5話 彼女の誤解
第一章、全十一話中の第五話です。
所用のため、更新が遅れました。
暗い通路を歩く間、彼女…ジョゼは小刻みにカタカタと震えていた。
俺たちは、クロトワの街に帰って来るときに使った隠し通路を、今度は逆に辿っていた。
今日は戦闘がメインになるので、防御魔法がこれでもかと掛かった鎧を着てきた。傍目には、冒険者が着けているような安物にしか見えないだろう。
未だに金属鎧をカタカタと言わせているジョゼに振り返る。
怪我をした翌日に、またあの黒い森に行かねばならないのだから、震えてしまうのも仕方がない。
「あ……あの……。」
「なんだ。」
「……出来たら、最初は建物の中の方が……。」
おずおずと、鎧姿のジョゼが口を開く。彼女が着用しているのは、こちらの世界の姉が、十七の時にしつらえた鎧だ。
ジョゼの身長に、ちょうど良いサイズだったので、四階層で捨ててしまった鎧の代わりにと下賜したものだ。
こいつは、親父が娘に怪我でもされたら敵わないと、防御魔法だけではなく、あのアーデルハイドの加護まで掛かっている逸品だ。巨人熊の爪の一撃を喰らったくらいでは、傷一つ負わないだろう。
ただ、傍目にはこいつもただのプレートメイルにしか見えない。質実剛健を是とする、我が家らしい出来だ。
胸のあたりの革ひもを、先程から何度か弄っていたところを見ると、どうやら新しい鎧に違和感があるらしい。
慣れるまでは、建物の中での訓練の方が良いと言う事なのだろう。鎧を調整するには、ある程度肌も晒さなきゃならないしな。
だが、そんな事を聞いている暇は無い。何せ、残りは五日しかないのだ。
当日は、朝から黒い森に入らねばならないから、実質、四日間だ。
「建物の中? ほう。一人前に場所を指定するのか? 」
「……い、いえっ。そういう訳では…。」
「休む場所はある。だから安心しろ。」
「……わかりました。」
ジョゼの諦めたように小さなため息が、暗い通路に響く。
「よし。ちょっと離れろ。」
「……はい。」
俺は、ジョゼを下がらせると、隠し通路の出口となっている、水車小屋の探査を行う。領主が所有する粉挽き用の水車小屋だけあって、近づく者は領主館で使う小麦粉を挽きに来る御用商人くらいしかいないはずだ。
今日は、石臼挽きの予定も入っておらず、人が居れば、それは不法侵入者となる。
「誰も居ないな。」
念のため、周囲1キロまでを再度探査してから、隠し扉の解錠の呪文を唱え、扉を開けると、粉まみれの石臼の横を通り、外へと出る。
森の中は、まだ朝の静謐な空気が残っており、少しだけ肌寒い。木漏れ日が水車を回す小川に反射してキラキラと輝いていた。
「今日は良い天気だ。きっと気持ちが良いぞ。」
「はっ……はい……。」
さらにジョゼの目が死んだように色を失う。俺は、そんな彼女に構わず、先に立って歩き出した。
*
今朝、ジョゼの古代龍に会えるならなんでもすると言う、誓いの言葉を聞いてから、俺は早速準備に掛かった。
ジョゼの言っていた、呪詛による病を治すのに、龍の鱗が必要だと言う話は、ジョゼと話している間に、ディータがマギーに真偽の確認を取っていた。
有名な冒険者パーティーの聖職者であった彼女は、薬師としても優秀であったからだ。
そして、メイドたちに、ジョゼの訓練の準備をさせている間に、事務官に言いつけ、貴族の間で、母親がもう長くないと言われた話は無いかを調べさせた。いくら、領地に引きこもっている俺でも、貴族同士の冠婚葬祭に関しての付き合いからは逃れられない。
むしろ、商売の付き合いよりも重要だったりする。
資料として纏めてある、我が家独自の紳士録だけでは無く、最近届いた手紙にも、18の娘を持つ母親が、病に臥せっていると言う情報は無かった。
有力な商人の娘にも、該当するような話は無い。
この報告を受けた俺の喜びを解ってくれるだろうか。
