ep.20 吸血鬼②
「狐は襲われないって言ったでしょ? だから大丈夫だよ」
「え、でも今、九条さん……」
「あ、それはねー」
その時、九条の背後から「うぇぇぇぇっ!」という声が聞こえてきた。
「……ただ、彼がお酒に弱くて、酔っただけだよ」
「「「……」」」
全員が、人騒がせな、と思ったのは言うまでもない。
***
「そもそも、普通にトマトジュース飲ませとけばいいものを、九尾狐が酒なんか混ぜるから……」
心配させられた事が気に入らないらしい天がブツブツと文句を言った。
「いやー、まさかここまで酒に弱いとはね……」
酔っぱらってしまった吸血鬼に水を飲ませ、介抱しながら九条が眉を下げた。
「いや、本当に心配をかけたね」
「本当ですよ、九条さん! 私、死んだような気分だったんですからね!」
「ごめんね、雪ちゃん」
「……まぁ、無事だったから良かったですけど」
九条は優太にも「驚かせてごめんね」と言い、最後に天に向き合った。
「天くん、助けようとしてくれてありがとね」
「……お前に何かあったりしたら、ユタが悲しむと思ったからしただけだ」
「でも、ありがとね。嬉しかったよ」
九条がそう言うと、天は「だから、お前のためじゃないって」と言いながら、顔をフイッと背けた。
しかし、カウンターの中にいる優太からは天の頬が赤く染まっているのが見えてしまった。
勿論、見て見ぬふりをするけれど。
「うーん……」
やがて、吸血鬼は唸りながらも体を起こした。
「大丈夫かい?」
九条が声を掛けると、はっとしたように顔を上げた。
そして、九条の顔を見るなり「トマトジュース!!」と叫ぶと、凄まじいスピードで九条から離れた。
「……トマトジュース?」
何故か逃げられた九条は、逃げた吸血鬼に訪ねた。
「そう! トマトジュース! あんた、俺に飲ませたろ!!」
「あ、う、うん。まぁ……お酒だけどね」
「俺、トマトジュース大っ嫌いなんだよ! もう持ってくるなよー!!」
……。
「あ、ごめん。トマトジュース嫌いだって知らなかったから……」
「何でみんな、吸血鬼はトマトジュース好きって思うんだよー!!」
「そうだよね。本当にごめん」
九条が素直に謝った。
優太としてもまさか、吸血鬼がトマトジュース嫌いという発想はなかったので、何とも言えなかった。
「うぐっ、えぐっ」
「え、泣くほどなの……?」
泣き出した吸血鬼に、九条は困惑した声を出した。こうやって困惑する九条を見るのは、マオ騒動以来だ。
「世界で一番嫌いなんだよぉ、トマトジュースゥ……ひっく、不味いんだよ、あんなものぉ……」
「まぁ、トマト嫌いな人もいるしね……やっぱり、血が一番好きなの? 血は、コップに入れたやつとかでもおっけーなわけ?」
九条が優太をちらっと見ながら訊ねた。
あまりの吸血鬼の落ち込み方に、同情したようだ。
優太としても、直接かぶりつかれるのでなければ、世界で一番嫌いなトマトジュースを飲ませてしまった犯人の一人として、血を提供しようと思っていた。
しかし。
「血も好きじゃない……」
──吸血鬼とは。
優太は途方にくれた。
まさか、吸血鬼が血を好きじゃないとは思ってもみなかった。
「す、好きじゃないの……?」
九条が再び、困惑した声で聞いた。
「だって、自分の血を舐めてみ? 美味しくないだろ?」
「まぁ……」
「そもそも、血だけが栄養源な訳ないじゃん。他にも栄養取れるもんなんて現代にはいっぱいあるし。タピオカの方が旨いし……」
──タピオカて。
今の吸血鬼はかなり現代チックなんだな、と優太は思った。
時代は凄い。
「じゃあ、何が一番好きなの? タピオカ?」
「いや……」
吸血鬼は少し空を見つめてから、言った。
「日本酒」
「え、さっきお酒で酔ったんじゃないの?」
すかさず九条が突っ込んだ。
「違う! さっきのは、トマトジュースで酔ったんだ!」
「トマトジュースで酔うの?」
「酔う!」
吸血鬼は胸を張って答えた。
──何で、そんなに自信満々なのか……。
当然だが、優太にはトマトジュースで酔ったという経験がなかったので、よくわからなかった。
「じゃあ、トマトジュースを飲ませてしまったお詫びに、日本酒ご馳走するよ。何がいい?」
「銀!」
──……吸血鬼って、銀が苦手じゃなかったっけ……?
優太はそう思ったが、酒の銀だから関係ないのかと思って、突っ込むのをやめた。
しかしそうなると、「銀」のラベルを見て狼男の変身が解けるロウの事が、よくわからなくなくなるのも事実だった。
***
「旨い!!」
ナミナミに注がれた「銀」を飲み、ご満悦な吸血鬼が、そこにはいた。
「いや、良かった良かった」
「うーん、体内のトマトジュースが浄化されていく感じがする……!」
トマトジュースで酔っぱらって泣いた吸血鬼は、日本酒をコップ一杯飲み干すと上機嫌な吸血鬼になった。