入眠する少年
それからしばらくして、アデライト先生とフィードリットが御者を交代した時のこと。
「すみませんロートスさん。母がおかしなことを」
手元で眼鏡を拭きながら、先生はそんなことを口にした。
「ああ、いえ。別に気にしてません。結婚相手なんて、親が勝手に決めるもんじゃないでしょうし」
「……そうですね」
眼鏡をかけ直し、先生は隣のセレンに視線を移す。
セレンは昨晩の夜更かしのせいか、完全に爆睡していた。穏やかな寝息を立てて壁にもたれている。
子どもみたいだな。まだ十三歳なのだから当然か。
俺も肉体年齢は同じだけどな。これは俺が転生者だからかもしれないが、自分の年齢がいくつなのかふと忘れてしまうことがある。
転生前の年齢を合わせると、アデライト先生よりも年上なんだよな。俺って。
アデライトやウィッキーは、つまるところ年下の年上のお姉さんといったところか。
最高だな。
そんなことを妄想していると、不意に先生の微笑みが俺に向けられた。
「結婚に関しては、あなたから申し込んでもらえるのを待つことにします。できるだけ早くそうなるよう、私も力を尽くします」
ド直球の好意には、俺も口を噤むしかない。
こんな時に気の利いたことを言えるほど、俺は恋愛上級者ではないのだ。
アイリスの生温かい視線を華麗に受け流し、俺はわざとらしく咳払いをした。
「ところでロートスさん。このところウィッキーの様子がおかしいのですか、何かご存じではありませんか?」
「おかしい?」
ここ三週間はほぼ毎日のように魔法のレッスンを受けていたが、特にそんな風に感じたことなかったな。
「どことなくそわそわして落ち着きがなかったり、急に顔を赤くして手足をばたばたさせたり、かと思えば物憂げな顔で溜息を吐いたり」
なんだ。その情緒不安定な行動は。
「明らかに恋する乙女の振る舞いだとは思いませんか?」
「ん。言われてみれば、まぁ」
「ですから、ロートスさんが何か知っている、あるいは何かされたのかと」
「何か……ですか」
俺は腕を組み、唸って見せる。
心当たりはない。強いて言いうならおっぱい揉み放題の件だが、あんな冗談半分の約束を三週間も引き摺るだろうか。いや、ない。
「身に覚えはありませんか?」
「ないですね。魔法を教えてーって頼られたから舞い上がってるだけじゃないですか?」
「……だといいのですけど」
先生から湿度の高い視線を注がれる。
濡れ衣だな。十中八九。
だしぬけに、俺はあくびを漏らしてしまう。眠いのはセレンだけじゃなく、俺も同じだった。
「お休みになりますか? エルフの森まではまだあります。今のうちに休んでいた方がいいですよ?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
英気を養うのは大切だ。体調管理も仕事の内だぞ。
俺は瞼を落とし、しばしの眠りにつくのだった。