単独で黒い森の三階層を突破し、四階層でも直ぐには死なないような逸材が、向こうから勝手に転がりこんで来たのだ。
しかも、マナーの心得もありそうだ。
貴族ではないのであれば、養子に迎えるのも問題が無い。
夢のリタイア生活がぐっと近づいたのだ。
欲を言えば、男であったならとは思うが、それは贅沢に過ぎると言うものだ。
*
「あの……どちらでするのですか? 」
感涙にむせびそうになっていた俺に、ジョゼから声が掛かる。
「今日は、黒い森の傍ある洞窟に行く。我が家の秘密でもあるから、心してくれ。」
「洞窟……ですか……。」
さらに顔色まで蒼白にして、小刻みにカタカタと震えている。
「確かに洞窟は声も響くし、硬い岩だらけだからな。足場も悪いから体勢を整えるのも大変だ。だが、直ぐに慣れるさ。俺がしっかり教えてやるからな。」
「直ぐに……慣れる……。」
励ますつもりが、余計にジョゼが顔色を失う。
四階層まで行けるような腕の持ち主にしては、ずいぶん小心なのだな。
少しだけ残念に想いながらも、それから余計な声を掛けるものでもないかと思い直し、黙って先を歩く事にした。
*
たまに振り返りながら、先を歩いていたが、ジョゼは黙って着いて来ていた。
黒い森の端を通る街道を歩いて、お目当ての大岩から森の中に入る。獣道を100メートルほど入ると、お目当ての崖が見えた。
「さて。ここだ。」
「こんな……ところで……。」
確かに、こんなところで剣の訓練が出来るなどとは思えないだろう。
その洞窟は、黒い森から一段下がった崖の中程にぽっかりと口を開けている。人が一人やっと通れるほどの道が、入り口に向かって続いているが、洞窟に入った者が見られるのは、15メートルほど先で行き止まりとなっている入り口だけだ。
再度周囲を探査して、周囲に誰も居ない事を確認する。
「誰も居ないな。さ、行くぞ。」
足場が良くないので、ジョゼの手を握ると、彼女は一瞬ビクリと跳ねると、諦めたように力を抜いた。
「頭に気をつけてな。」
洞窟の入り口を屈むようにして数メートル進むと、洞窟は急に広くなり、そこで行き止まりとなっている。
「じゃ、準備するから、そこで待っててくれ。用意があるなら先に済ませておくように。」
「……。」
先程から一言も口を聞かないジョゼに声を掛け、入り口近くにある、椅子のようになっている岩を差す。
彼女は、静かにこくりと頷くと、その岩へと腰かけた。
俺はフォストナー家の秘中の秘である、真の黒い森の入り口の起動準備に掛かる。
奥の壁の六ヶ所に分けて配置され、魔法的な偽装が施してある魔方陣を順に起動させないと、この扉は開かない。
さらに、魔力量が一定を越えていないと魔法陣を起動させる事しか出来ないのだから、ずいぶん念入りだ。
後ろから、鎧を直すカチャカチャとした音が聞こえ、集中するにはちょっと気になる。ただ、ここから先は、どれだけ防御を固めていてもやりすぎと言う事はない。
気になる部分があるなら、しっかりと直してもらおう。
俺は、魔法陣の起動にだけ集中して、たっぷり十分ほど掛けて最後の一つ以外の魔法陣を起動し終わった。
預かったままになっていた剣を返そうと、アイテムボックスから取り出し、後ろへと振り返る。
「さ、それじゃ始める……ぞ。」
「……あの……できたらで構いません……どうか優しくお願いします。」
振り返った俺の目に入って来たのは、一糸纏わぬ姿のジョゼの肢体だった。
洞窟の入り口から入る光で逆光となり、こちらからははっきりと見えない。ただ、魔法陣から照らされる淡い緑の光によって、彼女が胸と局部を手で隠し、泣きそうな表情を浮かべているのだけは解った。
その緩やかな曲線の美に、思わず生唾を飲み込む。ただ、左の脇腹に残る大きな傷痕が痛々しかった。
「何を……している……? 」
