
スカーレットが再び【魅了】を展開して吸血鬼たちが大人しくなったために露払いをする必要がなくなったようだ。
色欲自体は桜とミツキがスカーレットの護衛をしながら遠距離攻撃で時間を稼いでくれている。
「……あの、これを、使おうかな、って」
「……それは」
そう言ってフラウが出したのは長さの違う2本の黒い短剣。
魔人の短剣だった。
「魔人の短剣の能力はたしか他の魔人武器のブースト、つまり出力アップだったか」
他の魔人武器と連動し、それと同じ能力を持たせることができる能力。つまり、鎌と連動させれば魔人の鎌3振り分の攻撃になるわけだ。
「は、はいー。それに、実はこれに私の力をのせることもできるってことが分かったです」
「フラウの力?」
光の巫女の力か?
「は、はいー。えっと、こうやって……えいっ!」
「……これは」
フラウが2本の短剣に力を込めると、真っ黒な魔人の短剣がまばゆい光に包まれた。
このすべてを浄化するような輝かしい光は……。
「……聖剣か」
魔人武器が聖剣化したってことか。
「は、はいー。それで、この力は私の手を離れてもしばらく短剣に宿ったままになるです」
そう言ってフラウは魔人の短剣を俺に渡してきた。
俺の手に渡っても、魔人の短剣が放つ輝きはそのままだった。
『……光の巫女の聖剣は原罪龍に対して特効があります』
『……神は、いったいどこまで読んで用意しているんだ』
本来は闇の帝王の専用武器のはずの魔人武器。そのなかのひとつに光の巫女の力を宿す能力を持つものがある。
それはまさに、今この場面でこそ使うべきものだろう。
『神は当時、出来ることはすべてやっておくと言っていました。万が一、闇の帝王が使えなくなっても魔人武器だけは残すようにしていたのでしょう。
それをこうして使うときが来ると考えて』
『……神ってのは、恐ろしい生き物だな』
『人はそれを、崇高と言います』
『……まあいい。利用できるならするだけだ』
ここで神論なんてしていても意味がないからな。
『今の話、女王にも伝わってるよな』
『はい。おそらく』
『フラウ。他の魔人武器と同期させるのにどれぐらいかかる』
『あ、えと、さっき女王様から魔人の鎌と同期させるよう要請が届いたので、もうこれはいつでも魔人の鎌と一緒に撃てるです』
『さすが』
つまり、あとは俺たちが色欲たちに隙を生ませればいいわけだ。
『桜はそこでスカーレットの護衛。ミツキはそこから狙撃。天竜は俺と一緒に色欲の隙を誘う』
『おっけー』
『わかったわ!』
『わかりました』
作戦を伝えると、皆が念話で返事を返す。
『フラウは様子を窺いつつ、女王と連携をとってタイミングを合わせてくれ』
『はいです!』
『あ、あの、私はどうすればっ!』
『!』
姉のセリアが念話で参加してくる。
『あなたは少し休んでてくれ。まださっきの消耗から回復していないだろう』
天竜という存在に影響を及ぼしたんだ。命に別状はなくとも、それなりに消耗はしたはずだ。
現に、あまり顔色がよくない。
『で、でもっ!』
……どうやら自分も何かしたいという思いがあるようだ。
『……わかった。では、吸血鬼たちに攻撃の余波が及ばないように調整しててくれ』
それぐらいなら問題ないだろう。
『わ、わかりました!』
役割を与えられてセリアは嬉しそうにしていた。こういう一所懸命なところは妹のフラウそっくりだな。
『……だが、色欲からの俺と天竜への攻撃には干渉しようとするな。神託の巫女の力は原罪龍には効かなくても俺たちには有効だからな。色欲からの間接的な攻撃が俺たちに及ばないようにすることは出来るかもしれない。
しかし、それはおそらくあなたの容量を容易く超える』
それはつまり、彼女の死を意味する。
『……わ、わかりました』
セリアもそれを理解したようだ。
『……よし。
じゃあ、いくぞ。天竜』
『はい』
そうして、俺と天竜は色欲に向かって跳んだ。