世界侵食【ペネトレーション】
まず、ルージュの鋭い突きが眼前に迫った。
俺はそれを剣尖で捌き、すかさず柄頭でルージュの籠手を強かに打つ。
その衝撃で槍を取り落としたルージュだが、それに動揺せず腰のショートソードを抜き放って斬りつけてきた。
斬撃をくぐり抜けた俺は、ルージュに体当たりを加えて後方へと押し飛ばす。
ルージュと入れ替わるように接近してきたのはイキールだ。長剣による鋭い連撃を繰り出してくるが、ルージュほどの圧力はない。
疾風の如き連撃を、俺はすべて確実にいなし、イキールの剣を強く弾き上げる。
「あっ――」
剣に引っ張られ、イキールの両腕が軽々と上に持ち上がった。
がら空きのどてっ腹を剣の腹で打つと、イキールは苦悶の吐息を漏らして膝をつく。
直後、体勢を立て直したルージュの投げナイフが飛来。
俺はバックステップをしながら、複数のナイフを斬り払う。
そしてルージュがイキールを庇うように前に立った。
この間、約四秒。俺の中では、割とゆったりした戦いだった。
それから、しばしの沈黙が訪れる。
「どないなっとるんや。アルバレス公爵家の長子はボンクラっちゅー話やなかったんか」
ルージュの額には汗が滲んでいる。
「なぁガウマン。わてみたいなS級でも、あんなタマそないおらんで」
「わからないわ……小公爵がこれほどの使い手だったなんて」
腹を押さえ、イキールはゆっくりと立ち上がる。
俺は再び剣を構えた。
「気の毒だが、お前らに勝ち目はない。ここは話し合いで丸く収めたいと思うんだが、どうだ? 人間、わかり合う努力は必要だろ」
「ホンマ……ナニモンなんや。お前は」
「あんまりアルバレスを舐めんなってことだ。大貴族ってやつは、その権威に見合う実力を持ってる」
「そうみたいやな……ガウマン。どないする?」
「いいわ。話を聞きましょう」
よかった。
案外、話が通じるもんだな。
俺が剣を納めると、イキールとルージュも武器をしまった。
場に満ちていた戦意が消失する。
「シエラ。もう出てきていいぞ」
俺の言葉を受けて、おずおずとシエラが寄ってきた。
「坊ちゃま。お怪我は?」
「ない。大丈夫だ」
それよりも。
「イキール嬢。さっき話していたことだが」
「歩きながら話すわ。私達は最奥部に用があるの」
「わかった」
そういうわけで、俺達は四人並んでダンジョンの奥へ進むこととなった。
「わてはS級冒険者のオー・ルージュや。これでもデメテルじゃ名が通っとる方なんやけどな」
とはルージュの言葉だ。
「ああ。見事な槍さばきだった。それに剣術と投擲術も一流だったよ。流石はS級だ」
「やめ。あんたに言われても嬉しゅうないわ。ぜーんぶ簡単に防ぎよってからに」
「俺は、文字通り神に愛されているからな」
「あ?」
「いや、なんでもない。そういえばさっき、女神の力が弱くなってるとか言ってただろ。あれ、どういうことだ」
俺の質問に答えていいものかと、ルージュがイキールを見た。
「そのままの意味よ。ここ十数年、この世界に加護を与えていた創世神エレノアの力が急激に弱化してる。そのせいで世界中のダンジョンでペネトレーションが頻発してるの」
「ペネトレーション?」
「簡単に言えば、世の法則が乱れる現象のこと。セーフダンジョンがある日とつぜん高難易度のダンジョンに変化したり、解析できない物質が出現したり。私達はペネトレーションと名付けているけど、これを世界侵食と呼ぶ者もいるわ」
「世界侵食……それがダンジョンの異変の原因なのか」
「そうよ。今はまだダンジョンに留まってるけど、これが街や自然界で起きれば、世界は大変なことになる」
たしかに。話を聞く限りでは、今までの世界の律がぶっ壊れちまうだろうな。
「今のところペネトレーションがダンジョンでしか起こってないのは、ダンジョン内部が魔力の集積によって生まれた異空間だからか?」
「おそらくね。世の法則からすこし離れたところにある分、彼らも干渉しやすいんでしょう」
「彼ら? 意図的にペネトレーションを起こしてる奴らがいるってことか?」
「せや。秘密結社〝ユグドラシル〟っちゅーてな。正体不明の面倒な奴らや」
「〝ユグドラシル〟……」
「わてらが掴んどるんは、奴らが世界の滅亡を画策する悪の組織やってことだけや。居場所も人数も、誰がリーダーなんかもまったく尻尾を掴めへんのや」
「世界の滅亡って、何の為にそんなことを」
「さぁな。世の中には理解しようとするだけ無駄な思想を持つイカれた奴らもおるってこっちゃ」
なるほどな。
「ダンジョンの異変自体は、冒険者の間では有名やで。このところ、ダンジョンの難度がコロコロ変わるなんてザラや」
「そうなのか? 知らなかった」
「ま、貴族のボンボンには縁のない話やろな」
ルージュは皮肉っぽく言う。
「問題は、その異変がセーフダンジョンまで及んでるって点よ」
イキールが深刻そうに呟いた。
「どういうことだ」
「さっきあなたが言った通り、ダンジョンは魔力の集積によって発生した異空間。難度が高ければ高いほど、この世の法則から外れやすくなる。それに比べてセーフダンジョンは、限りなく通常の空間に近い状態なの、それなのにこうも立て続けに異変が起こってる。これが何を意味するかわかる?」
「ダンジョン外にペネトレーションが起こる日も近い……」
イキールは頷く。
「事態は〝ユグドラシル〟の思惑通りに進んでる。私達には一刻の猶予も残されていないのよ」
どうやら、平穏に思えたこの世界は、知らぬところで滅亡の危機に陥っているようだった。まさかこんなことになっているだなんて。
「あの……そのような話を、私達が聞いてもよかったのでしょうか?」
今まで静かにしていたシエラが、不安そうに言う。
「アカンに決まってるやろ。けどま、そこの公子さまのお付きならしゃーないわな」
「ここで聞いたことは他言無用にしなさい。自分の身が惜しいならね」
「は、はい……」
不可抗力とはいえ、シエラを巻き込んじまったか。これは俺の失態だな。
そんな話をしながら歩いていると、いつしか最奥部へと到達。
大きな泉の湧くドーム状の広い空間だった。
「これ……!」
イキールが驚く。
最奥部には、輝くような澄んだ泉が、滾々と湧きだしていた。薄暗い洞窟の中でキラキラしているのは、この泉が普通じゃないことを示している。
「女神の泉……ついにこないなモンまで出てきよったか」
「そんなに驚くようなものなのか? この泉」
「ああそうや。とんでもないシロモンや……!」
ルージュの顔は笑っていたが、その目はちっとも笑っていなかった。




