ep.16 雪女①
九条が答えるより先に、先程まで激しく音を立てていたドアが、その音に反して静かに開いた。
「多分、吹雪だねぇ」
九条が言葉の続きを言った瞬間、店内にひんやりとした風が流れ込み、優太は身体を震わせた。
その風とともに、僅かに開いたドアの隙間から雪が入り込んで来て、店の床を濡らす。
──って、あれ? 今、五月……だよな?
季節外れの寒さと雪に優太が混乱しているうちに、
「ロウ! ユタくんを!!」
九条が早口でロウに指示を出した。
「おう!」
それに応じたロウは席を立ち、優太の前まで来ると、カウンターから身を乗り出させた。
「え? え?」
「ちょっと我慢しろよ」
ロウは優太の体に手を伸ばし、脇腹を持つと、そのまま優太を持ち上げた。
「わ、わわわわ!?」
「よっこいしょっと」
軽々と持ち上げられた優太の体はカウンターを越え、ロウの元に引き寄せられた。
そしてそのまま、何故かロウにきつく抱き締められた。
「ろ、ロウさん……! 俺、そういう趣味はないんですけど……!」
「俺もねぇわ! でも、お前を守る手段がこれしかねぇんだよ!」
優太は首を傾げた。
──守るとは、一体どういうことだろう?
そうこうしているうちに、僅かに開いていたドアが更に開き、コートを着た女性が身を滑らせるようにして入ってきた。
その瞬間、店内の温度が急激に下がったのを、優太は感じた。
「いらっしゃい」
しかし、そんなことは全く気にしていない風の九条が、女性に声をかけた。
女性は少し間を置いたあと、静かに口を開いた。
「……さ、」
「さ?」
「寒い……」
女性が、掠れた声でそう言った。
その時、優太は信じられないものを目にした。
さっきまで優太がいた場所にあったウーロン茶が、ピシリという音を立てて凍りつき、壁には雪が張り付いた。
店内は、一瞬にして、巨大冷凍庫のような──いや、北極のような状態に変化した。
「な……っ」
「ユタ、俺から離れるなよ。何なら、スカジャンを体に回せ」
「ていうかロウさん、何でこんな状況なのに大丈夫なんですか!?」
「俺は基礎体温が馬鹿みたいに高いからな。こんなの余裕だ」
「もしかして、それで俺を……?」
「俺が抱き締めるのやめたら、ユタは一瞬で凍るぞ」
「……ありがとうございます」
守るというのはそういうことか、と納得するのと同時に、優太は漸く周りの状況を冷静に見ることが出来るようになった。
九条、マオ、天はあやかしだから大丈夫なのか、何事も起きていないかのように、ただただ新たな来店者の方を見ていた。
その新たな来店者である女性はというと、入口のところで突っ立ったまま店内をじぃっと見ていた。
しかしフードを被っている上に俯いているので顔は見えず、その体にはジャケットやダッフルコート、ダウンなどのありとあらゆる防寒服が乗っかっていて、体型も分からなかった。
「寒い……寒い……」
それでも、女性は「寒い」とぼそぼそと呟き続けていた。極度の寒がりのようだ。
その様子を見ていた九条が、「なるほどね」と言った。
「雪女か」
「ゆ、雪女!?」
優太は思わず、声を上げた。
──この寒がりの人が、雪女……とは……。
「……寒い……」
雪女は九条の質問には答えずにただ、そう言った。
それを九条は「イエス」という意味にとらえたのか、満足げに頷いた。
一方、マオはその言葉を受けて、何故か立ち上がった。
「アナタ、寒いの?」
「……寒い……っ」
「そう! そんなに寒いなら、アタシが温めてあ・げ……」
マオは雪女さんに襲いかかろうとした。
しかし。
「寒い!!」
雪女が今までよりも少し強めに言うと、マオが駆け寄っていくような格好のまま、ピシッと固まった。
「……馬鹿だな」
天がマオの体をノックするように叩くと、コンコンという音がした。
「……凍ってるんですか?」
優太が訪ねると、
「ああ。綺麗に凍ってる」という返事が来た。
──もしかしたら、雪女さんが「寒い」って言うと、寒くなったり凍ったりするのかな……?
実際に、優太はロウの体温があるので少し分かりづらいが、でも雪女が「寒い」と言う度に室温が下がっているような感じがしていた。
──ということは、雪女は自分で自分の首を絞めているのでは……?
優太はそう思ったが、強めの「寒い!」を言われてしまった場合、ロウまで凍らされてしまう可能性があるので言わないでおいた。
「雪女さん、取り敢えず座りなよ」
「寒い……」
「寒い」は返事の役割も果たしているらしい。
雪女はガタガタと震えながらも足を進め、天の二つ隣の席に座った。
「さて、雪女さんは何を飲む?」
「……寒い」
「うーん、流石にお酒の名前まではわからないなぁ。取り敢えず、水系を使わないものじゃないと作れないよね……」
九条はそう言いながら飲み水用の蛇口を捻った。しかし、そもそも蛇口のハンドルが凍っているのか、回ることすらしなかった。
「あれま。見事に凍ってるねぇ」