マジで死にそう
「そんな……主!」
アンの泣きそうな声。
「ありえません……我が主が、こんな……!」
その声に応えてやりたいが、叶わない。
ぱっくりと裂けた胸から流血し、俺は血だまりに沈んでいく。
(チェックメイトだ。ロートス・アルバレス)
頭の中に直接響く、マシなんとか五世の声。
(肉弾戦ではキミの勝ちだ。でも僕の本分は殴り合いじゃない)
耳が遠くなって、俺を呼ぶアンの声は聞こえなくなっていく。
それなのに、頭に響く不快な声はむしろ鮮明だ。
(僕は研究という戦場に挑んできた。気が遠くなるほどの時間を戦いに費やしたんだ)
くそ。訳が分からない。
(まだ負けないよ。いつだって大物は、変身を残しているものさ)
意識が薄れていく。
あまりに血を流しすぎた。
いくらこの肉体が強靭だといっても、それはあくまで理の内にある強さ。
理の枠を超えたマシなんとか五世の力に対抗するには、今の俺は弱すぎる。
瀕死の俺にまだ残っている感覚が、アンとマシなんとか五世の戦いを捉えている。
多少なりともマーテリアの神性を宿すアンなら対抗できるだろうか。
(キミには何度だって驚嘆する。魔王を倒すのみならず、忠誠を誓わせる人間がいるなんて、いったい誰が考えただろうか)
そんなに驚くほど、アンは必死に戦っているのか。
俺を守るためだろうか。それとも仇を討つためか。
そこまでアンに心酔される覚えはあんまりないんだけどな。
だけどな。もういいんだ。
どの道この傷じゃ助からない。アンの魔法で治せないんじゃ打つ手なしだ。
すでにほとんどの感覚はなくなっていた。俺は最後の力で体を起こそうとする。
逃げろと、アンに伝えるために。
やっとの思いで仰向けになった俺の目に映ったのは、瘴気の波動が形成した漆黒の球体だ。
あれは確か、アンの『黒虚空万象滅閃光』か。
武名を馳せたグランオーリスの王ヘリオスを一撃で屠った技だ。あれには俺も肝を冷やした記憶がある。
瘴気の檻で敵を包み込み存在そのものを蝕む荒業だ。あれが通用すれば、まだ勝ち目はあるかもしれない。
淡い期待はすぐに裏切られた。
漆黒の球体は、無数の鋭い歯車によって内側から破られる。
ズタボロになったアンが俺の近くに飛来。床に激突して動かなくなった。
そんなバカな。
(マーテリアの神性。知ったつもりでいたけど、想像以上の脅威だ。なかなかスリリングな空間だったよ)
その時初めて、俺は変身したマシなんとか五世の姿を目の当たりにした。
崩壊する『臨天の間』に浮かぶ、金色の長方形。
人よりも長く、幅広く、分厚いそれは、一枚のプレートのように見えた。
だが、違う。
歯車の紋様が無数に彫られたその物体の正体。
見たこともないほど巨大な、一冊の本であった。




