1話 草原の少女
「わらわ、"おちゃかい"がしたい。」
黒髪を長く垂らした美しい少女が、そう宣言するように言った。
円形に広がる草原の中央。真っ白なテーブルを囲んでいるのは、少女の他に三人。
メガネを掛けたエルフ。
筋骨隆々の獣人。
そして、人間族の俺だ。
テーブルの上には、繊細な模様の入ったティーカップが並べられ、湯気の立つ茶が振る舞われている。
澄ました顔でお茶を楽しんでいる少女の他は、一様に取り繕った笑顔を浮かべ、玉のような汗を浮かべていた。
男三人が極度に緊張しているのは、先ほどの少女の言葉によるものだ。
なにしろ、一つ言葉を間違えば、俺の真正面の少女に、どんな罰を与えられるか解ったものではない。
おちゃかい? おちゃかいってなんだ?
黒髪の少女は、歳の頃は十四から十五くらい。絵画から抜け出して来たようなとびきりの美少女だが、その正体は、齢千年を超える古代龍だ。
信じなくても俺はかまわないが、そうして不敬を働いたある貴族が、本物の雷を落とされた話は 、こちらじゃ有名な昔話になっている。
周りには、茶の準備をしたメイド達が並んでいた。よく見れば全員が石人形だ。
普通は、一体を術者三人がかりで動かすような物だが、十数体のメイドたちは、遠目には人間にしか見えず、自分の意志があるかのように働いている。
「あの……おちゃかい?……ですか? 」
硬直していた俺たち三人の中で、一番最初に口を開く事が出来たのは、エルフの男だった。そのエルフ……オーディンは、おちゃかいと言う単語が解らないとでも言うように聞き返す。
「なんじゃ? 知らんのか? お主ら。"おちゃかい"とはな、若い娘たちが集まって、お茶とお菓子を楽しみながら、キャッキャウフフと楽しく語らうことじゃ。」
黒いドレス姿の少女は、見た目の歳にしては慎ましやかな胸を張る。
「……それは…知ってますけど……。なんでまた……。」
次に口を開いたのは獣人の男だ。その獣人……リカルドの狼の耳が、その驚きと困惑を表すように、頭にへばりつくように垂れていた。
「何でもなにも、若い娘は"おちゃかい"を楽しむものなんじゃろう? わらわも若い娘じゃからな。」
どこが"若い娘"だ! と、俺を含めた三人は一様に内心で突っ込みを入れる。
「……で、我々に何をしろ……と? 」
突っ込みを入れられたおかげか、最後に、やっと硬直状態から抜け出せた俺が尋ねた。
「決まっておるじゃろう。わらわが開く"おちゃかい"に招待する者を紹介して欲しいのじゃ。なにせ、わらわにはレイアしか女の子の友達が居らんしのう……。」
なんだか、とても悲しい話が聞こえた気がするが、記憶の外に追いやる事にする。
「我々と、こうしているのも、お茶会みたいなものだと思うのですが…。」
エルフのオーディンが、真にもっともな質問をする。
もっと言ってやれ。
「何を言っておる。"おちゃかい"は若い娘が友人同士でするものじゃ。そして、殿方のあれやこれやを、娘同士で情報交換するのじゃ。」
ずいぶん片寄った"お茶会"観だが、間違っているとも言いきれない。
俺たちは、この少女が貴族の娘たちがするような、お茶会をしたがっている事を、やっと理解することが出来た。
「……場所はこちらで……ですか? 」
エルフが、汗が垂れた眼鏡を拭きながら質問する。
「もちろんじゃ。今回はわらわが招待するのじゃからな。レイアも最初は自分から誘わないと、"おちゃかい"の誘いは、なかなか来ないと言っていたからのう。」
「しかし……ここに来られる女性となると……。」
獣人は尾を地面に擦るほど下げながら、一番大事な問題を、おずおずと切り出す。
「それは、おぬしらに任せる。……後は頼んだぞ。わらわは眠くなった。」
そう言って、あくびを一つ噛み殺すと、少女は石人形のメイドたちを引き連れて、石造りの神殿のような彼女の邸宅へと帰って行く。どうやら、俺たちの意見など、一切聞くつもりは無いようだ。
これだから、女は苦手だ。
