第二百七十二話 色欲の怪宴
黒い着物にキラキラと光る星のような装飾がなされている。黒影刀の刀身に似ている。
長い黒髪は少しだけウェーブがかかっていて、艶っぽく色めいていた。
女性的で魅惑的な体つき。誘い込まれるような大きな瞳。されど、ドラゴンのような瞳孔を持つその瞳は射抜くようにこちらを冷たく見据えていた。妖しく、薄く口角を上げながら。
「……なるほど。あれが色欲か」
色欲というだけある。
油断すればすぐにでもすべてを捧げてしまいたくなるほどの魅惑。
甘い匂いは、やつの肉体から発せられているようだ。
アレをまともに受ければ、まともでいる方が難しいだろう。
「ミツキはどうして無事だったんだ?」
高潔で自制心の強いエルフでもこのざまだ。
いくらエルフ化しているとはいえ、並の結界では防ぎようがないと思うが。
「私にもよく分かんないのよね。なんか甘い匂いがするなって思ったら、急に長と他の男のエルフがくんずほぐれつになっちゃって……」
ミツキは嬉しそうにそう語る。
いや、普通は嫌悪の表情なんじゃないのか?
「そしたら、ふふ。他の男たちも次々と、ふふふふ」
……ああ。ミツキはそういう感じか。
「あなたはその弓を持ってるからよ。男の子の方が身に纏ってる力と同種の力が弓から発せられて、私の匂いから身を守ってくれてるの」
「!」
ほくそ笑みミツキに呆れていたら色欲が代わりに解説してくれた。
どうやら魔人の弓が結界の役割を果たしてくれたようだ。
「感謝してほしいところね。
男だけをそうしたのにも、私を取り合って殺し合うように仕向けなかったのにも」
「……」
色欲はそう言って妖艶に笑う。
それはつまり、その気になればそうすることもできる、ということだ。
ルルが敵には回したくないと言っていた理由が分かる気がするな。
こいつは危険すぎる。
「……あんたは、俺たちの敵じゃない、のか?」
俺は相手の様子を窺いつつ、単刀直入に尋ねた。
この手の相手には搦め手よりも素直にまっすぐに対応した方がいいだろう。
「んー」
色欲はアゴに人差し指を当てて、考えるような仕草を見せた。
平伏していた女性のエルフたちがかすかに顔を上げて、その姿を惚れ惚れと見つめる。
「こーら。誰が頭を上げていいって言った?」
「も、申し訳ありません!!」
色欲がチラ見していたエルフたちを軽く叱ると、彼女たちは慌てて再び地面に頭をつけた。
が、その様子はすこぶる嬉しそうだった。
色欲に話しかけられたことが何より喜ばしいといった表情だ。
「どーしよっかなって思って」
「?」
その様子を満足げに眺めた色欲は先ほどの返答を始めたようだった。
「私は、色欲なのよ。
いわゆる性欲が栄養源みたいなもので。生物がそういう気持ちになればなるほど私は力を持つ。
だから、私からしたら世界を壊すって行為は自分で自分の首を絞めることになるのよねー」
なるほど。
自分が生きていくために生物が必要ってことか。
「それならば俺たちの利害は一致しているはずだ。なんなら、他の原罪龍の討伐に手を貸してくれないか?」
同じ原罪龍が手を貸してくれるなら、これ以上の援軍はないだろう。
「それは無理ねー。私たちはそもそも自分たちを捨てたイリスへの復讐のために生まれた存在だもの。私の場合はそれよりも自分の本能が上に来てるから世界を滅ぼすのに乗り気じゃないだけで、他の奴らを倒そうとは思わないわ。
それに、私は他の原罪龍よりも弱いしねー」
「……そうか」
あわよくば、という思いがなかったわけではないが、まあ予想通りの返答ではあったな。
だが、彼女たちの原理が分かってきた。
原罪龍たちは自分たちを切り捨てたイリスに復讐するという名目で世界を滅ぼそうとしているわけだ。
だが、怠惰や色欲はその名が持つ本能と復讐という目的が合致していないから世界を滅ぼすという名目にピンと来ないのだろう。
