第百七十一話 ヴァンパイアについて
星が1つもない常夜の国。
唯一の光源である擬似的に創られた満月が永続的に夜空に浮かぶ世界。
【暗視】のスキルがなければ外であっても視界が暗く、室内ではほとんど何も見えないだろう。
室内には明かりは灯されない。
吸血鬼には必要がないから。
空には太陽が浮かばない。
それもまた、彼らには必要がないから。
「暗くて、静かで、落ち着いていて。
これはこれで良い国だな」
「ふふ、そうだろう?」
俺がバルコニーに吹く夜風を感じながら呟くと、女王は嬉しそうに微笑んだ。
ハーフツインにした白い長い髪が夜の闇に揺れる。
その微笑みには少女らしいあどけなさが残っているように感じた。
俺と女王は2人で女王の部屋のバルコニーに出て、眼下に広がる夜想国を眺めていた。
「この国は貴女が造ったということだが、この夜の帳も貴女が?」
「そうだ。
建造物なんかはノアやドワーフたちに手伝ってもらったりもしたが、この国を覆う夜の結界は我が張っている」
一国をまるまる覆うほどの結界を何十年、何百年も常時展開しているのか。
<ワコク>のカエデ姫も相当だが、あっちは転生者として女神の恩寵があるからな。
それを単体で継続的に行うなんて、桁外れの魔力がなければ不可能だ。
「ドワーフたちも協力してるのか?」
吸血鬼は閉鎖的な存在だと聞くが、他の種族とも多少は交流があるのか。
「彼らは矜持を持って仕事をしている。
誠意ある対応には最高の仕事でもって応える彼らに我は敬意を払う」
「……そうか」
吸血鬼というのは無駄にプライドが高いイメージがあったが、この世界の吸血鬼は真に気高い存在なのかもしれない。
「夜の結界と言うが、やはり吸血鬼は日の光が苦手なのか?」
あとはなんだったか。
十字架に杭に、ニンニクに銀、だったか?
……けっこう、弱点多いな。
「いや、我が夜型なだけだ。
太陽は眩しいし日焼けするであろう?」
……。
「じゃあ、べつに太陽の光を浴びても朽ち果てたりはしないのか?」
「ん?
べつに、たまには普通に外に買い物に行くぞ?
最近は転生者の書いたてんぷれものの小説が好きだな。
ああ。そういえば、前に転生者の1人がいろいろ用意して襲撃に来たりもしたな。
棒をクロスさせたものとか、木を削っただけのお粗末な杭とか、熱に弱い銀製の武器とか。
ニンニクを首からぶら下げていたのにはさすがに戸惑った。
そちらの世界ではそういう流行りだったのだろうか。
まあ、せっかくなので其奴を倒したあとにニンニクマシマシラーメンにして美味しくいただいたが」
……なんだか、気高く誇り高い吸血鬼のイメージをぶち壊されてる気分だな。
「そいつはどうしたんだ?」
「ん?
まだ若かったからな。
適当にあしらって外に捨て置いた。
それきり来ていないから、どっかで暮らしてるんじゃないか?」
自分を殺しに来たヤツを生かして逃がしたのか。
彼女の弱点は、その甘さだけなのかもな。
「まったく、我らを倒そうとする暇があったら面白い小説の1つでも書けば良いのに。
なんのための転生者なのか」
……あのパンダのことだから本当にそんな目的な気もするよ。
さて、そろそろ真面目に話を進めるか。
べつに最初から真面目だったが、女王がどこか抜けているのか脱線してしまったからな。
「それで、貴女の妹であるスカーレットのことを聞きたいんだが」
「……ふむ」
女王は真剣な顔つきに戻り、顎に手を当てた。
「我は齢10でルルの弟子となり、すぐに吸血鬼に目覚めた。
そこから肉体的な成長は完全に止まり、この姿のまま今日まで生きている。
そして、およそ10年後に修行を終えて在野に下り、スカーレットを吸血鬼にしたから、あやつは20歳前後の肉体のはずだ」
ふむ。
まあ、たしかにスカーレットは、その、大人の肉体だったからな。
それは納得だ。
「……なんだ?」
「いや、なんでもない」
「まあ、いい。
その後は数年間、我とスカーレットは行動を伴にした。
いきなり現れた強大な力を持つ不死の存在。
それを脅威と思ったか、あるいは名をあげようと思ったか、我らを討ち取らんとする者たちは多かったからな。
そして、その悉くを我らは返り討ちにした。
まあ、ほとんど我が倒したのだが」
そこまで言うと、女王は思い出したかのようにふっと笑った。
「我は挑戦者どもを返り討ちにして、そのまま捨て置いた。
スカーレットはいつまた自分たちを殺しに来るか分からないのだから殺した方がいいと言ったが、我は殺さなかった。
思えば、その頃から我らはすれ違っていたのかとしれないな」
そう言って笑う女王は少し寂しそうに見えた。
「そして、我らの名が知れ渡り、我らに挑もうとする者がいなくなった頃、スカーレットは我から離れた。
まだ睡眠が必要だったスカーレットに付き合って眠るフリをしている時に、スカーレットはこっそりと旅立ったのだ」
「……止めなかったのか?」
「なぜ止める?