特に偉くて強い奴は。
*
「おい……どうすんだよ。これ。」
少女……アーデルハイドが建物に入ってしばらく経ったのを確認してから、この無茶振りをどうするかを、エルフのオーディンと獣人のリカルドの顔を見ながら問いかける。
初めて、その真名"アーデルハイド"と言う名前を聞いた時、頭の中にヨーデルが流れたのは秘密だ。どうせ、この世界の誰に言っても面白さは解ってもらえないし。
その名を訳せば"高貴な姿"となる。実際、名が体を現すのは認めざるを得ないけどさ。
「どうすんだって言われてもな…。」
獣人のリカルドの顔は、少しだけ精悍さを取り戻し、耳も今はちゃんと立っている。ただ、その顔には、難題をどうするかと眉間に皺が寄っていた。
「とにかく、形だけでも整えなくてはなりませんね…。ちょっと若い娘でここに来られる方は、すぐには思い当たりませんが。」
エルフのオーディンが、やっと拭き終わった眼鏡を掛けなおすと、現状で考えられる最善を尽くすしか無いと提案して来る。
なんとか正気を取り戻した俺たちは、今回の無理難題をどうしようか頭を抱えていた。
ここが普通の場所なら問題ない。年ごろの娘を連れて来れば済むだけだ。
ただ、この場所は、普通ではない。
「私は……。いっそのこと、妻を連れて来ましょう。 」
しばらく悩んでいたオーディンが、意を決したように言う。確か奥さんは二百歳ちょっと。ただ見た目は人間の二十代前半と言ったところだ。長命種の年齢感覚は難しい。
「お……! その手があったな! 俺もアニタを連れてくるわ! 」
なんでそれに気がつかなかったと言わんばかりに、リカルドが喜ぶ。奥さんは、二十代半ばだったはずで、人間と年齢感覚は同じだ。
確かリカルドの一つ上だと聞いた覚えがある。
「待てよお前ら! 俺は……。」
良かったと胸を撫で下ろすような二人に、俺は文句をつける。
確かに人妻と言う点を除けば、二人とも若い娘である事に間違いは無い。無いったら無い。
以前にオーディン宅に遊びに行った際に、年齢の話になった時の奴の怯えようを見て、俺は余計な事は言うまいと誓ってるんだ。
それに、魔術と剣術の達人であると言うアドバンテージもある。
若い娘の範囲を広げれば何とかなる奴らと違って、俺にはそんなお願いを聞いてくれるような、嫁さんも恋人もいない。
お茶しない? 命懸けだけど。みたいな口説き文句で声を掛けて、女の子を連れて来られる技術があるなら、今頃はナンパの帝王と呼ばれてるだろうな。
「それは、ひたすら結婚を遠ざけて来た貴方の責任でしょう。」
「そうだぞ。俺たち身分のある者の使命は、血を遺す事でもあるんだ。いつまでも遊んでばかりではな…。」
ニヤニヤと笑いながら連中は答える。どうせ、俺が何度も結婚を申し込まれてる奴の事を、思い浮かべているのだろう。
くそう。こいつら、自分たちはもう打開策が見つかったと余裕の態度でいやがる。
「おい待て。結婚しない理由はお前らも知ってるだろ? 」
そんな、俺の抗議にも、奴らはニヤニヤ笑いを止めない。
「こちらでも噂になってますよ? フォストナーの領主は、いつまでも結婚しないで領地をほったらかしで遊び回っているとね。」
「うちでも、自分の女を副官に据えて、好き放題の放蕩者だって噂を聞いたな。」
ま、そんな噂が出てるのは知ってる。街を歩けば、ひそひそと噂をする声がきこえて来るし、副官が俺の悪口に関しては、むしろ喜んで報告してくる。
「……あのなぁ。領地から姿が見えなくなるのは、ここに来てるからって知ってるだろ!? 」
「ま、結婚しないからそういう噂が立つんだ。仕方ない。」
「そうですよ? あなたも、もう人族の適齢期をかなり過ぎてるでしょう。あの方で決めてしまってはどうです? 」
確かに、この世の中では、二十を過ぎて独身でいるなど、世捨て人か相当な問題がある奴だと思われる。ただ、愛情も無い……いや、ただ勝った負けたって理由で、結婚なんぞ決められるか!
