ep.25 居場所
「ユタくんが『生きたい』って強く願えるようにならなければ、戻れないからだよ」
「生きたい……」
「そう。生きる気力がなければ、生きることなんて出来ない。だから、ユタくんが『生きたい』と思えるようになるまで、待ってたんだ」
また店が揺れた。かなり激しくて、優太は耐えきれずに転びそうになった。
しかし、転倒することはなかった。
「大丈夫か」
「て、天さん……ありがとうございます」
天が、優太の体を支えていてくれていた。
この時ようやく、優太はあれ、と思った。
「天さん、何かいつもより大きくないですか?」
百四十センチくらいだった天が、優太とそんなに目線が変わらないほどまで大きくなっていた。
「あぁ。妖力を解放してるからな」
「妖力を……?」
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。それより、九尾狐」
「うん。あまり時間がないようだね」
九条はドアを見つめながらそう言った。
「ユタくん」
「はい」
「今から急いで裏口から出て、そのまま病院に向かうんだ。それで、ユタくん本体の側に行って。そしたら、きっと戻れる」
九条の言葉に、優太は首を傾げた。
「でも、さっき行ったとき、戻れなかったですよ?」
「それは、ユタくんが『生きたい』と思ってなかったからだと思う」
店がガタンガタンと音を立てた。
ショーケースの酒が落ちて音を立てて割れる。九条はその破片をひとつ拾い、見つめた。
「ユタくんは、どうして生きたくないの?」
九条が再び優太を見る。
──俺が生きたいと思わない理由。
優太には、心当たりがあった。
「だって、意識を取り戻したら、きっと、ここに来れなくなりますよね?」
「ユタくん」
「それは、嫌なんです」
優太は店内を見回した。
この店に来れなかった数日間で、優太は色々なことを実感していた。
「俺、会社をクビになってから、ずっと俺に居場所なんてないって思ってたんです。友達もいないし、実家に帰るのも嫌で……」
そんなときに、辿り着いたのがここだった。
「仲間が、できたんです」
一緒にいると楽しくて、面白くて、「仲間だ」と言って、守ってくれる仲間が。
「やっと出来た、居場所なんです」
そんな仲間たちがいたから、優太はここにいてもいいんだと思えた。
生きてていいんだと、思えた。
「俺がいれば、皆に迷惑を掛けることは分かってるんです。でも、ここに来れなくなるのは、嫌だ」
床にポタリと水滴が落ちた。
優太は、泣いていた。
──この数日で涙を流すのは何回目だろう。
でもそれくらいこの場所が、好きだったのだ。
「ここがなくなったら、俺はまた、居場所をなくしてしまう……」
──ここに来れなくなるくらいなら、俺は。
「俺は……っ!」
「それは違う!」
九条が、鋭い口調で優太の言葉を遮った。
聞いたこともないような声に、優太は思わず言葉を止めた。
「それは違うよ、ユタくん」
今度はいつもの優しさが混じった声で、九条は繰り返した。
「九条さ……」
「ここじゃなくても、君の居場所はある」
「……そんなこと、」
「今はなくても、作ることができる。……居場所も、仲間も」
九条はカウンターから出て、優太の肩にそっと触れた。肩からじんわりと温かさが伝わってきた。
「だって、君は"人間"なんだから」
また、店が揺れた。揺れる優太の体を、今度は九条が支えてくれる。
「ユタくんは、名前の通り、優しい人間だから、きっと大丈夫だよ」
揺れが収まったのを確認してから、九条は優太の身体から手を離し、続けた。
「初対面の天くんの話に同情して、泣いてしまうくらい。マオの話を聞いて、苦しそうにしてしまうくらい。関係ないはずなのに、雪ちゃんが温かくなって喜んでるのを見て、嬉しそうに笑うくらい。あやかしかもしれないのに倒れてる人を放っておけなくて、駆け寄ろうとしてしまうくらい。
ユタくんは、優しいから、大丈夫」
九条の言葉は不思議なくらい、優太の心にすんなりと入ってくる。
大丈夫という保証はないのに、本当に大丈夫なのかもしれないと、思ってしまうくらいに。
「ユタくんは、素敵な居場所と、仲間を作れるよ」
目に溜まった涙で、九条の顔がはっきりと見えなかった。
でも、きっと九条のことだから、笑っているんだろうと、優太は思った。
今度は、店が壊れるんじゃないかと思うくらいに揺れた。
でも優太は転びそうになることもなく、自分の足で踏ん張った。
「……俺、行きます。病院に」
「うん」
「それで、生きます。精一杯。例え、ここにもう二度と来れなかったとしても」
「うん」
九条が再び、優太の肩に触れた。
「ユタくん」
「はい」
「きっと、また会えるから大丈夫だよ」
「そうだぞ、ユタ」
九条の言葉に、ロウが賛同した。
「ぜってぇ、また会えるから寂しそうにすんな!」
「そうよぉ。また会えるわよ」
それに、マオが続いた。
「その時はまた襲ってあげるからね、ユ・タ・ちゃん♡」
「あははっ、それはいらなくなーい? あ、ユタ。マオを恐れずに戻ってきてね! 私がちゃんと守ってあげるから!」
雪も笑いながらそう言ってくれる。
「だから、九条さんに寂しい想いをさせたら許さないから!」
「みんな……」
「ユタ」
天が、九条が触れている方とは反対の優太の肩に触れた。
「ここで、待ってるから」
「天さん……」
「ちゃんと、戻ってこいよ」
「……はい!」
その様子に九条が嬉しそうに笑い、言った。
「ユタくんに実体がなかったとはいえ、一度は縁が繋がったんだ。だから、また会えるよ」
 




