ep.15 あやかしと人と、
***
「ユタ、大丈夫なのか」
二十一時の開店と同時にやって来た天の一言目は、それだった。
いつも上がっている眉や目尻を下げ、心配そうに優太のことを見上げる姿は、小さい弟みたいで優太には何だか可愛く見えた。
無論、そんなことを言ったりしたら天が激怒するのは目に見えているので、口には出さないけれど。
「すみません、ご迷惑をお掛けしました。もう、大丈夫です」
「謝らなくてもいい。というか、『お掛けした』のは"迷惑"じゃなくて"心配"だ。迷惑なんてどうでもいい」
少し遅れてやって来たロウにも、同じようなことを言われた。
「迷惑? んなもん掛けられた覚えねぇよ。それより、もう大丈夫なのか?」
優太には、それがとても新鮮だった。
今までは体調を崩そうが、ぶっ倒れようが「迷惑」としか言われてこなかった優太にとって、ロウや天の言葉は信じられない言葉であり、有り難い言葉だった。
「ありがとうございます……!」
「礼を言われる筋合いもねぇよ。仲間を心配すんのは普通のことだろ?」
「仲間……」
「そう、仲間だ」
そう言うとロウは優太の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「……何だかロウさんって、お兄さんみたいですね」
優太がポツリとそう呟くと、
「お父さんみたいって言われなくて良かったぜ」とロウが笑った。
「年齢差的にはロウ、お爺さんだけどね」
「うるせぇ! 余計なこと言うな!!」
「……え、ロウさんって一体……」
いくつなんですか、と優太が聞こうとしたところでドアがけたたましい音を立てて開いた。
「来ぃたぁわぁよぉぉぉ!!」
「来るな!!」
昨日と同じように入ってきたマオに、直ぐに天が瓢箪を投げた。そしてそれは、見事にマオの額にヒットした。
しかし、天もマオには勝てないらしい。
「あらぁ、天ちゃんたら、本当は嬉しいくせに、素直じゃないんだからぁ♡」
「や、やめろ! 本気で来るな!!」
額に瓢箪が直撃しようがお構い無く迫り寄ってくるマオに、天は顔を真っ青にした。
「大丈夫よぉ♡ 焦らなくても天ちゃんのお相手、してあ・げ・る・か・ら♡」
「しなくていいっ!」
──それにしても、ロウさんとは未だに口を利かない天さんがマオさんと普通にやり取りしてるとは……。
これは、マオのキャラ故なのか、色魔要素のお陰なのか、何なのか。
そんなことを思いながら優太がロウの席の方をちらりと見やると、いつの間にかロウはいなくなっていた。
その代わりに、マオの「ぎゃっ!」という短い悲鳴が聞こえてきた。
「いったぁーい! ちょっとぉ、殴らないでよぉ!」
「天を困らすな、バカタレ!」
「だってぇ……」
「つーか、お前、ユタの具合を見に来たんじゃねぇのかよ?」
「そうだけど、天ちゃんが誘惑してくるからぁ……」
「してないっ!!」
ロウとマオと天の世にも奇妙な組み合わせのやり取りに、優太は思わず小さく吹き出した。
それひとつで、三人の視線は優太に集まった。
──あ……。
優太は顔の血が引いていくのを感じた。
「す、すみません、笑ってしまって……」
優太は即座に笑みを引っ込め、謝った。
ロウに仲間だと言われて少し浮わついてしまっていたが、しかし考えてみれば、お客様のやり取りを聞いて笑うなんて、失礼だ。
しかし、三人の反応は、優太の思ったものとは違った。
「え、やだ、ユタくん、何で謝るのよ!?」
「俺ら、怒ってねぇからな!?」
「……え、でも」
優太は困惑した。だって、今のは確実に怒られる流れだったはずだ。
「……ユタ、笑うことは悪いことじゃない」
天が、静かに言う。
「笑いたいときに、笑っていいんだ」
「……笑いたいときに……」
「そうだ。さっきそこの狼男も言っていたが、俺らは仲間なんだから、気を遣ったり遠慮する必要はない」
天の言葉は、優太の心に深く染み入った。
──仲間なんだから……。
「そーよ。ただアタシたちは、ユタくんが笑ってくれて嬉しかったの。笑顔を見たくて、思わず見ちゃったのよ」
「あ? ユタ、俺らが見たこと気にしてんのか? んなもん、気にすんな、気にすんな!」
「あらやだ、ロウちゃんったら。原因わかってなかったの? 鈍感さんは、女の子に嫌われるわよ?」
「天に誘惑されたと勘違いするようなおめぇに言われたかねぇよ!!」
「あら、それは勘違いとは限らないでしょ? ねえ、天ちゃん♡」
「大いなる勘違いだっ!」
また、ぎゃいぎゃいと言い合いを始めた三人に、優太は今度は遠慮なく笑い声を上げた。
隣では九条も楽しそうにニコニコと笑っていた。
「ユタくん」
優太の視線に気づいたのか、九条が優太を呼んだ。
「はい」
「ここ、物凄くいいトコでしょ」
九条の問いに、優太は迷いなく答えた。
「はい。とても」
その答えに、九条が満面の笑みを浮かべた。
***
ロウはビール、マオにマロウブルー、天には焼酎、天からの奢りで優太の前にウーロン茶が置かれ、みんなで雑談をしていたときの事だった。
「アタシねぇ、こう見えてもアパレルで働いてるのよぉ」
「アパレルですか!」
「似合わねぇよな」
「それ、どういう意味? ロウちゃん?」
「だーっ! 顔を近づけてくんな!!」
マオがロウに迫り始めたところで、バーのドアがガタガタと音を立て始めた。
「今日って、台風でしたっけ?」
優太は九条に訊ねた。
「いや、多分これは台風っていうより……」