9話 かえりみち
第一章十一話中の九話目です
楽しんでいただければ幸いです
吹き抜ける風の音が聞こえる。
マリアンヌ姉様が呼んでいる。
ここは、小さい頃によく家族で避暑に来ていた、ノルデン山の別荘だ。
周りに広がる牧草地の草原に、大の字になって寝転び、空を流れる雲を見るのが好きだった。
転生して五年、乳母さえも怖がる俺に、親父も母様もずいぶん想を痛めていた。
自分でもどうしたらいいか解らない。ただ、根元的な恐怖が拭い切れないのだ。
「あ……またここに居たのね? エル。」
「マリアンヌ姉様。」
三歳年上の姉は、転生した俺から見ても大人びていた。
「今日はどうしたの? ご飯も食べてないって。」
「ごめんなさい……。」
「……。エルは何か悪い事をしたの? 」
「メイドたちが怖いって言っちゃったから……。」
「だって怖いんでしょ? 仕方ないじゃない? 」
「…………。」
「さ、今はそんな事を悩んでないで、遊びましょう。子どもは遊ぶのが仕事なんです。」
そう言って、マリアンヌ姉様は、俺の手を引いては、色々と連れ出してくれた。
川に遊びに行ったり、山に木の実を取りに行ったり、歌を聞かせてくれたり、屋敷の中でかくれんぼをしてみたり……。
そして、俺が十を数える頃には、すっかり女性に対する恐怖は薄れていた。
*
純白のドレスを着た女性が、俺に頭を下げている。深く頭を下げているので、その顔は見えない。
「ごめんなさい……。」
「なんで謝るのさ、マリアンヌ姉様。」
姉の結婚式の時の泣き顔が見えた辺りで、ゆっくりと意識が覚醒してきた。
*
俺の頭は柔らかいものの上に乗っていた。美しい娘が泣きながら何度も謝って来る。
ああ、この娘には泣いている顔は似合わない。
その娘が雫しそうになっている涙を、人差し指で拭う。
「……目が覚めたのですか? エル。」
「まだちょっと頭がボーッとするけどね。さすがにドラゴンの本気の威圧はキツいわ。」
自分の感情を魔力に乗せて、そのまま相手にぶつけるのが威圧だ。普通の魔物でも使う奴が居るが、古代龍ほどの膨大な魔力を持つものは、他には居ない。
よく自分の魂が吹き飛ばなかったものだと思う。
身体を起こして、まるで宿酔いのように痛む頭を振る。辺りを見渡せば、ちょうど夕日が沈むところだった。
「良かった……。もう起きてくれないんじゃないかって……。」
振り替えると、俺の目と同じ高さに彼女の泣き腫らした瞳が見えた。
正座をしたままの姿を見て、俺は彼女にずっと膝枕をされていた事に気がつく。
「すまない。ちょっと寝すぎてたみたいだな。枕があまりにも気持ち良かったみたいだ。」
「……。」
泣き笑いをしながら、ジョゼは俺の背中をバンバンと叩く。そして、日が沈むころになって、やっと彼女は落ち着いてくれた。
*
木々の影に沈んで行く夕日を美しいと感じながら、俺はジョゼに声を掛ける。
「さて……。もうそろそろ帰らなきゃな。……あいつらは? 」
「この大馬鹿者の事をよろしく頼むと言って、帰って行かれました。」
言っても魔力の塊をぶつけられただけだからな。ただ石とか岩とかじゃなくて氷山をぶつけられたようなもんだけど。
「そうか……。ただ、この時間から五階層を抜けるのはちょっと厳しいな。アーデルハイドに頼んで、ここにキャンプを張らせてもらうか……。」
「また気絶するつもりですか? もう、アーデルハイドさまからは、落ち着くまでここに居て良いと申しつかってます。」
呆れたようにジョゼが言う。
もう一度あの暴風を食らう事になるかと覚悟しかけていただけに、思わずホッとため息がでた。
「それは良かった。じゃあ準備するかね……。」
「いえ。大丈夫です。アーデルハイドさまからいただいたものがありますので。」
「……? 」
*
そのミスリル製の立方体の周りには、魔方陣が浮かび、ゆっくりとその周りを回っていた。立方体には、複雑な紋様が彫り込まれており、魔方陣と干渉する度に淡い緑の光を放っている。
「遊びに来るときには、これを使って欲しいとアーデルハイドさまが……。」
ジョゼの手のひらの上に浮かんでいるのは、アーデルハイドお手製の、古代技術を用いた転送装置だと言う事だ。
今日のお茶会は、皆にとっても相当楽しいものであったらしく、また日を改めて開催する事になったらしい。ただ、ここに来るには、また黒い森を越えてこなくてはならないとの話題になった時、皆に配られたのだそうだ。
大体、大陸の半分くらいの距離であれば、この草原まで一瞬で飛んで来られるらしい。
くそう。あの龍め、こんな便利なものがあるなら、俺たちにも寄越せよ。
「わらわを護る騎士が、あんな魔物どもを越えて来られないのではいかんじゃろう? ってリカルドさんが言われてましたよ? 」
「……。」
まるで、俺の心を読んでいたかのように答えるジョゼの顔を、じっと見てみる。
…そっか。ちなみに読心魔法とか使える?
