第百五話 始まりは5000の雨
<ワコク>の管理する領域と、エルフの大森林の管轄下である森。
その境となる草原がある。
その草原は<ワコク>側は丘陵地帯、エルフ側には森が続いており、ちょうどその境目となる緑の平野に、爽やかな風が吹いている。
「ここが、決戦の地となりそうですね」
「そうですね」
草原を見渡せる丘の上で、俺とカエデ姫とミツキが並び立つ<ワコク>軍を見下ろしていた。
大きな馬に乗る殿様を先頭に、その左右にフラウとイエツグが立ち、後ろでプルがクッキーを貪っている……うん。
「にしても、影人がフラウを前線に立たせるとは思わなかったわ」
「ああ。
たしかに心配ではあるが、大規模戦闘は経験させたいと思っていた。
スキルも使いこなし始めているし、並みの相手には負けない実力をつけてきた。
今なら俺たちがしっかりとサポートできる。
言い方は悪いが、良い機会だと思ってな」
「なるほどね」
俺の説明に、ミツキも納得がいったようだった。
「フラウちゃんのことは分かりましたが、プル様は?
彼女は魔法士ですよね?」
カエデ姫が饅頭を頬張るプルを心配そうに見つめた……うん。
「ああ。俺もそう言ったんだが、本人の強い希望でね」
生まれ故郷でもあるようだし、それなりに強い思い入れがあるんだろう。
それならば、それを無下に止めたりはしない。
プルなら心配はないだろうしな。
「来たわよ!」
「……ああ」
大森林に続く森から、耳の尖った、銀髪碧眼のエルフたちがぞろぞろと現れた。
全員が弓と剣を携えている。
今は剣は鞘に納め、弓を手にしている。
カエデ姫曰く、エルフの弓矢は魔力でコーティングされた強弓なのだと言う。
その一矢は岩をも穿ち、鎧ごと人を貫くと言われている。
そんな軍勢が5000も。
対して、<ワコク>軍は3000。
国の警備や魔王軍との戦いもあるため、こちらに割ける戦力はこれが限界だったそうだ。
「それにしても、総大将である殿様どころか、イエツグさんやカエデ姫まで来てしまって良かったのですか?
万が一のことを考えると、」
俺の問いに、カエデ姫はふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「<ワコク>は四大大将に任せているから大丈夫です。
それに、数的不利をカバーするためには、質で補うしかありません。
お兄様は大規模戦闘に適した能力がありますし、それに、お父様と私がいれば、万が一が起こることなどあり得ませんので」
「へえ」
珍しく自信に満ちた返答を返したカエデ姫は、とても凛々しい顔をしていた。
そうこうしている内に、エルフ軍が完全に姿を現し、その進軍を止めた。
そして、その一番後ろに、輿にのった女がいた。
「あれが、スカーレット」
あのあと殿様から聞いたのだが、スカーレットは西の<アーキュリア>をたった1人で滅ぼしたという魔王直属軍の者なのだそうだ。
それはつまり、この騒動がすべて魔王の手引きによるものを意味することになる。
<アーキュリア>の滅びた要因のほとんどは、自国の兵による裏切りだと言われている。
だが、プルたちの話を加味すると、どうやら兵士たちはスカーレットに操られていたのだろう。
他者を、本人の自覚なく操作するスキル。
<アーキュリア>の王や高レベルの実力者は操られた兵士によって殺害されていることからも、実力の均衡している相手は操るのが難しいようだが、味方の兵士が突然敵に寝返って襲ってくれば、いくら手練れといえど対処しきれないだろう。
「ん?」
その時、スカーレットがこちらを見て、にやりと笑った。
その妖艶な笑みには、たしかに惹き付けられるものがある。
抵抗力のある俺には魅了が効かないようだが、これはたしかに、一般兵レベルでは抵抗できないだろう。
「む!いかん!
プル様。
頼みます!」
「ほーい」
スカーレットが魅了領域を展開し始めたのを感じ取り、殿様がプルに合図を出す。
《覚醒領域》
プルが杖を掲げると、プルを中心に半円状の透明なベールがどんどん広がっていき、それは戦場となる草原をすっぽりと包み込んだ。
「あらあら。
【魅了】の対抗術式を開発したのねん」
その結界を、スカーレットが感心したように見つめた。
《覚醒領域》はプルがスカーレットの【魅了】に抵抗するために編み出した結界魔法で、その領域内にいる限り、新たにスカーレットに魅了されることがなくなる。
すでに魅了されているエルフを正気に戻すことは出来ないようで、スカーレットのスキルの強力さが窺い知れるとプルが言っていた。
だが、これでワコク兵が敵に魅了されることなく戦える。
つまりは、純粋な戦闘への突入を意味することになるのだ。
「怖いか?
フラウ?」
殿様が縮こまっているフラウに声をかける。
「い、いえ、大丈夫、です」
なんとかそう言ってみせたが、フラウはやはりその身を震わせていた。
「まー、そー緊張するなよー。
ほら、フラウも饅頭食べるかー?
うまいぞー?」
「い、いえ、大丈夫、です」
緊張感の欠片もないプルに、フラウだけでなく、周りの兵たちも呆れていた。
が、その姿は兵たちに安心感を与え、リラックスさせるのに十分な効果があった。
「……プル様。
感謝いたします」
殿様はそれに気付いていて、静かにプルに礼を述べた。
「ん」
プルはそれに頷きで応えると、敵陣を真っ直ぐと見つめた。
それに合わせて、殿様が刀を抜き、天に掲げる。
「<ワコク>の屈強なる士どもよ!
聞け!」
殿様の荘厳な声に、兵たちがいっせいに静まり、全員が殿様を注視する。
「敵はスカーレットただ1人!
だが、エルフたちは操られており、襲いかかってくるだろう!
なるべく、1人たりとも殺すな!
無茶を言っているのは分かっている!
だが、おまえたちなら出来るはずだ!
多少のケガならあとで治せる!
決して油断せず、相手を戦闘不能にするのだ!」
殿様の言葉に、<ワコク>の兵たちが、ウオォォーーー!!と声を上げる。
「あらあら、誰も殺さないだなんて、ナメられたものねん」
スカーレットは殿様の声を受けて、右手を上げる。
一律に正面を向くエルフたちは、まるでそれが見えているかのように、手に持つ弓に矢をつがえ、魔力を纏わせると、それをぐぐぐっと引き絞る。
「やりなさいん」
そして、スカーレットが上げた右手を下ろすと、5000のエルフが矢を持つ手をいっせいに離し、放物線を描いて、ワコク軍に5000の矢の雨が降り注いだ。