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記憶の海を漂うあなた

 アルドリーゼは少しだけ沈黙を保っていたが、ため息混じりに口を開いた。


「ノーコメントで~」


 そうだろうな。

 俺が世界から忘れられていた頃に会ったことは憶えているだろうし、救世神と崇めていることも認識しているに違いない。もちろん、アナベルがロートス・アルバレスの子であると承知のはず。

 アルドリーゼの立場で、今すぐ何かを言うことは難しいだろう。下手に喋れば失言を招く。俺の登場で、勢力の関係が一気に複雑になってしまった。


「ノーコメントとはどういうことアル! 日和ったアルか? それとも何かやましいことでもあるアルか!」


「まぁまぁリュウケン殿。いったい何をそんなに腹を立てることがあるんだい? 一旦落ち着いて」


「落ち着けんアル! マッサ・ニャラブはグランオーリスと亜人連邦に挟まれているにもかかわらず、挟撃されていないアル。まさかとは思うアルが……マッサ・ニャラブもグランオーリスとグルというわけではあるまいアルな?」


「まさかそんな~。こっちだってたくさん殺されているのに~、冗談でもそんなこと言っちゃダメだよ~」


 リュウケンとアルドリーゼが、バチバチと視線をぶつけ合う。一触即発の空気だ。俺は護衛として何かしなければならないんだろうか。


「静粛に。みなさんは誤解なさっています」


 その時、エレノアの凛とした声が場の空気を一変させた。


「誤解? 聖女様、それはどういうことだい?」


「話を戻しましょう。あなた方はロートス・アルバレスがブラッキーを率いて都市を襲撃したと思っておられるようですが、そうではありません。領主であるタシターン枢機卿や、現場の兵士、住民の話によれば、彼は都市を守るためにブラッキーと戦ったと」


「へぇ?」


 ネルランダーが興味深そうに微笑んだ。


「すると、あれかい? 彼は帝国のために戦ったと?」


「人々のために戦ったのです」


 エレノアは注意していなければわからないくらいの差で、声を大きくした。


「邪推されるのも愉快ではありませんので、この際包み隠さず申し上げましょう。かのロートス・アルバレスと私とは、同郷の幼馴染です」


 国家の代表と護衛達が、それぞれの驚きを見せた。


「無論、今は袂を分かっていますが、知らない仲ではありません。ですから、彼がどのような人物なのかも把握しています」


「……ぜひ聞かせて頂きたいね。そのロートスなる男の人となりを」


 はいはーい。ここに本人がいまーす。


「一言で表すならば――バカ、だと言えるでしょう」


「馬鹿……アルか?」


「はい。すべてをお伝えするには、彼の足跡は奇妙に過ぎますから、簡潔に纏めます。タシターン領で邂逅した時、彼は重度の瘴気中毒に陥っていました」


「瘴気に侵されていた? 話が違うね。ロートス・アルバレスは瘴気を自在に操るのでは?」


「矛盾はありません。自在に操れば操るほど侵食は進行します。そしていずれは、自我を失った怪物となる」


 ごくりと、リュウケンが唾を飲む音が聞こえた。


「けれどそうはなりませんでした。信用できる筋からの情報では、彼は瘴気を克服したと」


「瘴気を……克服? まさか、そんなことはありえない」


「少なくとも、ロートス・アルバレスには可能だった」


 エレノアははっきりと言い切った。

 この場にいるそれぞれが、顔を見合わせる。

 瘴気を克服するってそんなにすごいことなのかー。たしかにウィッキーも世界でただ一つの例だって言ってたっけ。

 俺ってすごい。俺ってすごい。


「そのような者が、亜人どもを治め、王となったアルか。いったい、何を企んでいるアル。いったい何が目的アルか!」


 リュウケンの剣幕とは対照的に、エレノアはくすりと笑みを漏らす。


「夢見がちなバカが考えそうなことです」


 一瞬だけ見えた表情は、凛とした聖女然としたものではなく、年頃の少女らしい無邪気な微笑みだった。

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