また心の中で考えてみた。
「いえ。そんな便利な魔法は使えませんよ? 」
「……おかしい。」
「エルは、ひねくれてるようで解りやすいですからね。」
「ずいぶんと言うようになったじゃないか? ジョゼ。あ、目的のものは? 」
「はい。ちゃんとここにあります。」
手のひらほどの漆黒の鱗を、ジョゼは胸元から取り出して見せる。
頑張った甲斐があったとホッとする。
「よし、それじゃ戻ろうか。それでは、私も街まで連れて行ってもらえますかな? お姫様。」
「……ええ。もちろんですわ。わたくしの騎士どの。」
おどけて言う俺に合わせるかのように、ジョゼは手を差し出す。まるで、本物の姫様のようだと思いながら、俺が跪い手を取る。
ジョゼが呪文を口の中で呟くと、俺たちの姿は淡い緑の光に包まれた。
*
緑色の魔力の光が消えると、俺たちの目の前には、見慣れた光景が広がっていた。
「こりゃすごいな。」
「本当ですね。」
俺たちは、クロトワの街の入り口近くまで戻って来ていた。
緑の光に包まれた次の瞬間には、ここに戻って来たのだから凄いものだと思う。
エルフのオーディンの奥さんのヴァリッサさんが、その構造に大興奮して、さらに中身を見ようとして、あまりの精密さに卒倒しかけたと言う話も納得出来た。
ただ、もう日が落ちている事もあって、城門は固く閉じられていた。
「ああ……。もうちょっとだけ、冒険がしたかったな……。」
ジョゼが名残惜しそうに呟く。
あと少し、門の中に入ってしまえば冒険は終わり。明日には、ジョゼも王都へと帰ってしまうのだろう。
その前に、彼女に伝えたい事は、まだ言えていなかった。
「またいつでも来れるさ。もう、門は閉まってるから、今度は中まで転送お願い出来るかな? 」
「それは出来ませんよ? 」
ジョゼが首を傾げながら言う。
「……? 」
「この装置が使えるのは、一人で1日二回まで。二人なら一回までです。あとはマナを補給しきるまで1日掛かります。」
「お……。それじゃ、街に入れないじゃないか。」
「へ……? あの隠し通路があるのでは無いですか? 」
「すまない。言ってなかった! 」
これは言っていなかった俺が悪い。
突然人が現れては、何事かと思われるだろうと、ジョゼは気を利かせてくれた。だが、俺は領主館に直接戻るのだと思っていた。
だから、今日は粉挽きの日である事を完全に失念していた。
*
「あ、本当に不寝番の方が居ますね……。」
水車小屋には、煌々と灯りがともり、不寝番の物や、小麦を持ち込む者が常に出入りをしていた。
「本当にすまない。いくら隠密魔法を使っても、扉は開けなくちゃならないし、そうすると隠し通路が丸見えになってしまう。」
普段は、閉門前に必ず帰って来るため、敢えてアーデルハイドの下に行く日を、水車小屋の解放日にしてあった。
「仕方ないですよ。でも……これからどうしましょう。」
「朝にまた黒い森の入り口から出よう。」
「それじゃ、今日は野宿ですか!? 」
嫌がるかと思ったが、ジョゼはむしろ楽しそうにしている。
もう少しだけ、ジョゼと冒険が出来る。
そんな喜びが、なぜか胸を締め付けた。
*
「もどって来ちゃいましたね。ここに。」
「そうだな。なんだかあっという間だ。」
俺たちは、訓練場前の洞窟に戻って来ていた。ここに初めて彼女を連れてきてから、一週間と経っていないのに、ずいぶん濃密な時間を過ごした気がする。
ここなら灯りが漏れたとしても気がつく者はいない。それに、常に魔物や盗賊を警戒しなくてはならない森の中よりも、見つかり辛いここの方が安全だからだ。
俺は腰に着けていたカンテラを、岩のくぼみへと置き、天幕を張る。
床には枯れ草を敷いてその上に柔らかい羊毛の毛布を敷き、寝袋を二つ準備する。
これが腰ベルトに着けたアイテムボックス一つに収まるんだから、魔法って凄い。
「今から食事の準備をするから、もうちょっと待ってて。」
「ごめんなさい。私、何にも手伝えなくて……。」
「いいさ。これから覚えて行けば。」
「……そう……ですね。」
俺の後ろから聞こえた声は、なぜか消えてしまいそうなほど儚く響いた気がした。
