第百六十八話 ヴァンパイアの女王
「ちょっと!
影人とフラウが消えちゃったわよ!」
影人たちがルルによって飛ばされたあと、命の樹ではミツキが声を上げていた。
「……これはルルの魔法。
強制転移魔法」
「ルル……って神樹の守護者!?
どういうこと!?
2人はどこに行ったの!?
ていうか、封印はどうなったの?」
「どこに行ったかは分からない。
ルルしか知らない」
『……封印は、まだ解けておりません』
フラウの姉は命の樹に囚われたまま、悲しそうにしていた。
『神樹の守護者様が何をお考えなのか、私には計り知れませんが、何らかのお考えがあってのことなのでしょう』
「……どうかな。
案外、自分でやるのが面倒な仕事をよく分からない理由をつけて影人たちにやらせようとしてる気がする。
命の樹は神樹と繋がってるからリンクして転移魔法を送れたんだろうし」
『……』
「……心配しかないわね」
「……っ。
まったく、ろくに説明もなく飛ばしてくれたな」
「うう、ここはどこです?」
フラウの声が聞こえる。
どうやら分かれることなく同じ場所に転移させられたようだ。
不幸中の幸いってやつだな。
俺たちを包む光球が消え、周りの状況が確認できるようになってきた。
だが、異様に暗い。
室内?
いや、夜なのか?
部屋の中のようだが、カーテンが開けられているにも関わらず周囲が暗く見えにくい。
【暗視】スキルを発動すると、暗い室内の様子がはっきりと分かるようになる。
どうやら広めの部屋の中に転移させられたようだ。
「なんだ、そなたたちは」
「!」
女性の声が聞こえたが、声の方向に目をやると、そこにはどう見ても幼女にしか見えない小さな女の子がいた。
フラウと同じぐらいだろうか。
……また幼女か、とは今さら言うまい。
「……この部屋に転移してこれる者などそうはいない。
それに、そなたらは人間か?
……いや、少し違うか」
大きな執務机に埋もれるように座っていた少女はゆっくりと優雅に腰を上げ、こちらに歩いてきた。
「……ご主人様」
「……ああ」
凄まじい魔力。
一切の隙のない動作。
こいつは、とんでもなく強い。
魔王やルルと対峙したかのような緊張感。
こいつはおそらく、
「……あんたが吸血鬼の女王か?」
「……我が部屋に勝手に上がり込んだ上に自己紹介もなしか?」
「……っ」
微かな怒気を孕んだ威圧。
それだけで全身の細胞が震える。
「……これは失礼しました」
少女だと思って油断したが、彼女は見た目通りの年齢ではないのだろう。
明らかに格上の存在。
彼女の機嫌を損ねれば、おそらく指ひとつで俺の首は飛ぶ。
俺はその場に片膝を立てて跪いた。
「俺は影人。
こっちはフラウ。
神樹の守護者であるルル=ド=グリンカムビによって遣わされた者です。
吸血鬼の国の様子がおかしいので様子を見てくるよう命じられました」
「なんだ、師匠の遣いか」
「……え?」
ルルの名前を聞いた途端、少女の態度が目に見えて軟化した。
「それは悪かったな。
そなたたちも師匠に振り回されてここに突然転移させられのだろう」
「……まあ、その通りです」
俺が正直に答えると少女は口元を抑えてクスクスと笑い出した。
笑うと一気に幼さを増し、まるで本当の少女のように思えた。
「あの人は相変わらずだな。
そう堅くならなくてもよい。
口調も崩してよい。
我もあの人にはよく振り回された」
「……ルルの弟子、なのか?」
俺が様子を伺いながら尋ねると、少女はこくりと頷いた。
「そうだ。
我はルル=ド=グリンカムビの最初の弟子にして吸血鬼の女王ヴラド・ツェペシだ。
よろしく頼む。
我が師の遣いよ」
そう言うと、ヴラドと名乗った少女は見事なカテーシーを見せた。
吸血鬼の礼儀作法はよく分からないが、おそらく俺たちにまともに挨拶をしてくれたということなのだろう。
「すまない。
あなた方の儀礼的な挨拶が分からないから、とりあえず頭を下げさせてもらう。
非礼を詫びるとともに、こちらこそよろしく頼む」
俺は跪いたまま、頭を深く下げた。
フラウも俺に倣って、ぺたりと地面に座ってしっかりと頭を下げていた。
「うむ。
文化の違いは当然あろう。
それで十分に誠意は伝わる。
頭を上げよ。
楽にするといい。
そこのソファーに座れ。
少し話をしよう」
女王のお言葉に甘えて、俺たちは立ち上がってソファーに並んで腰掛けた。
彼女もその反対側のソファーに腰を下ろす。
「紅茶でいいか?
クッキーもあるぞ」
女王が指をパチンと鳴らすと、目の前のソファーに淹れたての香り高い紅茶と真ん中にジャムが入っているクッキーが現れた。
「さあ。
遠慮なく召し上がれ」
「ありがたくいただこう」
まずは俺が紅茶を一口すする。
飲んだ瞬間に高貴な香りが鼻を通る。
毒の類いがあるわけではないようだ。
飲食物に口をつけるのは信頼の証にもなる。
「あちち」
俺が紅茶を飲んだのを確認してからフラウも手をつける。
こういう時に空気を読まずにガンガン飲み食いするプルとは違って、フラウは教えたことをきちんと守ってくれるから助かる。
まあ、プルなら自分で何とかするだろうが。
「……ふふ。
よくしつけられた良い子だな」
そう言って微笑む女王はまるで我が子を愛でる母のような優しい目をしていた。
「……それで、この国の様子がおかしいというのは?」
一心地ついたところで俺が口火を切る。
「ふむ」
女王は紅茶を一口飲んだあとに、ゆっくりと口を開いた。
「近々、我は殺されるようでな。
吸血鬼の王が代わろうとしているのだ」