第二百七十五話 嫉妬と色欲
「……っと」
「うわ~」
「これはヒドいわね……」
桜とミツキとともに吸血鬼の夜想国に転移してきたのだが、目の前には吸血鬼たちの悲惨な肉片がそこら中に散らばっていた。
そのどれもが本体への帰還を求めてうねうねと蠢いているのが気持ち悪さを増幅させている。
「……このあたりではもう戦闘が行われていないようだな」
あたりを見回すと街はしんと静まり返っていて、散らばる肉片や血がなければ騒ぎが起こっていることさえ分からないほどだ。
「……ねえ。なんか変よ」
「ん?」
しばらく街を見回していると、桜が異変に気が付く。
「吸血鬼たちはこれだけバラバラになるほどやられてるのに、街には傷ひとつついてないわ」
「……言われてみれば、たしかに」
桜に言われて改めて街を見てみると、建物どころか足元の石畳にも何のキズもない。
さっき、肉片がなければ騒ぎが起きていることさえ分からないと思ったのはそのためか。
原罪龍との戦いがあったにしては街が綺麗すぎるのだ。
「……あっちで、かすかに争う音が聴こえるわ」
エルフ化したミツキが耳をピクピクと動かしながら呟く。
どうやらエルフ化すると聴力も上がるらしい。
「……あっちは女王の城の方だ」
「いきましょう」
そうして俺たちは地面に散らばる吸血鬼たちの欠片を踏まないように注意しながら、女王がいるであろう城まで急いだのだった。
「……はぁはぁ」
「……グレイグ大丈夫か?」
「は、はい。まだ、いけます……」
「……」
グレイグは地面に刺した剣を支えに立っているが、限界が近いであろうことは女王からすれば一目瞭然だった。
「し、しかし、まさかこんなことになるとは……」
「……嫉妬だけなら、私の魔人の鎌で仕留められたのだが……」
女王は大きな細身の黒い鎌を肩に立てかけながら、目の前に浮かぶソレを見上げる。
「……これでは、キリがない」
女王が影人たちの到着に気が付くのはもう少し先だった。
「見えてきたぞ!」
夜想国の中心にある女王の居城。
そのそびえ立つ先塔が見えたとき、それと同時に俺たちが見たのは。
「な、なによあれっ!?」
城を覆うように見下ろす大きな布だった。
真っ黒なフード付きの外套だろうか。
巨大な黒いローブが城と相対しているように見える。
「……あれが、嫉妬ね」
眼に何やら力をこめた桜がポツリも呟く。
これも魔王のスキルのひとつなのだろう。
「……デカいな」
たしか、事前に教えてもらった原罪龍の嫉妬は人と同程度の大きさだったはずだが。
「もしかして、色欲が何かしたのかしら」
ミツキが言うように、その可能性ははるかに高い。
「……急ごう。城はすぐだ」
「女王っ!」
「……影人。待っていた」
ようやく城にたどり着くと、女王が不気味な鎌を携えながら顔だけをこちらに向けた。
「……か、影人、か。応援、ありがたい……」
「……グレイグ、か?」
女王の足元から声が聞こえたので見てみると、鼻から上と腰から下がなくなったそれが声を発したのだとようやく気が付いた。
声からして、どうやら第五位真祖のグレイグのようだ。
人間なら完全に死んでいるような状態だが、グレイグはどうやら無事なようだ。
「……よ、良かった。俺ではもう、女王のサポートが、できそうに、なかった……」
グレイグは消え入りそうな声だった。
吸血鬼の不死力には限界があると聞いたことがある。
グレイグもそろそろ限界が近いのかもしれない。
「……ああ。俺たちに任せて、あんたは再生したら休んでてくれ」
「……ああ。頼む……」
近くに散らばっていたグレイグの欠片がゆっくりと集まっていた。再生速度が真祖にしては遅い。
これは、かなりヤバかったようだな。
「……ねえ。あれが嫉妬?」
「……そうみたいね」
「ちょ、ちょっとおっきすぎない?」
桜とミツキの会話に導かれて女王の方を見ると、少女のような容姿の女王の向こうに巨大な黒い影がたなびいているのが分かった。
「……あれが、嫉妬か」
黒いローブを纏った骸骨。
眼の部分の空洞に紫色の魔力の炎が揺蕩う。
その姿は滅びの王に似ている。
そして、その手には大きな鎌。
女王の持つ魔人の鎌とは違い、刀身の刃の部分が普通の鋼のように見える。
死神のイメージを具現化したかのような出で立ちだ。
「……影人。なぜ色欲がここに来た?」
「……女王」
女王は嫉妬に向き直りながら尋ねてくる。
心なしか、余裕がないように思える。
「分からない。エルフの大森林で不戦を約束したのだが、俺が魔族の領地に行ったあと、ほんの少し目を離しただけで消えたそうだ」
「……申し訳ないわね」
女王に詫びるミツキに分派した魔人の弓を渡す。
魔人武器の再分離はサポートシステムさんに頼んだらすぐに実行できた。
「色欲の能力的にそれは仕方ないし、べつに責めるつもりはない。
我が知りたいのはなぜここに来たのか、ということだ」
たしかに。色欲の本能は文字通り色欲だ。
本能につられて動いたとしても、色欲と最も遠い不老不死の吸血鬼の国に来る理由が分からない。
『……私が手を出せば戦況が変わる可能性が一番高かったのがここだったのよ』
「……色欲か?」
考える俺たちの元に念話が届く。
この声は色欲のものだ。
その声の出所は……。
「……おまえ、嫉妬の中にいるのか?」
巨大な死神の姿の嫉妬の中からだった。
『……そうよ。嫉妬をこの姿にして、この国をこんなにしたのは、全部、私……』
「……」
そう語る色欲は、どことなく寂しそうな声をしていた。