*
アイテムボックスと言うものは、本当に便利なものだ。出来立ての食材を入れておけば、そのままの状態で取り出す事が出来る。
最初はテーブルも無い中で、床に置いた食器棚から食べる事に驚いていたジョゼも、今はもう慣れたようで、大皿からよそった料理を、自分の取り皿へと取り分け、小さな口で嬉しそうに食べる。
食事を済ませ、お茶を淹れる。
何度もここで繰り返した事が、今は特別に思える。
火の魔道具のうえに置かれたポットから、まだ微かに立ち上る水蒸気さえ、かけがえのないものに思えた。
「私、本当に何も知らなかったんだなって。」
茶を飲んでいたジョゼが、ぽつりと呟くように言う。
「全てを知ってる奴なんて、誰も居ないさ。」
「こうして天幕に泊まるのも、初めてなんです。だから、今回は、初めての事だらけなんですよ。」
「ずいぶんな箱入り娘だったんだね。」
……止めろ。そんな話は聞くな。
「そうですね。確かに箱に入っていたのかも知れません。」
……止めてくれ。それ以上は聞きたくない。
「お転婆が過ぎて、閉じ込められていたとかかい? 」
わざと核心を外してトボける。
「ふふっ……。そんな風に見えますか? 」
「剣を振るっている時は、そんな感じに見えるかもね。」
「戦っている時って、私、そんな感じなんですか? 」
「うーん……。確かに、怖って思う時はあるかも。」
ひどいといって、ジョゼが俺をポカポカと叩き、笑い疲れたのか、毛布の上に転がる。
一瞬だけ、視線が交錯するが、すぐにお互いに目を反らせた。
「うわー。枯れ草も結構良い匂いがするんですね! 」
「集め方にコツがあってね……。」
茶番だと思いながら、二人で下らない話を続ける。
お互いの腹の内を全て晒け出してしまえば、どれほど楽になるだろう。
ただ、核心を反らして話せば話すほど、胸の苦しさは深くなるばかりだ。
*
「明日には、王都に帰るんだよな。」
「ええ……そうですね。」
散々笑ったあと、俺たちは別々の寝袋へと入っていた。
カンテラももう吹き消してあり、洞窟の入り口から入ってくる月明かりだけが、天幕の中を照らしていた。
胸の中に、気持ちが溢れ、もう押し留める事が出来なくなった。
「もしさ……もし良かったらなんだけど、ジョゼはこっちで暮らす気は無いかい? 」
我慢していた言葉が、とうとう口から溢れ出る。
「こっちって? 」
「……クロトワの街でって意味。」
今なら誤魔化せる。そう思って文言を考えたが、口から出てきたのは、溢れた言葉を肯定するものだった。
「そう……ですね。私もそうしたい……」
言葉を言いきれずに、彼女から嗚咽が漏れる。俺は、寝袋のまま彼女に近付くと、その頭を抱き寄せた。
もう発した言葉は戻せない。
どれだけ後悔しても、もう賽は振られてしまった。
これだから俺は自分が嫌いだ。
大切な人を悲しませる事しか出来ない。
俺は、そのまま彼女が泣き止むまで、その頭を撫で続けた。
*
気が付けば、彼女は眠ってしまっていた。
入り口に置いた魔除けの鈴がチリンと小さな音を立てる。
俺は寝袋を這い出ると、洞窟の入り口へと向かう。
「ディータさまには、伝言は伝えてあります。」
風に乗って、小さな声が聞こえる。
「なんと? 」
「街では騎士団は特に問題は起こしておりません。ただ、ジョゼと名乗る少女が戻って来るまで、この地を離れぬと言っていると。」
「解った。数は。」
「中隊規模。100人程度だと思われます。ただ……。」
「ただ……どうした? 」
「スヴェン男爵領に、行軍演習として、王都から大隊規模の人員が向かっており、明朝到着予定との事です。」
「……わかった。」
結局、第一騎士団を受け入れざるを得なかった時点で、終わりは見えていたのだ。
帰さなければ、どうなるか解っているなと言う事なのだろう。
「この地を離れられるなら、ディータさまも、私どももお供いたします。」
「余計な事は考えなくていい。」
「承知いたしました。」
気配がスッと消えて、辺りにはまた静寂が訪れる。
俺は、小さく息を吐くと、覚悟を決める事にした。