第百九話 霧
ミツキに言われて、再びスカーレットに視線を移すと、その異変に気が付く。
スカーレットの胴体は直立したまま、切断面の首から相変わらず噴水のように血が吹き出している。
そう。
先ほどからずっとだ。
もう、明らかに体の体積以上の血液が噴出している。
これはおかしい。
そう思っていると、
「うふふふ。
やられちゃったわん」
「なっ!」
「ひっ!」
首だけのスカーレットが喋りだした。
「まさかあたくしの障壁が破られるなんてねん。
しかも、首まで飛ばされちゃ、【魅了】を維持するのは難しいわねん」
スカーレットにそう言われ、操られているエルフの方を見てみると、超人となったエルフはその場に倒れ付していて、他のエルフは糸の切れた人形のように、だらりと立ち尽くしていた。
「しょーがないわん。
今日のところは、この辺にしといてあげるん」
「……逃がすと思ってるのか?」
ウインクをするスカーレットに対し、俺は黒影刀を引き抜く。
みんなも武器を構えた。
「ふふふ。
いいわぁ。
その目。
おねえさん、ぞくぞくしちゃうん」
スカーレットが目だけを上に向けると、離れている体がひとりでにうち震えた。
「くそっ!
化け物めっ!」
「あら。
影人ちゃんがそれを言うのかしらん。
なかなか面白い力を見せてもらったわん」
俺が悪態をつくと、スカーレットは嬉しそうに口角を上げた。
「まあ、いいわん。
ホントはエルフたちを操るより、あたくしが直接戦えばいいのだけれど、あたくしはあんまり自分で戦うのは好きじゃないのん。
だから、あたくしが引いてあげるん」
そう言うと、スカーレットの首と胴体と、吹き出した血のすべてが、赤い霧へと変わっていく。
「なっ!
まてっ!」
俺は急いでスカーレットの首を刀で刺そうとするが、それはすぐに赤い霧へと姿を変え、あっという間に空の彼方へと消え去ってしまった。
「またねん!
今度会ったら、あたくしが直接お相手してあげるわん!」
その言葉だけを残して、スカーレットは血の一滴も残さずに、その場から消えた。
「あっちは、魔族の、魔王軍の領域の方向ね」
ミツキがスカーレットの消えていった方角を見つめながら呟く。
「赤い霧になる能力。
あれは吸血鬼の、それも真祖の固有能力」
どうやら、スカーレットは吸血鬼という種族のようだ。
「でも、吸血鬼は<夜想国>っていう、<アーキュリア>のずっとずっと西にある常夜の国にいるはずよ?
たしか、その強力な力で、魔王軍とは停戦協定を結んでいるはず。
他の国に何をしようが好きにしたらいい。その代わり、<夜想国>には手を出すな。
なんて言った閉鎖的な奴らのはずよ。
そんな奴らが、魔王軍に手を貸すなんて」
どうやら、スカーレットには何らかの事情があるようだな。
「ん?」
しばらくそこにいると、何やら周りがざわめきだした。
どうやら、操られていたエルフたちが正気に戻ったようだ。
「お、俺たちはいったい何を……」
「こ、ここは?
ワ、ワコク兵?」
「なにが、どうなっているんだ……
あ!いててて」
どうやら、エルフたちは操られていた時の記憶が曖昧なようだ。
「聞け!
エルフの民よ!」
「ワ、ワコクの殿様?」
そこに、殿様が声を張り上げて事情を説明する。
「私たちも行きましょ。
影人。
治療用のスキルを貸してちょうだい」
「ああ」
ミツキに促されて、俺はミツキとフラウにそれぞれ治療用のスキルを渡した。
俺とプルは自前の治療魔法で、行動不能にされたエルフの治療に当たる。
「……どうやら、超人化したエルフは、助からないようですな」
巨躯の超人と化したエルフは、体こそ元の大きさに戻っていたが、その急激な変化に耐えられず、スカーレットの操作が終了した時点ですでに息絶えていた。
その亡骸にすがりついているのは、血縁者かなにかだろう。
いくら死への観念が薄いエルフでも、こうも唐突に身内を失えば、やはり涙するほど悲しいのだ。
「くそっ!」
その何ともやりきれない気持ちを、殿様は地面に拳を打ち付けることで表現していた。