ep.11 淫魔①
「いや、本当に。それインキュバスだから、捕まったら生気吸いとられて死ぬよ」
「い……インキュバ……?」
「やーね、生気じゃなくて、精気よ♡」
おネエさんはそう言いながら、カウンターに身を乗りだし、優太の鼻の頭をツンと突ついた。
それを受けた優太は、身体中に悪寒が走るのを感じた。
──く、九条さんが言っていたのは、こういう事だったのか……!
「すみませ……っ! やめてくださ……っ!」
優太は悲痛な声を上げた。
しかし、おネエさんはそんなことには構わず、その化粧の匂い漂う顔を更に近づけてきた。
「あらぁ、恥ずかしがらなくていいの……いでぇっ!」
その時、おネエさんが突然、悲鳴を上げながら膝から崩れ落ちた。
「え……」
一瞬、何が起きたのか、優太には分からなかった。
しかし、おネエさんが崩れ落ちた向こうに見えたロウと天の姿と、頭を抱えて痛がるおネエさんの姿を見て、何が起きたのかを察した。
「「ユタを困らせんな!!」」
そう、拳を構えたまま言う二人の姿が、優太にはヒーローに見えた──……。
***
「ユタくん、驚かせてごめんね」
ロウと天の鉄拳制裁により、おネエさん騒動がようやく落ち着いたところで、九条が苦笑いを浮かべながら言った。
「いえ……」
おネエさんはというと、ロウの隣の席でまだ頭を抱えていた。どうやら、相当痛かったらしい。
「そもそも、九条がユタを生け贄にするからいけないんだろ」
ロウが優太に代わって反論した。
「いや、ほんとごめんね。でも、それくらい嫌だったんだよ……いくら攻撃しても効かないし、気持ち悪いし」
九条がズケスケとそう言ってのけるのに、優太はもう何も言わなかった。
あの短時間で、その気持ちが分かったからだ。
その代わりに、優太は気になっていたことを九条に聞いてみることにした。
「あの……さっき、おネエさ……じゃなくて、あのお客様の事を『インキュバス』って言ってたんですけど、何のことなんですか?」
「あぁ、インキュバスっていうのは、淫魔のことだよ。ほら、聞いたことない? 色仕掛けをして精気を奪って行く悪魔の話」
「ああ、サキュバス的な……?」
「そうそう。サキュバスとインキュバス、根本的には一緒だよ。でも、サキュバスは女性型の淫魔の事で、インキュバスは男性型の淫魔の事を指すんだよ」
「へー……」
優太は改めて、おネエさんの事を見た。
「……で、あの方はそのインキュバスであると……?」
「そゆこと」
「……」
優太は思わず黙ってしまった。
優太の思う淫魔──優太が元々知っていたのはサキュバスで、インキュバスではなかったけれど──と、目の前のおネエさんのイメージがかけ離れすぎていて、頭が付いていかなかった。
「まぁ、あのインキュバスは、インキュバスらしくないけどね」
優太のそんな想いを汲み取ったのか、九条がおネエさんを見ながら言った。
すると、
「ちょっとぉ、どこがよ!」
頭の痛みが引いたのか、おネエさんが顔を上げ、九条に反論した。
「アタシは男の子も女の子も好きなの。普通のインキュバスは女の子以外はダメだけど、アタシは男の子でも大丈夫なの」
「……つまり、何が言いたいのかな?」
「アタシは最強のインキュバスなのよ!」
おネエさんはそう言うと、誇らしげに天井に向かって指を指した。
しかし、九条の
「……他の人は知らないけどさ、僕らに対しては色仕掛け出来てないよ?」
の一言に、しおしおと手を下ろした。
「ふ、二人が特殊なのよ……」
「正確には、四人になったけどね」
九条はそう言いながら、棚からタンブラーグラス(背の高いグラス)と何かのティーパック、そしてカウンター後ろのショーケースからウォッカを取り出した。
「ええっ!? そんなことないわよね、新人ちゃん!?」
おネエさんが縋るような目で優太を見た。
優太は、それに答えることが出来なかった。
「坊やもそう思うわよね!?」
優太の援護を諦めたらしいおネエさんは、次いで天を見た。
それに天は、いつものように「坊やじゃねぇ!!」と怒った。
「あらぁ~粋がっちゃって、かーわーいーい~!!」
しかし、それは逆効果だった!
完全復活を果たしたらしいおネエさんは、天の方に向かってズカズカと歩き出した。
「お、おい! やめさせろ! 九尾狐!!」
天が慌てて九条に助けを求めた。
まさか、こんな光景を見るときが来るなんて、誰が想像しただろうか……。
出会って数分しか経っていないが、優太にはおネエさんが最強のあやかしに見えた。
「はいはい。今からお酒作るから席についてねー」
流石の九条も天の初めてのお願いを無下にできるはずもなく、素直に止めに入った。
「えー、だって~」
「今回も失恋話聞いてあげるから、席について」
ウォッカをグラスに注ぎながら、九条はう言った。
いきなり何「失恋の話」とか失礼なことを言っているのだろうと優太は思ったが、おネエさんの反応は違った。
ピタリと動きを止め、九条を見、そして
「……よく分かったわね」と言った。
「一色さんが来るのは大抵そう言うときだって、ロウが言ってたからね」
「ねえ、ロウ?」と九条がロウを見ると、「まぁ、そうだな」とロウが頷いた。
──……あれ、この三人って、もしかして……。