ep.8 酒天童子③
「俺、踏み潰されちゃいますね」
「お前を潰すくらいなら、このほくそ笑んでる気持ち悪いバーテンダーを踏み潰すぜ」
そう言いながら酒呑童子が指差した九条は、何故かニヤニヤと笑っていた。
「何で笑ってるんですか、九条さん」
「いやぁ、ユタくんをスカウトしてやっぱり正解だったなぁと思って」
九条がそう言うと、酒呑童子が優太を見た。
「お前、ユタと言うのか」
「正確には、優太です」
「優太……ユタでいいか」
「いやだから、何でそうなるんですか」
別にいいですけど、と優太が言うと、酒呑童子がニヤリと笑って、
「天だ」
と言った。
「え?」
「俺様の名前。天って呼んでくれ」
「え……でも、いいんですか? 俺、只人なのに……」
優太が酒呑童子……ではなく、天にそう言うと、天は豪快に笑った。
「そうだな。俺様からすればユタは只人だし、裏切った源頼光とおんなじだ。でもな……」
天は椅子からピョンと降りると、ユタを見上げた。
「お前の事なら、信じてもいいかなって思えたんだよ」
天がそう、照れ臭そうに笑ったところで、チリンチリンと音を立てて扉が開いた。
優太と天が一緒に振り向き、九条が「いらっしゃい」と声を掛ける。
「あ? 何か今日は客が多いな……」
やって来たのは、ロウだった。
そういえば、月が出ているのにロウは来ても大丈夫なのだろうか、なんて呑気に優太が思っていると、天が突然「狼男!?」と叫んだ。
「んぁ? 何だ、この子供?」
「子供じゃねぇ! 俺様は酒呑童子様だっ! つーか、狼男が何でこんな人間のとこに?!」
「何でって……そりゃあ、ここはそういうバーだからな」
「だろ?」と狼が九条に尋ねると、九条はあっさりと「そうだよ」と言った。
「でも、ユタは人間だって……!」
「ユタくんはね。というか、最後まで気づかないということは、僕の勝ちだね。天くん?」
九条はそう言うなり、優太が最初に見たときと同じように、耳と尻尾を出した。
「コンッ」
「きゅ、九尾の狐だと!?」
「せーかーい」
九条が手でキツネをしながら言うと、天は「くそっ」と言った。
「見破れねぇなんて、俺様としたことが……」
「気配を隠してたからねぇ」
「にしても、それなら何でユタがこんなバケモンだらけのところに?」
「あー……それは……」
優太は説明をしようとした。だが、その前に天が優太を見つめ、「……あぁ、そういうことか」と言った。
「事情は察した。ユタも大変だろうが、頑張れよ」
「え、どういうこ……」
「九尾の狐がいるのはちと問題アリだが……また、お前に会いに来るとしよう。今日は飲みすぎたから帰る」
天はそう言うと、さっさと九条が言った金額を支払って、「またな。久しぶりに旨い酒が呑めたぜ」と言って去っていってしまった。
「……嵐のような人だったなぁ」
優太がぽつりと呟くと、九条が「ぶふっ」と笑った。
「何で笑うんです?」
「いやいや、ユタくん。あれは人じゃないから! 鬼だから!」
「そこ、取り上げちゃいます?」
「僕を人間と言うくらい、違和感あるよ」
九条は尻尾と耳をしまいながら言った。
尻尾と耳さえなければ、九条は普通に人間に見えてしまう姿をしている。
ロウにしたって変身しなければ普通の人だし、天も言われなければただの人……というより、子供だ。
──あやかしと人間って、案外曖昧なんだなぁ。
もし仮に、人の中にあやかしが紛れていたとしても分からないだろうな、と優太は思った。
「にしても、お前、なんちゅう格好してんだよ!」
「へ?」
突然のロウの笑い声に優太の意識は思考から現実へと引き戻された。
「あぁ、ユタくんはねぇ、ここのバーで働くことになったんだよ。だから、いじめないであげてね」
「ちっげぇよ! バーテン服の由来は何となくわかる! でも、何でちょんまげなんだよぉ!!」
狼は優太を見ながら、腹を抱えてゲラゲラと笑った。
笑ってくれるのは充分なのだけれども、いくらなんでも遠慮なく笑いすぎだ。
「……九条さん、昨日、狼男さんに出していた、あの黄色いお酒は何というものなんですか」
