第二四十九話 復活までの天上でのやり取り
「いま戻れば自我を失う、ってことか?」
神樹のなか、天界に限りなく近い場所で神に限りなく近しい2人と、神そのものであるパンダとテーブルを囲みながら話す。
どうやら、いま戻れば俺のなかの闇の帝王の因子とやらが暴走し、誰彼構わず殺す殺戮マシーンになるだろうとのことらしい。
「そーなんですー。完全に討ち滅ぼして、ほんの欠片だけになったはずの闇の帝王の因子が影人さんのなかにいて、それはもうただの力の欠片のはずなのに、なぜか意志をもって胎動し始めているみたいでー」
俺の肉体が死に、魂だけとなってここに来ている状態。
それによって俺のなかにある闇の帝王の因子とやらが目覚めつつあるらしい。
「……いま、と言ったな。それはしばらくすれば治まるのか?」
「そーですねー。ルルに肉体を再生してもらって、今ここにある影人さんの魂を戻して、しばらく眠ったまま過ごしていただければ、闇の帝王の因子もおとなしくなるかとー」
「……しばらく眠る、というのは具体的にどれぐらいの期間だ?」
「んー、そうですねー。だいたい3年ぐらいですかねー」
「3年!?」
それは長すぎだろ。魔王との戦いはもちろん、その原罪龍とやらとの戦いにも間に合わないんじゃないか?
「そーなんですー。だから、影人さんには魂の状態のままで、このままここで私とともに原罪龍と戦っていただきたいなと思いましてー」
パンダは短い手を精一杯伸ばして頭に当て、へへへと笑う。
「……その原罪龍とやらはここに来るのか?」
「えっとー、原罪龍は全部で7体いまして、1体は地上に、5体は他の世界に、そして一番強いのがこの天界に封印されてるんですー。他の世界にいる5体も封印が解ければ地上に来るでしょうけど、それらはルルたちが何とかするとしても、天界にいる一番強いのが厄介でして、私1人ではちょっと心許ないかなって感じでしてー」
パンダは今度は両手を胸の前で合わせてお願いポーズをとってみせた。
「……それは、俺程度が手伝って何とかなるものなのか?」
というか、俺は魂だけのこの状態で戦えるのか?
「あ、それは大丈夫ですー。私の力で無理やり力の底上げをしますし、なんなら肉体というしがらみがない方が力を発揮できますからー」
「な、なるほど」
神によって無理やり強化させられるのか。
「というか、いまあっちでやってる魔王との戦いはどうするつもりだ?」
地上では、合流したフラウが何とかして聖剣を当てようと奮闘しているところだった。
だが、魔王には予見のスキルでもあるのか、フラウが動く前に避けられているように見えた。
あのままではじり貧。
いずれフラウの力が尽きて、こちら側の敗北となるだろう。
俺が戻らなくてはどうにかならないのではないだろうか。
「んー。なんとか頑張ってもらいたいところですが、どうしても無理そうなら魔王の方は諦めますー」
「……は?」
「戦力は欲しかったですが、私を消そうとする魔王に協力を仰ぐのは無理でしょうから、ここにいる私たちだけで原罪龍と戦うしかないですねー。まあ、地上に降り立つ6体はルルたちと吸血鬼たちで何とかできるでしょう」
「ま、がんばればねー」
「善処します」
「いやいや、その前にフラウたちが負ければ地上は魔王に支配される。そうなれば、あんただって魔王から攻撃されるんだぞ?」
「んー。大丈夫ですよー。地上からの攻撃なんてここにはほとんど届かないですし、私にはあんまり意味ないですからー。魔王さんには説明したんですが、分かってもらえなくてー」
「……いや、そういうことではなくて」
魔王に負ければ、人類は滅亡することになるんだが……。
「影人ー」
「……ルル」
見かねたルルが声をかけてくる。
「そのやり取りは無駄よ。神の感性は地上に生きる者と違うわ。神はもっと合理的でシンプルなものなのよ。神にとって優先すべきは世界と自分を破壊する可能性のある脅威の方で、それ以外は一度失ってもまた何とかなる、ぐらいの感覚なの」
「……」
パンダはよく分かっていないのか首を傾げている。
どうやら本当になんのことか分かっていないようだ。
だが、ルルの言うことも分かる。
広義で見たときに、世界と神にとって優先すべきは何なのか。
合理性を求める神ならば選ぶべきはひとつだろう。
より優先度の高い方を選ぶならば地上に生きる人類の存亡など些末なこと、というわけか。
「……わかった」
「あ、良かったですー。ではさっそく、原罪龍を迎え討つ打ち合わせをー」
「俺は、あちらに戻る」
「え? えっと、そうなると3年は眠ってもらわないとなんですがー」
パンダが不思議そうに首をかしげる。
「……いや、眠らない。俺は今すぐにあちらに戻り、そして魔王と戦う」
「へ? いやいや、そんなことしたら闇の帝王の因子が暴走して、破壊するのは魔王だけじゃ済まないですよー」
パンダが両手をバタバタさせて焦っている。
「……それでも俺は、戻らないといけないんだ」
このままみすみすフラウたちを見捨てるわけにはいかない。
「えー、でもー……」
「……アカシャ。もう無理よ。影人は何としても戻るわ」
「……ルル」
「そうですね。ほんの僅かな可能性にも賭けたくなるのがヒトという生き物のようですから」
「……天竜も」
「んー。ちょっと私には理解できないですー」
パンダは首を左右にかしげながら頭にハテナマークを浮かべていた。
「ま、あんたはそうでしょうね。私たちはこれでも地上で生きてきた年月が永いのよ。
影人。手引きは私たちがやるから大丈夫。
すぐにやっていいの?」
「……ああ。ありがとう。
すぐに頼む」
「……おっけー」
俺が頭を下げると、ルルはどこからか杖を取り出した。
「道は私が」
天竜が両手をかざすと、目の前の空間に黒い穴ができる。
ルルがそこに杖を向けると、画面の向こうにある俺の肉体がみるみる再生していった。
「流れ出た血液はめんどいからそのままね。どうせ溢れる力ですぐに回復するからそのままでいいわ」
「もー。知りませんよー」
パンダはむくれてそっぽを向いてしまった。
「……悪いな。あちらが終わったらこっちも手伝いに来るよ」
「期待しないで待ってますー」
パンダは後ろを向いたままそう呟いた。
「……影人。あっちに戻った瞬間、ものすごい激流に呑まれるでしょうけど、自分を失わないように。自分が守りたいものは何なのか。大切なものは何なのか。それを忘れないようにだけ気をつけて」
「……ああ。わかった」
ルルはそれだけ言うと再び杖を振るった。
俺の体が宙に浮き、天竜の作った空間に近付く。
「幸運を祈ります」
「ま、頑張んなさい」
「……ああ。ありがとう」
2人に見送られ、俺は道のなかに飛んだ。
そこに入った瞬間、俺の魂は瞬時に肉体に戻り、そして、俺の意識はすぐに途絶えることになる。
「……闇の帝王?」
「ご主人様?」
魔王もフラウも、皆がソレを見上げていた。
遥か上空にいるソレは明らかに異常な存在感を放っていた。
「……怖い、のだ」
百戦錬磨の巨人族の王であるノアが震える。
隣で見上げるライズも声が出ないようだ。
それほどの圧倒的な存在感。
そして、溢れるほどの怒りと憎悪。
それが満たされた存在に、その場にいた全員が恐怖を感じていた。
「……それは、ちょっと予想外かな、影人」
魔王はその姿を見ながら、頬に一筋の汗を流した。