さよならの代わりに
「エマ……っ!」
思わず名を呼んでしまう。
瞠目したエマは、自らの胸を貫く刃をぎゅっと握っていた。
「あ……あぁ」
その傷口から流れるのは、血ではなく光だった。
「何の光――」
爆ぜた閃光がイキールを呑み込み、核心部のすべてを満たしていく。
俺達の五感は眩い白に覆われ、あらゆる感覚を失った。
これは一体なんだ。
初めての体験。
この世のありとあらゆる概念が溶け、混ざり合っていくような、不可思議としか言えない感覚だ。
いや、違う。
どろどろに溶け、世界と混ざり合っているのは、俺という存在そのもの。
エレノアの精神世界の中心である核心部に、ロートス・アルバレスが融合している。
どうしてそんなことが起きているのかまったく理解できない。
だが、何が起こっているかだけははっきりとわかってしまう。
すでに皆の声すら聞こえない。存在すらも知覚できない。
俺の感覚を埋め尽くす白が、次第に赤く色づいていく。
同時に、俺の視界はぱっと鮮やかになった。
不思議と、困惑や動揺は感じない。
俺の目に映るのはまさしく、故郷の夕焼けそのものであった。
「……懐かしいな」
鑑定の儀で『無職』を宣告された後の、いつかの日の景色。
ふと、近づいてくる気配を感じる。
そうだ。
村のはずれにある大岩の上で黄昏ている俺に、声をかける少女がいた。
「ロートス……大丈夫?」
青みがかった長い髪。同色の大きな瞳。間違いなく村一番の美少女。
長いまつ毛に縁取られた両目が、俺の間抜けな表情を映していた。
「大丈夫……とは言えないよな」
「あら。めずらしく弱気じゃない」
エレノアはスカートの裾を気にしながら大岩に上ってくる。励まし甲斐があると言わんばかりに浮かべた微笑みには、あの頃の幼さが宿っていた。
「気をつけろよ。ほら」
「ありがと」
俺が差し出した手を取って岩の上に立ったエレノアは、夕焼けに染まった空を清々しい面持ちで見据えた。
「ここから見える景色はいつも綺麗ね。季節も時間も関係なく」
「ああ。こうして眺めてると、少しは楽になる」
「スキルがいいものじゃなかったからって、そんなふてくされなくてもいいじゃない。そんなことどうだっていいのよ。スキルや職業がどうだろうと、ロートスはロートスだもん。そうでしょ?」
あの頃の記憶。
俺とエレノアだけが共有するかけがえのない思い出だ。
再び耳にしたかつての言葉を反芻し、俺は何を言い、どう振る舞うべきか迷っていた。
「スキルなんてどうだっていい。こんなものに何の意味があるってんだ」
口をついて出た言葉。エレノアは驚くと思ったが、意外にも彼女は優しく微笑むだけだった。白い整った歯を見せて笑うエレノア。美美美少女と言っても過言じゃないと、再認識させられる。
「なに? ヤケになっちゃったの?」
そりゃお前の方だろ、という言葉をぐっと飲み込んで、俺はじっとエレノアを見つめた。
今になって気付く。こいつがスキル至上主義の考え方に染まっていなかったのは、俺と同じ現代日本からの転生者だったからなのだと。
「なぁ。エレノア」
「なに?」
「お前はどうして……」
俺のことを気にかけてくれていたのか。
エレノアは昔から何かにつけて俺に関わろうとしてくれた。アインアッカ村ですら平凡だった俺みたいな男にだ。
俺達が惹かれ合ったのは、運命の相手だからか。
それともプロジェクト・アルバレスによって転生し、対となる宿命を背負わされたからだろうか。
いや、宿命や運命といった言葉で片づけるのは簡単だ。けどそれだけじゃないという確信がある。
日本だけでも一億以上。地球規模なら数十億人いる。
その中から、どうして俺とエレノアの二人が選ばれたのか。
因果を辿ればキリがない。
「俺じゃなくても、いい男はたくさんいただろうに」
俺の呟きに、エレノアは眉尻を下げて微笑んだ。
「ほんとにね。でも、そういうものでしょ」
今になって振り返ると、当時の俺はエレノアに対する劣等感でいっぱいだったように思う。
目立たないように振る舞っていても、承認欲求がなくなるわけじゃない。
惚れた女が神スキルを授かって、俺自身は無価値なクソスキルばかり。
そりゃ、つまらない意地を張ってしまうのも無理はない。
あの時の俺は、ちっぽけな自尊心に邪魔されて、エレノアの想いを受け止められなかった。
俺が犯した、はじまりの過ちだ。
夕焼けに染まる大岩の上で、俺とエレノアは肩を寄せ合う。彼女の長い髪が俺の首筋をくすぐった。
「ねぇロートス。私と一緒にいられて、嬉しい?」
「ああ、嬉しいよ」
「これからもずっと一緒にいたい?」
震える問い。温かな告白。
俺はもう、二度と間違えない。
「当たり前だろ。これからも、ずっと一緒だ」
小さな手を握る。
「だから、帰ろう。俺達の世界に」
「……うん」
エレノアは嬉しそうに頷いた。
決して元通りにはならないとわかっていても、今この瞬間の心のつながりを喜んでいる。
それっきり、俺達は黙ったまま沈みゆく夕陽を見つめていた。
燃える空が核心部を焼き尽くし、その揺らめきがすべてを覆い隠すまで。
きっと、これが最後になるだろうから。




