第二百一話 囚われの姫
『あ、良かった! 影人殿っ! ようやく繋がった!
た、大変、大変なんですっ!』
夜想国の結界を出た瞬間、<ワコク>のカエデ姫の側近であるテツから緊急念話が入った。
ひどく取り乱しているように感じる。ずっと念話を送っていたのだろうか。
『テツさん。
とりあえず落ち着いて、状況を報告しあいましょう』
『あ、そ、そうですね。失礼しました』
俺が応答するとテツは一度咳払いをして自分を落ち着かせた。
『では、緊急のようなのでそちらからどうぞ』
俺が先を譲ると、テツは礼を言ってから用件を伝えてきた。
『はい。じつは、姫が、カエデ姫が魔王軍に誘拐されてしまったのです!』
『な、なんだって!?』
「ちょっと! どうしたのよ!」
「あ、悪い」
ミツキに肩を叩かれて俺は念話をパーティー全員に聞こえるようにした。
『え!? カエデ姫が!?』
『そ、そんなっ!』
テツが改めて報告すると、ミツキもフラウも驚いた顔を見せた。
『結界は? 人間の領域を覆うカエデ姫の結界はどうなってますか?』
『それはまだ大丈夫です。
結界はいまだ健在で、魔族の侵入を阻んでおります』
『……そうか』
ということはカエデ姫はまだ無事、ということだ。
結界を維持しておけるだけの余力もあるということ。
『そもそも、なぜそのような事態に?
あの殿のことだからカエデ姫の警護はとんでもなく厳重だったのでは?』
<ワコク>の殿様は娘であるカエデ姫のことを溺愛している。前に会ったときも、姿は見せなくてもいろいろな所からカエデ姫を見ているような気配はあった。
あれは忍のような者たちが常にカエデ姫を監視、警護していたのだろう。
そんな厳重な警備の合間を縫って、さらにはカエデ姫自身の結界さえ抜いて彼女を拐うなど、そうそう出来るはずがない。
『そ、それが、突然、扉が城内に現れて、そこから魔王直属軍とおぼしき者が3体現れ、1人が警護の者たちの相手をしている間に2人がかりで姫のスキルを無効化し、あっという間に姫を連れ去ってしまったのです。
我々もすぐに追いかけようとしたのですが、扉は閉まるとすぐに消えてしまって……』
『……スキルの無効化、破理か』
だが、魔王の扉のスキルは通過が困難な障害があるほど通過者は弱体化されるはず。
カエデ姫ほどの結界を通るならば、通過者は一般人レベルにまで弱くなると魔王自身が言っていた。
破理はその対策を立てているとのことだったが、それが可能になったのか?
あるいは、もう1人の魔王直属軍がその役割を担っていたのだろうか。
『とりあえず詳しく状況を聞いて対応しないと。
まずはそちらに行きますね』
『助かります! 殿も動揺してしまっていて!』
あの殿様が動揺するとはな。まあ、それほどカエデ姫を心配しているのだろう。
「プル」
「ほーい」
そして、俺たちはプルの転移魔法によって<ワコク>まで跳んだのだった。
「……くっ! このっ!」
魔王城の一室。
和風の内装が施されたその部屋にカエデは囚われていた。
囚われているといっても拘束されているわけではなく、6畳ほどの和室内では自由に行動することができた。
「……ダメ。ぜんぜん開かないわ」
出入り口は襖。窓は障子造りになっていたが、どちらもどれだけ力を入れてもまったく動かず、壊すことも出来なかった。
「……スキル、はまだ無事みたいね」
カエデは自分の掌を見つめながら呟く。
どうやら【守護女神】による結界はいまだ健在のようだった。
「はい、失礼するぜ」
「!」
突然、襖がスパーン!と開けられ、カエデが身構える。
「そう構えなくてもいいぜ。メシを持ってきただけだ」
「あ、ありがとうございます」
盆の上に和食をのせて運んできたのは着流しのような和風の衣裳に身を包んだ破理だった。
自分を拐った張本人ではあったが、その見慣れた格好にカエデは少しだけ気を弛めた。
「なんか不便なことはねえか?
こっから出すこと以外ならそれなりに対応するぜ?」
「……」
盆を畳の上に置きながら破理はカエデに尋ねた。
カエデは少し驚いたような表情を見せたが、特段不便を感じることはないという結論に至る。
「……いえ、ここから出ること以外は大丈夫です」
「……」
「……」
「……ふはっ!」
「!」
カエデの挑発的な言葉で2人はしばし無言となったが、やがて破理が堪えきれずに吹き出した。
「こんな状況でも気丈な嬢ちゃんだ。そういうのは嫌いじゃないぜ」
「……私はたぶん、あなたのことが嫌いです」
子供扱いしてきた破理にカエデは頬を膨らませてそっぽを向いてみせた。
「はっ! いいね。
まあ、おとなしくしてな。余計なことをしなきゃ悪いようにはしないぜ」
「……もう悪いようになってますけどね」
カエデはそう文句を言いながらチラリと破理が入ってきた襖を見やる。
開けっ放しにされたそれはどうやら外からしか開けられないようになっているようだった。
「……」
今ならここを抜け出せるのではないか。
カエデの頭にそんな考えがよぎった瞬間、
「……ひっ!」
重く冷たくのしかかるような殺気がカエデの全身を包んだ。
「……余計なことをしなきゃって言ったろ?
バカなことは考えんな」
「……っ」
その殺気の発信源である破理の手が自分の頭にのせられ、カエデは死を覚悟した。
「……?」
が、殺気はすぐに消え去り、破理はカエデの頭を優しく撫でた。
「……ホントに悪いようにはしない。だから少しだけおとなしくしててくれ。
そうすりゃ、生きてここから出してやるからよ」
破理はそれだけ言うと、カエデの頭から手を離し、襖へと歩いていった。
部屋を出て襖を閉めようとしたところで破理は振り返り、食事ののった盆を指差した。
「そいつは俺が作ったんだ。
昔、<ワコク>にいたこともあったからな。味は保証するぜ」
破理はそれだけ言うと、じゃあなと言って襖を閉めて出ていった。
「……」
カエデは立ち上がって襖を開けようとしてみたが、やはり襖はびくともしなかった。
「……」
カエデは振り返ると盆の上の食事の前にぺたりと座り、両手を合わせて「いただきます」と呟いて味噌汁の椀を持ち上げた。
豆腐とわかめのシンプルな味噌汁をずずずと一口すする。
「……おいしい」
カエデは身に染みる味を感じながら破理が出ていった襖を振り返る。
「……変な人」
カエデはふっと微かに笑って顔の向きを戻すと、箸を持って食事をとり始めたのだった。