結果として本能が目的に勝ち、他の原罪龍とは一線を画しているのだろう。
だが、他の5体。
嫉妬、強欲、暴食、憤怒、傲慢はイリス神への復讐という目的と本能とが結びつけられるからこそ、世界を滅ぼすという復讐にかられるのだろう。
「……ならば、せめておとなしくしていてほしい。
俺たちが他の原罪龍を倒すのを邪魔しないでもらえると助かる」
機嫌を損ねないようにしながらもこちらの要望は端的に、正直に伝える。
「んー。まあいいわよ。
本当はもっといろいろ遊びたいところだけど、私からしたら世界を壊そうとする他の奴らは邪魔なわけだし、あなたたちが本当に倒せるって言うならそれまで遊ぶのは待ってあげるわ」
「……ありがとう。助かる」
「ねえ。ちなみに、遊ぶってどんなことするの?」
「ミツキ?」
話がまとまりつつある時にミツキが会話に入ってきた。
できれば余計な波風を立てないでほしいのだが。
「んー。そーねー。最近は普通の色欲に飽きてきちゃって。
封印されてる間、あなたたちがもともといた世界のこともちょっとだけ見させてもらってたのよ」
……封印中に、そんなこともできるのか。
「でね。最近のお気に入りは男同士で色欲を発散するような物語にハマってるのよ!」
「……」
「ミ、ミツキさん?」
「あれはねー、何て言うかねー、いろいろヤバいわね!」
「ラストさん?」
「……ふ」
ミツキさん? ラストさんに近付いてどうなさるおつもりで?
「同志!!」
いや、がっしり握手しとる。
「ふふふ。やっぱりあなたも同志なのね! あのエルフたちの姿を観る目を見てすぐに分かったわ!」
「ぜひ! ぜひ遊ぶ際は私にも動向させて! いや、させてください!!」
「もっちろんよ!!」
……こいつらは……。
「……え? か、影人さん?」
「え? なに? なんで刀抜いてるの? え? なにその力。え? 怖いんだけど」
「……安心しろ。一瞬で消してやる。ふたりともな」
「ちょー! 影人ー!」
「きゃーーっ!!」
「……いいな。この戦いが終わるまではおとなしくする。
終わってからも遊ぶな。
あんたも生きるためにそれが必要だろうから、必要な分だけにすること」
「……はい」
「うう……。わかったわよぉ」
結果的に力ずくでふたりを黙らせることになったが、エルフたちにかかった術も解いてくれたし、色欲はもう大丈夫だろう。
実際、戦闘能力という点ではたしかにそこまで脅威ではないようだしな。
「ミツキ。おまえはここで彼女を見張っててくれ」
「わかったわ」
「えー! 私もう何もしないわよー?」
「……」
「……ごめんなさい。にらまないでください」
謝ってはいるが、なんで少し嬉しそうなんだ?
「ここは任せて。影人は他も頼んだわよ」
ミツキはそう言って魔人の弓を渡してきた。
「……ああ」
俺はそれを受け取る。
魔人の弓は俺の手によく馴染んだ。なんだか懐かしささえ感じる。
「あ、あのー」
「……なんだ?」
色欲がおずおずと手をあげる。
なんだか、ずいぶんおとなしくなったものだな。
「……ちょっとだけ、私のことを踏んでくれないかしら」
「……は?」
「ちょっと! ちょっとだけでいいのよ! さっきみたいのすんごいのじゃなくていいから! ちょっとだけ!」
……こいつ。やっぱりここで消しといた方がいいんじゃないだろうか。
「……全部が終わるまでおとなしくしていたら考えよう」
「やった! 待ってるわね!」
……嬉しそうな顔をするな。
ま、考えるだけ、だけどな。
「……さすがに私もちょっと引くわね」
ごもっとも。
「……じゃあ、いってくるな」
「いってらっしゃい! 待ってるわね!」
「……気をつけて」
「あ、ああ」
何とも変な空気になったが、俺はエルフの大森林でのひと仕事を終えて魔人の弓を手にした。
そしてルルに念話を送ると、転移魔方陣でその場から去ったのだった。