いや……ちょっと待て、今はそんな話をしてる場合じゃない。
「俺の結婚の話はもういい。お前らは、ここに連れて来るのは大丈夫なのか? 」
「うちのヴァリッサは元々王族ですしね。戦闘能力も私がサポートすれば、問題ありません。 それに、私が命じれば拒まないでしょう。」
エルフのオーディンが、メガネを中指でくいと上げて自慢げに言う。
「うちも大丈夫だ。アニタも貴族の娘だし、ここに来るのも問題無い。俺が言いつければ一発よ。」
獣人のリカルドも、自信満々だ。
ずいぶん威勢の良い台詞が聞こえたような気がするが、まあいい。二人とも相当な恐妻家だと言う事は、散々耳にも目にもしていたが、彼らの名誉の為に黙っておく事にする。
とりあえず連中は、エスコートしてくる女性を確保出来たのだ。
「……。それじゃ、あとは俺が誰か連れて来れば良いんだな。」
「そうだね。急ぎで頼むよ。」
「ま、一応三国で差が出来るとマズいしな。」
古代龍から要望があった場合は、エルフと獣人と人間の三国が協同して、または、三国とも同等なものを用意することになっている。
加護がどこかに片寄らないようにするためだと、人間種の偉い人たちが勝手に決めた協定だが、無視する訳には行かない。
アーデルハイドは、そんな事を気にするタイプでは無いんだけどさ。
あとは俺が連れてくる女性を見つけるだけとなったので、会は、その後直ぐにお開きになった。
*
「まいったな……。」
草原からの帰り道、頭を掻きながらそんな愚痴が出る。
考え事をしているのに、森の木々の中を、遠くから近づいてくる、うなり声がうるさい。
別に、普通のお茶会に連れて行くような女性に心当たりが無いわけじゃない。これでも、一応は伯爵位を持つ領主だ。
ただ『戦闘力を兼ね備えた』と、枕詞が着くと、いきなりハードルが上がる。
先ほどからのうなり声は、もうすぐ近くに来ており、木々をなぎ倒しながらすぐ背後に迫っていた。
「あー!! 考え事してんのにうるせぇ!! 」
苛立ち紛れに、大樹の陰から飛び出して来た、身の丈10メートルほどもある、巨大な羆を切り伏せた。潰れたような重低音と、土埃が当たりを騒がせる。首が無くなった羆の胴体は、周りに真っ赤な雨を降らせていた。
通常であれば、この王羆は、一匹を相手にするのに、大隊級の兵士が必要な魔物だ。だが、こいつがいくらその上位種の老獪であったとしても、ここでは大した魔物ではない。
なにしろ、ここは最難関の地上型ダンジョン、黒い森の四階層と呼ばれる場所だからだ。
*
―――このダンジョンは、森の入り口から5キロメートル毎に一層から五層と分けられており、五階層より先はどうなっているかまだ解明されていない。
冒険者組合の資料には、こう書かれている。
実際、公式には、四階層よりも先にたどり着いた者はおらず、未攻略のダンジョン扱いだ。
ただ、少女の居た草原は、その最奥部、六層目にあたる。
なんで俺がそこまで行けるのかは、我が家に伝わる秘密のおかげだ。
*
王熊が動かなくなると、また森の静けさが戻り、無理難題を吹っ掛けられ、ささくれ立った心も、八つ当たりが出来て、少し落ち着いた。
漠然と考えていても仕方がない。今日アーデルハイドから命じられた事を、自分の言葉にしてみる。
「ええと……。この黒い森を、俺の助けがあるとは言え、何とか抜ける事が出来て、さらに礼儀作法もしっかりしている若い娘を連れてこい……だと……? 」
言われた瞬間に無理だとは思っていたが、言葉にすると、さらに絶望感が深まる。
「あー無理だ、無理。」
一瞬だけ、バカ冒険者のレイアの顔が浮かぶが、元々の知り合いであるレイアを、俺が連れて行ったとしても、あの少女……アーデルハイドは喜ばないだろう。
それに、そもそも"おちゃかい"なんて話を吹き込んだのも、自由にあの草原まで行ける、レイアに違いないのだ。
「もう……ホントにどうしてこうなった……。」
ため息を付きながら、襲いかかって来た鷲獅子を切り捨てる。こいつらが出てきたと言う事は、既に四階層も半分ほどに入っていると言う事だ。やっと警戒のレベルを1ランク落とす事が出来る。
俺は、全速力で走っていた足を、長距離走程度のペースに落とした。
