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宿命を越えし者

「公子さま!」


 エマが俺の脚にしがみつく。

 控えめな胸の膨らみを感じるが、今はそれどころじゃない。


「何をなさっているんです! こんな……ひどいことを!」


「はなしてくれエマ嬢」


 俺はにべもない。

 驚愕と興奮の最中にいるエマは、俺の凶行を止めようと必死だ。


「見ろ。これは現実じゃない。ぜんぶ幻だ」


 俺のフレイムボルトは空間そのものを捻じ曲げ、破壊している。現実世界ならこうはなるまい。


「な……にを仰るんです……? 現実じゃないって――」


「申し訳ないと思ってる。もしかしたらキミも、ヒーモと同じように元の世界にもいたのかもしれないけど。俺はデメテルでのキミしか知らない。だから、世界を取り戻した後、キミにまた会えることを願う」


「意味が解りません!」


「もう戻るよ」


 俺は魔力を集中させる。

 この幻を消し去るために。


「待ってください公子さま! デメテルは……デメテルはあたしの――」


「俺はもう、二度と間違えない」


 俺達の会話は、まともなやり取りではない。

 エマは何も理解していないだろうし、俺は自分の言いたいことだけを言っている。


 幻はいずれ壊れる。

 俺の心にしか残らないものだ。


「どうして! どうしてあなたはいつもそう――」


 俺の脚にしがみついて喚くエマ。

 彼女が、急に俺の足元から離れた。何かに突き飛ばされたように、転倒していた。


「見苦しいな。エマくん」


 さっきまで爆睡していたヒーモが、エマに体当たりを喰らわせたのだ。


「ヒーモくんっ……」


「この期に及んで彼を引き止めることはできない。分かっていたことだろう?」


「でも! そしたらデメテルは!」


「塗り替えられた世界に居座るつもりはないというんだ。ロートスも、吾輩もね」


 二人のやりとりは、俺の耳を通り抜ける。

 俺はすでに極限の集中状態に入っていた。

 この幻を打ち破り、自分の戦うべき場所に戻るために。


「公子さま! あたしの話を聞いてください!」


 エマの悲痛な叫びが、俺の集中力を削ぐ。


「この世界の、なにがそんなに嫌なんですか? 平和で、穏やかで! けれどスリルもロマンもある。理想の世界じゃないですか!」


 そうかもしれない。


「だけど、孤独だ」


「え……?」


「全てが用意されたような世界の何が楽しい? 俺は接待を受けるために生きてるわけじゃない」


 俺の言葉に、ヒーモもうんうんと同意している。


「孤独な安息はごめん被る。それなら俺は、たとえ辛く苦しくても、賑やかな波乱を選ぶさ」


 全身にみなぎる魔力。

 今まさに、この幻想は消えようとしている。


「そうだ。それでいいんだ我が友よ。その手に握った賽を、力いっぱい投げつけてやれ」


 言われずともそうするさ。


「フレイムボルト・テンペスト――」


 広げた両の手から迸った火炎の奔流が、目に映るすべてを飲み込み、燃やし尽くし、跡形もなく消滅させる。


 あとに残るのは、深淵の闇。

 そこに佇む俺一人。


 そして、頭上から差し込む一筋の光だけだった。

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