スカーレットはもう十分に強かった。
我から離れようという意思を見せたあやつを止める理由が我にはない」
「……そうか」
「その後、我は眷属を作り、そして国を造った。
スカーレットが魔王の軍門に下ったことを知ったのはあやつが人間の領域にある国の1つを滅ぼした時だ」
西の<アーキュリア>のことだな。
「もともと、あやつには【魅了】のスキルが備わっていた。
それを魔王の力で強化し、現在では我の眷属にさえ影響を及ぼすレベルに到達している
あやつの思惑は吸血鬼の掌握。
あやつの眷属よりも我の眷属の方が強いからな。
国ごと乗っ取ることで魔王軍をさらに強化しようという魂胆だろう」
「……なるほどな」
なんとなく、スカーレットの思惑はそれだけではないような気もするが、まあわざわざ言う必要なないか。
「……ところで、吸血鬼の不死力っていうのはどれほどのものなんだ?
超再生か?
それとも敵性攻撃の無効とかか?
物魔完全透過とかだったら手の打ちようがないんだが」
「なかなか詳しいんだな。
安心するがいい。
基本的に吸血鬼の不死は超再生だ。
多くの吸血鬼は心臓を貫かれれば死ぬ。
不死なのに死ぬとは頓知が利いているがな」
それなら何とかなるか?
「……多くの、と言ったな?」
「ああ。
大抵の吸血鬼はそうだが。
我が初期に生み出した13体の吸血鬼は心臓をぶち抜かれても死なない。
我はそやつらのことを真祖と呼んでいる」
「……なるほど。
ちなみに、スカーレットの【魅了】にかかっている真祖はいるのか?」
「今のところ確認してはいないな」
「……そうか」
「……真祖の殺し方を聞かないのか?」
「それならば知らなくても構わない。
べつに俺は吸血鬼を滅ぼそうだなんて思ってないからな」
俺がそう言うと、女王は嬉しそうに笑った。
「おかしな人間よ。
普通、自分の脅威になるうる存在を倒す方法は知っておきたいものだろうに」
「それならばますます問題ない。
貴女方はべつに俺たちの脅威になるつもりはないのだろう?」
「……ふむ。
それもそうだな」
「ならば問題はないじゃないか」
「ふはは。
本当におかしなヤツよ。
特別に、真祖の殺し方を教えてやろう」
「ん?
べつに聞かなくても構わないのだが」
「まあそう言うな。
これは我なりの信頼の証だ」
「……そうか。
そういうことならば」
俺が納得すると、女王は嬉しそうに頷いた。
「うむ。
真祖の殺し方はシンプルだ。
再生が追い付く間もなく、その血の一滴さえ残さずに消し飛ばせばいい。
この世界との繋がりが一瞬でもなくなれば、真祖は再生する縁を失くす」
「……なるほど。
それは、なかなか骨が折れそうだ」
安易に教えるとは思ったが、そんなことを実践できるヤツなんてそうそういない。
バレたところで問題にはならないといったところか。
「しかし、殺しても殺しても再生する存在か。
慣れるまでは戦いにくそうだな」
「ん?
ならば試してみるか?」
「へ?」
「グレイグ」
「はっ!」
女王が名を呼ぶと、突然、女王の後ろに跪いた大柄の男が現れた。
「なっ!
いつの間に!?」
気配も魔力もいっさい感じなかった。
こいつは、突然ここに現れたのだ。
「……今のは【影追い】、でもなさそうだな」
「ん?
そうか。
おまえも闇に生きる者だから【影】にはそれなりに詳しいのか。
今のは私の始祖としての能力で、【眷属召喚】というスキルだ。
影を介して自分の眷属をノータイムで呼び寄せることが出来る」
「そういうことか」
性質としては【影追い】に似ているが、滅びの王の亡者どもを呼び寄せる力に近いような気がする。
「それで?
試すってのは?」
俺が尋ねると女王が頷き、それに合わせてグレイグと呼ばれた男が立ち上がった。
大柄で屈強な体躯。
南のギルドマスターのカイゼルよりも一回り大きい。
「こやつと戦ってみるといい。
こやつは第5位。
つまり我が5番目に生み出した眷属であり、真祖だ。
力試しにはちょうどいいだろう」
第5位。
不老不死で、心臓をぶち抜かれても死なない強力な力を持った存在。
たしかに、俺も自分の今の力を計りたいとは思っていた。
「……ぜひ、よろしく頼む」
「こちらこそ」
見上げるように視線を送る俺に、グレイグは低い声で応え、こちらをしっかりと見据えた。