ここからは、多少道も出来ているし、夕暮れまでには領地の街であるクロトワに戻る事が出来る。とりあえず、今回も無事に帰ることが出来そうで、ホッと胸を撫で下ろした。
*
俺の名前は、エルンスト・フォストナー。もうお分かりの通り、日本からの転生者だ。
フォストナー伯爵家の十六代目当主で、こちらでの年齢は二十一になる。
当家の初代にあやかってつけられたエルンストと言う名前は、少し古めかしいが、気に入っている。
俺は、ストレスによる過労死を経験した後、憐れんだ女神の計らいで、この世界の貴族の長男として産まれる事となった。
このフォストナー伯爵領は、黒い森に接している。上空から見れば三角形の、この森林型のダンジョンは、50キロメートルほどの幅に広がっている。
このダンジョンはちょうど国境地帯にあり、その中はどこの国にも属さない。
地理的には、三角形の左辺が獣人の国ブルトヌント、右辺がエルフの国ヴェルンド、そして底辺が我らの国と国境を接している。と言えば解りやすい。
そして三角形の外縁部には、三国を結ぶ街道が整備され、馬車がひっきりなしに往復している。三角形の頂点からは、三方向に山脈が伸び、この交易路以外は、一人が歩いて通るのがやっとの山道があるだけだ。
わが領地は、この立地から、交易とダンジョンからもたらされる素材によって、その経営のほとんどを行っている。
それは、エルフのオーディンのところも、獣人のリカルドのところも変わらない。奴らも、この黒い森と接する領地を拝領した領主だ。
そして、我々 三人の国の関係の要となるのが、あの少女、アーデルハイドである。
この黒い森は、非常に特殊な立地の上に立っている。
大地の魔力って聞いたことがあるだろう? あれは、地下をゆっくり流れる龍脈と呼ばれる魔力の流れが、一部地上に涌き出て来たものだ。
ただ、この黒い森の中央部には、地面に直接龍脈が露出し、魔力が溢れ放題になっている。500年ほど前の大戦で、魔王がここに居城を作ったのも、その膨大な魔力があったからだ。
大戦は勇者の勝利に終わったものの、この魔力の流れが溢れたままだと、際限なく魔物が涌き出してしまう。下手をすると魔王の再来と言う事態も考えられた。
だから、勇者は、一緒に旅をしていた龍に、ここで龍脈の流れが変わるまで過ごして欲しいと頼んだのだ。
そして、その龍は、その膨大な魔力を使って、あの草原と神殿を作り上げ、人化の魔法で常に人の姿で居る事にした。
膨大なマナを消費し、龍脈を魔物たちから守護し、そして勇者の子孫たちがいる国に加護を与える。それが古代龍のお役目だ。
ただ、それでも消費しきれなかった魔力が溢れて出来たのが黒い森である。
中央から溢れる魔力のおこぼれを、少しでも受けようと、強い魔物ほど中心部に集まって行く。
それが一階層から五階層まで別れているダンジョンの正体だ。
つまり、あの龍がいなくなると、魔物が溢れ、街道は安全では無くなり、下手をすると我が領地の隣で魔王が誕生するかも知れない、非常に危険な状態となってしまう。
だから、各国の勇者のパーティーの子孫が、孤独を慰める道化として、アーデルハイドの傍に侍る事になったのだ。
職名だけは、アーデルハイドの騎士なんて大層なものだが、実際はそんなもんだ。
もちろん、黒い森と接する三国の王家も、交易によってもたらされる莫大な利益を当てにしている。
フォストナー伯爵家は、その道化としての価値を認められ、辺境伯としてその地位を安堵されており、王宮への出仕の必要も無しと、かなり厚遇されている。
だから、俺も親父が引退して、家督を譲り受ける時に一度王宮に行ったきりだ。
ただ、この仕事は大変なストレスを伴う。ワガママ放題のお嬢様の面倒を見るような毎日に、父親であるエドゥアルト・フォストナー元伯爵は、40手前で二年前に引退した。
それからは、アーデルハイドの騎士として、こんな感じで振り回される毎日だ。
*
あれこれと考えているうちに、俺は街に着く。
少し離れたところで、領主のローブを羽織り、門へと近づくと、警備の衛兵が、俺の姿を見て直立不動の体勢を取った。
「あー……くそっ!」
苛立ちのせいか、呪詛の言葉が口から漏れる。
解決策が何も思い浮かばないまま、俺は衛兵に手を上げて、自宅を兼ねている領主館へと足を早めた。