「あの……ここで"する"のでは……? 」
その時、やっと俺は、彼女が手籠めにされるものだと思っていた事に気がついた。
『巷の噂では、女と見れば見境の無い性獣と伺っております。』
ディータに言われた言葉が、頭の中をぐるぐると回る。自分がどう思ってうと、世間の評価は放蕩三昧の色狂いなクソ領主だ。
そんな男に、何でもするかと問われれば、若い娘なら手籠めにされると覚悟してしまっても仕方ないだろう。
「……すまない。俺がどう噂をされているのか忘れていた。鎧は手伝うから、まずは服を着てくれ。」
「……? 」
俺がマジックバッグから再びシーツを出し、その白い肩に掛けると、彼女はへたりと座り込み、やっと緊張の糸がほぐれたのか、大粒の涙をポロポロとこぼした。
*
彼女が泣き止んだのは、それから三十分ほど経ってからだ。
俺は、休憩用にと持って来た魔よけの加護の掛かった天幕を張り、中で彼女を着替えさせた。
服を着こんで、おずおずと出てきた彼女に、手頃な岩を差す。
「鎧のストラップを締めながら説明するから、まずは座って? 」
いつも意識している、領主らしい尊大な言葉使いは鳴りを潜め、素のままの話し方になってしまう。
鎧を一人で着用するのは難しい。脇腹のあたりで留めるだけの鎧ならともかく、複雑な形の金属板を、革紐で組み合わせたプレートメイルは、脱ぐのはともかく一人で着用するのは不可能だ。
「あの……。す……。」
「謝らなくていいから。まずは座って聞いて欲しい。申し訳ないのはこっちだし。」
「はい……。」
数十箇所もある革紐が、ところどころ緩められた鎧をジョゼに被せ、ある程度抵抗のあるところまで締めていく。
金属板同士に隙間が開いてしまっては、防具としての意味が無くなるから、慎重にだ。
「今日は、我が家秘伝の訓練を受けてもらうつもりで来たんだ。」
「秘伝の訓練……ですか? 」
「そう。あの古代龍に会うには、黒い森の五階層を越えて行かなきゃならない。ジョゼが倒れていたのは四階層だけど、五階層の魔物は比較にならないほど強くなる。」
「はい……。」
「ただ、我が家には、ちょっと変わった訓練方法が伝わっていてね。人以上の力を持たせる事が出来る。」
「それで、フォストナー伯爵さまも……。」
「あ、外で俺を呼ぶ時は、冒険者のエルンストと。誰が聞いてるか解らないからね。」
「はい……解りました。エルンストさま。」
「さまも要らないよ。親しい人は、俺の事をエルって呼ぶから。」
「はい……では……エル。」
「よし出来た。どこかキツいところはあるかい? 」
「ちょっと胸のあたりが……。でも大丈夫です! 」
あの爆乳の我が姉の着用していたものだからね……。仕方ない。
ジョゼは、スッと立ち上がると、鎧の感触を確かめる。耳障りなカチャカチャと金属同士が触れあう音も最小限に出来た。
我ながら、なかなかの出来映えだ。
俺も、アイテムボックスから我が家に伝わる宝剣を取り出す。見た目はゴブリンが持っていてもおかしくないようなボロボロの長剣だが、こいつにしか出来ない特殊な効果がある。
軽く魔力を流して、感触を確かめる。
「それでは、君にやってもらう事を説明しよう……。何でも言うことを聞いてくれるかい? 」
「……はい! 」
今度は、出来るだけ朗らかに笑って言う俺に、ジョゼは屈託のない、美しい笑顔を初めて向けてくれた。
*
「あの……これで本当に……? 」
返り血を浴びながら、ジョゼは不安げに俺を見返す。辺りには、巨人熊の亡骸が転がっている。数にして数十と言ったところだ。
「ああ。それじゃ、次は一人で行ってみよう。危なくなったら、俺が助けに入るから。……そろそろ消えるぞ。」
「はい! 」
洞窟の封印を解き、扉を開けた先は岩石を削り出したブロックで出来た巨大なドームになっている。こんな高さのものが、崖を一段降りただけの場所に作れるはずが無い。