「あぁ、あれはエル・プレジデンテっていうカクテルでね……」
優太の思惑を読み取ったのか、九条「これと、これと」とエル・ブレジデンテに使うお酒を取り出し始めた。
ロウはそれを見るなり、慌て出した。
「おい待て! えーっと、ユタっつったか!?」
「優太です」
「ゆう……ユタでいいやっ! 笑って悪かった! だからやめてくれ!!」
──……何故、あやかしは人の名前を省略したがるんだろう……。
優太はそう疑問に思いながらも、止めてあげようと「九条さん」とエル(略)の支度を着々と進める九条に声を掛けた。
しかし。
「やめてあげてもいいけど、ユタくんへの教育もあるからねー。一旦、オオカミになってよ、ロウ」
「嫌だわ!」
優太の制止もロウの叫びも虚しく、ロウの前に九条お手製エ(略)が置かれた。
「一瞬なんですね」
「コツは、ロウの方に少しグラスを傾ける事だよ。そうすることによって、ロウから見たときにより丸くなるからね」
「コツとか言ってんなよ、クソガキャア!!」
狼男に変身したロウが全身の毛を逆立てて怒りを表した。
それに対して優太は、昨夜気絶してしまったがためにしっかりと見ていなかったロウの姿に感嘆の声を漏らした。
「昨日見たときは恐怖しかなかったですけど、改めて見たら凄いですね……!」
「何感心してんだ! ユタ!! いいからさっさと戻せ!」
「人間からしたら珍しいもんねー、狼おっさん」
「おっさんじゃねぇよ!!」
「まーまー、そうギャンギャン騒がないの。ユタくん、丁度いいからロウの戻し方も教えておくね」
九条はそう言うなり、カウンターの下から「銀」と書かれたボトルを取り出して、ロウの前に置いた。
それを見たロウは、一瞬にして人間の姿に戻った。
「……って、ええ!? 銀って、そういう゛銀゛ですか!?」
「いや、普通は銀製品を見せないと戻らないはずなんだよ。でも、この゛銀゛でも効くことが、最近分かったんだよ」
「へー、お手軽ですねぇ」
「お手軽じゃねぇよ! これ、案外疲れるんだよ!!」
その言葉を体言するように、ロウは肩で息をし、ダラダラと汗を掻いていた。本当に疲れるようだ。
九条はそれを気に留める……はずもなく、
「いいお勉強になったね、ユタくん」
と笑った。
「そうですね……えっと……」
優太はロウの事を何て呼ぶか決めあぐねた。
そういえばロウの名字を知らないことに、今更ながら気がつく。
「そういえば、挨拶がまだだったな。剛力ロウだ。ロウでいいぜ」
それに気付いたのか、ロウが自ら名乗ってくれた。昨夜の優太の顔色といい、ロウは見た目に反して、小さな事にも気が付く人のようだ。
「ロウさん」
「おぅ。よろしくな」
そう言いながら、ロウが右手を差し出して来てくれる。優太は迷わずにその手を取った。見た目通りの、がっしりとした手だった。
「よろしくお願いします」
「九条になんかされたら直ぐ俺に言えよ?」
ロウがそう言うと、九条が「やだなぁ」と手を振った。
「僕がロウ以外に何かするワケないでしょー」
「おい、俺にもやめろよ」
「やだよ。ロウを弄るのが僕の生き甲斐なんだから」
「てめぇ、いつかその尻尾引きちぎって、ただの狐にしてやるからな!」
「やだー、助けてユタくーん」
二人のやり取りに、優太は思わず声を出して笑った。
それに九条とロウが嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「……よし! 何か色々あったけど、落ち着いたところでユタ君の歓迎会でもしようか」
「お、そりゃいいな!」
「じゃあ早速始めちゃおう」
九条はそう言うなり、カウンターの後ろにあったシャンパンを開け始めた。
「え、ちょっ、お仕事は……?」
「んなもん気にすんな。どうせ客は来ねぇよ」
「えぇぇ……」
「ロウの奢りだから、売り上げは出るしね」
「そうそう……って、金取んのかよ!」
「当然じゃん?」
「ふざけんな!!」
また、ロウと九条が揉め始める。
そんな二人の姿を見て、優太はまた、声を上げて笑った──……。
case2:酒呑童子 終