第百八十三話 逃走劇
ミツキが俺に刺さった剣を引き抜く。
「がはっ!」
傷口と口から血が溢れる。
鉄の匂いが鼻腔を満たす。
滅びの王になった時に【痛覚軽減】を取得していたから多少はマシだが、それでも素早く動き回るのは難しい。
「【魅了】をかけるのって意外と大変なのよん。
相手と目と目を合わせて数秒停止しないといけないから戦闘中じゃ厳しくてねん。
実力者が相手だとなおさらよん。
だから、こうして油断させて動けなくさせてから術にかけるのが一番なのよん」
スカーレットがミツキに後ろからもたれかかる。
ミツキは虚ろな目をしたまま直立不動で立っていた。
手に持つ剣からはポタポタと俺の血が垂れる。
「ミツキちゃんもなかなか術がかかりにくくてねん。
詳細な命令を与えないと、何もない時はこうやって虚ろになっちゃうのよん。
たぶん心を空っぽにしてワタクシの【魅了】に抵抗してるのねん」
スカーレットが愛しいものを愛でるようにミツキの頬を撫でる。
ミツキはたしかに心ここにあらずといった様子で停止していた。
「影人ちゃんは王級だし、闇の帝王の因子とやらもあるから骨が折れそうだわん」
そう言いながらスカーレットが近付いてくる。
これはマズい。
いくら俺に抵抗力があっても時間をかけて術をかけられたら耐えられないかもしれない。
しかも手負いの状態だ。
何とか脱出しなければ。
「あ、ちなみに転移はできないわよん。
お姉ちゃんの特別措置を無効化する能力を魔王ちゃんに貸してもらったから、いま影人ちゃんに転移と念話をする権限はないのよん」
お姉ちゃんというのは女王のことか。
この国は転移や念話ができない仕様になっているが、女王が許可を出した者はそれらが可能になる。
特別措置というのはそれのことだろう。
女王の結界自体に手を出すとバレる可能性が高いが、特別措置だけを個別に無効化する分には気付かれにくいということか。
そんな能力を簡単に他人に渡せる魔王のことも気になるが、いまはこの状況を何とかしなければ。
「さ、そろそろ影人ちゃんもこっち側に来るのよん」
「ぐっ……」
スカーレットが俺の前に着き、顎を持って顔を上げられる。
スカーレットの瞳が真っ赤に染まっている。
ドラコンのように瞳孔が開いているのが見てとれた。
たしかに、この瞳をずっと見ていたら引き込まれそうだ。
「くそ……出てこい!」
「あらん」
俺は足元の影から分身を召喚した。
今回は2体。
全身に影の鎧を纏った2メートルほどの影が現れる。
俺の前に現れた影がスカーレットの視界から俺を外す。
もう1体は俺の背後を守るように立つ。
背後の影が自分の一部を包帯のようにほどき、俺の体に巻き付けた。
応急処置だが、とりあえず傷をふさぐことはできた。
これでひとまずは操られることはない。
次はここからの脱出だが、周りは吸血鬼どもに囲まれている。
2体なら影は影撃の英雄を超えた力を持っているのだろう。
こいつらに蹴散らさせて脱出を試みるか。
とはいえ、俺は満足に動けないし、1体はスカーレットの相手をしなければならない。
もう1体だけで周りの吸血鬼の相手は厳しいか。
ミツキがいるのもキツい。
いまの俺に全体のフォローをしながらミツキを抑えることが出来るだろうか。
「……やるしかない、か」
「あらん。
まさかその状態で戦うつもりなのん?」
影に阻まれたスカーレットが離れる。
影の強さを感じ取ったのだろう。
「惜しいわねん。
そのお人形ちゃんがもう1体いたら状況は変わっていたかもねん」
「……」
影の性質も、その強さも、そして状況も。
そのすべてを見抜いているわけか。
影はその濃さで強さが変わる。
つまり、個体数を増やせば増やすほど1体1体が弱くなる。
そして、この状況を打開するにはこの2体分の強さの影でなければならない。
スカーレットは俺がこれ以上、このレベルの影を出せないことが分かっているのだ。
狡猾で大胆で頭が回る。
こいつは想像以上に面倒な相手のようだ。
「……」
何か、何かもうひとつ手段があれば……。
「……!」
これは……。
「そろそろいいかしらん」
スカーレットがいつの間にか鞭を握っている。
他の吸血鬼も武器を構え、ミツキは弓を引いていた。
やってみるしかないか。
「……」
俺は2体の影に指令を送る。
強さと同時に知能も高いこいつらは俺のやりたいことを瞬時に理解する。
「……っ!」
ミツキが矢を射ってきた。
が、それは俺の前方にいた影が叩き落とした。
それと同時に周りの吸血鬼が動き出す。
いっせいに俺たちに襲いかかってきたのだ。
スカーレットにだけは捕まらないように気を付けなければ。
「……よっ」
「……あらん?」
俺は前方にいた影の肩に乗った。
その影は後ろに跳び、あらかじめ手のひらを組んでいた後方の影の手に着地する。
「……っ!」
そして、膝を曲げた後方の影は俺を乗せた影を思いきり上にぶん投げた。
「……あらあらん」
ものすごいスピードで上空に打ち出された俺はともに飛ぶ影の手に足をかける。
そして、その影は今度は横の方向に向かって思いっきり俺を投げた。
俺もそれに合わせて蹴り出して飛距離を稼ぐ。
俺はいま夜想国の上空を猛スピードで飛ぼうとしている。
「……甘いわねん」
「なっ!」
しかし、遥か下方にあるはずの街から無数の矢が飛んできた。
ミツキの技だ。
俺は黒影刀を引き抜いてそれらを弾くが、モーションを起こせば速度が落ちる。
「……ぐっ」
さらには防ぎきれずに何発か矢を受けてしまった。
障壁があるから貫かれはしなくとも衝撃が届く。
そして、矢の処理に注視していると、
「……なっ!」
いつの間にか俺の足にスカーレットの鞭が巻き付いていた。
「だから言ったじゃないん。
甘いのよん」
どこかから聞こえたその声と同時に、俺の体が鞭によって引き戻される。
「……~~~ぐあっ!」
そして、俺は再びスカーレットたちの元に叩き落とされた。
その場に残していた影がクッション状になったために無事に着地できたが、衝撃で頭がくらくらする。
「おかえりなさいん」
スカーレットの妖艶な笑みが俺を迎える。
「……くそ」
そして、再び先ほどと同じ構図が出来上がった。
だが、まだ希望はある。
「……またなんかされても面倒だし、さっさと術をかけちゃいましょ」
……何とか、間に合えばいいが。