あの入り口は空間がねじ曲げられており、実際にこのドームがあるのは、五階層の下になる。
それなら、ここから穴を掘って五階層に繋げれば、わざわざ歩いて行く必要も無いのだが、古代の魔法技術で作られたその岩は、傷一つつける事が出来ない。
そして、この施設の最大の特徴は、自分が望む魔物の群れを、自由に作り出せる事だ。
巨大熊の亡骸が光の粒となって消え、また複数開いている入り口から、同じような体格の巨大熊が出てくる。
この訓練場の残念なところは、倒した魔物の亡骸が、直ぐに消えてしまうところだ。
もし、素材が剥ぎ取れれば、今ごろは大金持ちなんだけどな……。
「行きます! 」
ジョゼの声が、ドームに木霊する。
そして、その背中が魔物の群れへと突っ込んでいった。
*
ジョゼは、剣を握ったり離したりしながら、信じられないと言った表情で自分の手を見つめている。
俺たちは、ちょっと休憩にしようと、先程入り口近くに張った天幕へと戻って来ていた。
俺は、アイテムボックスから野営用のティーセットを取り出して、茶を立てる。
ジョゼの元々の戦闘能力は、予想どおり相当高いもので、剣筋にも体幹にも一切のブレが無い。
ゴブリンだけではなく、オーク程度なら、最初から一人でも危なげが無かった。
「まさか……。こんな方法があるなんて……。」
「盲点みたいなものだからな。あとは、こうした設備と剣が無いと難しいし。」
「確かに……。そうですね。」
俺が立てた茶を、カップとソーサーを手に持って、ジョゼは上品に楽しむ。
このフォストナー伯爵家に伝わる訓練場が、いつからあるのかは解らない。やっていることは、RPGをやった事があるなら解ると思うが、俗に言う『養殖』って奴だ。
魔物を最後に倒した奴に経験値が入ると言う事は、この世界でも古くから知られている。
強い奴が倒し、瀕死の魔物を弱いメンバーが止めを刺す。
それでパーティー間のレベルを合わせるのは良く使われる手法だ。
それは、魔物が死ぬときに放出する魔力に秘密がある。魔物を倒した時、放出された魔力は、倒した者の身体を通って、また大地へと戻って行く。
その際に人間の身体の中を通る、魔力の流れ道……魔力回路は、急激に増える魔力によって、少しずつ、太く、強くなっていく。
結果、扱える魔力量が増え、ただの筋力だけでは出来ない動きが可能になる。だから、強い……魔力の大きい魔物を倒せば倒すほど、能力が上がる。
これが、この世界での経験値と呼ばれるものの正体だ。
ただ、問題なのは、相手がどの程度ダメージを負っているのかを知る手段が、目視しか無い事だ。経験を積めば、ある程度は解るようになるものの、それも完璧では無い。
弱った振りをしていた魔物に止めを刺そうと近づいた者が、逆に殺される事など、枚挙に暇がない。
それに、フィールドに出れば同じレベルのモンスターばかりが出て来るのではなく、弱いのから強いのまでバラバラだ。
さらに、強い魔物ほど数が少ない。
しかし、この訓練場と宝剣は違う。
「魔物を瀕死の状態にする宝剣と、任意の魔物出現させられる訓練場……だからな。」
「最初は、一体いつまで続くんだろうって思いました……。」
これくらいなら大丈夫だろうと、巨人熊に狙いを定め、ひたすら俺が瀕死にして行き、ジョゼが止めを刺す。昨日襲われて、為す術もなく食い殺されそうになった魔物に、最初は恐れて震えていたジョゼも、直ぐに慣れたようで、危なげなく止めを刺して行った。
それを、数回繰り返した後、いつの間にか自分が、一人でも大群を相手に出来るようになった事に気がついたのだ。
「いや、まだまだ続けるぞ。次は……。」
「また巨人熊ですか? 」
「いや、次は鷲獅子だな。また俺が狩るから、止めをよろしく。」
「……はい。」
柔らかく笑う彼女に、俺の胸が少しだけとくり……。と鳴った。