ep.14 賄い
──この光景を見るのは二度目だな……。
優太は板張りの天井を見て、そう思った。
「うんしょ」と体を起こすと、そこはやはり見慣れた休憩室だった。
しかし、優太は倒れた経緯を覚えていなかった。
──確か、マオさんが来て……九条さんがマオさんの相談に乗って……で、マオさんの悩みが解決して……その後どうなったんだっけ?
思い出してみようと試みたけれど、何となく思い出さないようないいような気がしたので、やめた。まぁ、九条が言っていた事を忘れていないだけよしとしよう。
時計を見てみると、針は午前三時十分を指していた。ということは、今、店内にはロウや天、マオがいる可能性がある。
少し頭が痛むけれど、まずは三人と九条に謝るべきだと思い、優太はソファから降りて休憩室のドアを開け、ヒョコッと店内を覗き込んだ。
しかしそこには、九条の姿しかなかった。
「あ、ユタくん、目が覚めたみたいだね。大丈夫?」
酒を呑んでいた九条が優太の気配に気付き、直ぐに声を掛けてきてくれる。
「はい。すみません、またご迷惑をおかけして……」
「いーの、いーの。気にしない」
優太は、九条のこういうところが好きだ。
口が軽かったり、変な頑固さを発揮することがあるけれど、何だかんだ寛容で、優しい。
「ロウさんと、天さんと、マオさんは帰られてしまったんですか?」
「うん。本当は、ユタくんが目覚めるまで居座るって言ってたんだけどね。ユタくんがいない状態であの三人でいてもらっても何かカオスだったから、帰って貰ったよ」
九条はあっけらかんとそう言いながら、酒を少し口に含んだ。
そういえば、九条が酒を呑んでいるのを初めて見たような気がする、優太は思った。
「また今度、謝っておきます」
「いやいや、あの三人相手に謝罪は不要でしょ」
「そうはいかないですよ」
「真面目だねぇ、ユタくんは」
「普通だと思いますけど」
そう優太が言うと、九条は笑った。
「人間っていうのは、大変だねぇ」
***
取り敢えずお客さんもいないことだし、ということで今日は少し早いけど閉店ということになった。
本当なら閉店後は優太が皿洗いや清掃、九条が次の日の分の仕込みをするのだが、皿洗いと清掃を九条が既にやっておいてくれたので、優太はそのまま退勤という流れになった。
「今日は、何食べてく?」
いつものように、九条が訊いてきてくれる。
「いえ、今日はまともに働いていないですし、いいですよ」
「んー、体調悪くて食べれないって訳じゃないよね? じゃあ、食べてってよ」
そう言ってもらえるのは優太としては有り難い話だが、それでもやっぱり申し訳ないという気持ちは消えない。
「え、でも……」
「いいから、いいから」
しかし結局、九条の強引さと"変な頑固さ"に根負けした優太は「オムライス食べたいです」と言ってカウンターに座った。
九条は上機嫌で「おっけー」と言うと、厨房に入って行った。あの感じだと、九条は優太に賄いを食べさせたいというより、ただ単に料理を振る舞うのが好きなのだろう。
「お待たせ」
厨房に入って行ったときと同じように上機嫌で出てきた九条がカウンターの上に置いたのは、何処かのお洒落な洋食屋さんで出てきそうな、ふわトロのオムライスだった。
「い、いただきます……!」
そっとスプーンを入れると、想像していた通りに卵がトロリとほどけた。それをそろそろと口に運ぶと、ふわふわ卵のほんのりした甘味と、チキンライスの塩味が和音のような絶妙な味を奏でた。
料理が出来ない優太からしたら、一体どんな過酷な修行をしたらこんな美味しいものが作れるのだろうかと思うほどの料理だ。
「相変わらず、美味しそうに食べるねぇ」
夢中になって食べる優太を見て、九条がそう笑いながら言った。
「だって、美味しいですもん」
「そう言ってもらえるなんて、腕の振るい甲斐があるよ」
そしていつものごとく、九条はお願いしていない料理まで次々と出してきてくれる。
ウインナーや手作りのフライドポテト、和風な角煮、その他諸々。
初めのうちはこうして沢山出してくれるのは有り難いけれど、採算は取れているのだろうか、あと太らないだろうかと料理が出てくるたびに優太は心配になっていた。
しかし、話を聞いている限り採算は大丈夫そうだし(どういう手法を使っているんだろうか)、体型もこの店に来た時から変わってないので今ではそういった心配はしなくなっていた。
「ご馳走さまでした!」
余裕で十のお皿を開けた優太は、幸せな気分で手を合わせた。
前まではどちらかというと少食だったのに、ここに来るようになってから大食いになった気が……いや、気のせいではなく大食いになったと優太は思った。
「お腹いっぱいになった?」
「はい、パンパンです」
「よし。じゃあ、後の片付けはしておくから。お疲れさま」
「いえ、でも……」
流石に仕事してない上に食べるだけ食べた状態で帰るのは申し訳なくて、優太はカウンターに入ろうとした。
けれどそれは、九条に押し止められてしまった。
「体調不良じゃないとはいえ、病み上がり君なんだから帰りなさい。今日の夜も仕事はあるんだしさ」
そう言われてしまえば、優太は何も言えなかった。
「う……はい……」
渋々ながらも、優太は大人しく店を出た。




