陸上大会
今日は陸上大会のため朱里たち陸上部は競技場にいた。
優人は短距離の種目まで調整のために走り、蓮は本を読んでいる。
真也は陸上部ではないが、競技場に来ている。
朱里は長距離の種目まで時間があるので、走っていた。
種目の順番では、まず蓮の長距離走があり、次に朱里の長距離走がある。その後に優人の短距離走がある。
インターハイ出場につながる大事な大会でもある。
といっても朱里はインターハイに出場する実力など到底ない。
朱里は自分の結果に関心はなく、ただ気持ちよく走りたいだけだ。
インターハイに出場できるほどの実力があるのは、優人と蓮だ。
・・・秋瀬先輩の大事な話って何だろう。
朱里は走りながら考える。
大会前に2人でいるとき、優人は朱里に言った。
自分が100メートル走で1位をとったら、朱里一人で、ある場所に来てほしいと。
何かそこで告白するというような言い方に聴こえる。
朱里はそう思ったが、すぐに首を振り、その考えを打ち消す。
なぜ私のような人間に秋瀬先輩のような凄い人が告白するのだ。
自分にそう言い聞かせる。
それに私はエマーのように恋愛しないで生きる。
朱里はそう思いなおす。
しかし、何度も優人が自分に告白するような考えが浮かび、朱里はそのたびに打ち消そうと躍起になる。
自分はいつからこんな恋愛に期待するような人間になってしまったのだ。
朱里は自分自身に落胆する。
しかし、優人は休日に朱里をメールで誘い、一緒に食事をしたり、どこかに行ったりして過ごすことをしており、朱里自身は自分のことを気遣ってくれていると思っていたのだが、大会前にそのようなことを言われてしまうと、どうしてもそういう考えが浮かんでしまう。
そろそろ武藤くんの種目が始まる。
朱里はアップ運動をやめて、競技会場に向かう。
蓮の競技が始まった。
そして、蓮は難なく1位を取ってしまう。
すごいなー。
朱里は感心する。
時々、秋瀬先輩が武藤くんに短距離走をやるように強く言っている場面を見かける。
秋瀬先輩から見れば、武藤くんの短距離での素質は、ずば抜けているような言い方だった。
1回だけ秋瀬先輩と武藤くんがどういう理由か真剣に100メートル走と200メートル走で勝負することになったけど、どちらとも僅差で秋瀬先輩が勝った。
でも短距離走の練習を積んでいる全国レベルの秋瀬先輩に、そんな練習をしているわけでもない武藤くんがぎりぎりの勝負を繰り広げたのだから、ものすごい才能があることはわかる。
中学の時に陸上で長距離走をやっていたわけでもないのに、なんでそこまで長距離にこだわるんだろう。
朱里は疑問に思った。
朱里の種目が始まった。
朱里は走った。順位は中間くらいだったが、最後まで走りきったことに満足した。
へとへとになった状態で、朱里は誰もいない林の木陰に向かおうとする。
すると、優人が前に現れる。
「朱里!お疲れ様、いい走りっぷりだったよ」
優人は笑顔で声をかけてきた。
「ありがとうございます」
朱里は笑う。
「この後にある俺の種目が終わった後の約束忘れてないよね?」
朱里はドキッとして
「あ・・・はい」
と返事をする。
「俺の走りっぷりも見ててくれよな」
優人は笑ってそう言い、その場をあとにする。
朱里の心臓は走った後ということも合わさりドキドキと高鳴っていた。
朱里は誰もいない木陰につき、あおむけに寝転がる。
走っている瞬間、走りきった後も好きだが、こうして限界まで走ったあとに、地面が草むらの林の木陰であおむけになり、空を見上げている時間も本当に好きだ。
林の木陰で涼しい風が顔にあたり、呼吸を整えながら動く雲を見ていると、突然、誰かの手と腕が視界に入り、タオルが上から落とされた。
突然の出来事に
「あ!・・・」と朱里は思わず声を出した。
顔にかかったタオルを手でずらすと、横に蓮が立っていた。
「お疲れ」
かすかに笑んで蓮は言う。
「あ、ありがとう」
そして蓮はその場を去っていく。
武藤くんは大人びてるな。
朱里は蓮の後ろ姿を見て思う。
武藤くんが動じるところなんてイメージできない。
実際、蓮ほど大人びた雰囲気をもった高校生を朱里は見たことがない。
部活の合宿で偶然2人きりになったとき、武藤くんは主に聞き役に徹していたような気がする。
武藤くんはどんな話でも口を挟まずに同じように丁寧に聞いてくれるような感じがして、安心していろいろ話したんだったな。
最初の頃の蓮に感じた近寄りがたい印象は、今では完全に朱里の中から消えていた。
蓮が去ってからも朱里はしばらく空を見上げていた。
すると、朱里の右頬にひやっとする感じがして、
「きゃっ!」
と朱里は思わず首をすくめる。
いつの間にか横に、しゃがんだ姿勢の真也がいた。
「お疲れさん、朱里ちゃん」
真也は朱里の顔の横に冷たいペットボトルを置く。
「ありがとうございます、九条先輩」
「話し方と呼び方~!」
真也はふてくされたように言う。
「あ・・・ありがとう、真也くん」
朱里は言いなおす。
「どういたしまして」
真也は笑う。
この前、自分と話すときは敬語をやめることと、名前で呼ぶことを朱里は真也に言われたのだ。
真也は朱里の横に座り、パソコンをいじり始めると同時にバッグからうちわを取り出し、
片方の手でパソコンのキーボードを打ちながら、もう片方の手でうちわをあおいで、朱里に風をおくった。
「あ、そんなことしなくていいです」
朱里は慌てて言う。
「話し方~!」
「・・・そんなことしなくていいよ」
朱里は言いなおす。
「いいんだよ。俺がこうしたいんだから」
真也は笑う。
「朱里ちゃん、輝いてたよ」
「順位は中間くらいだけど」
「順位は関係ないよ。何かに必死に頑張ってる人の姿って素敵だなって俺初めて思ったよ」
「ありがとう」
そして、しばらくすると優人の種目で集合を呼びかけるアナウンスが聴こえる。
朱里は立ち上がり、競技場に向かう。真也も朱里についていく。
優人が見える位置に朱里は移動して、その隣に真也もいる。
そして優人の走る順番が来た。
優人はさすがに全国レベルとあって、ぶっちぎりで1位になった。
そして、朱里はその場を離れようとする。
「どこ行くの?」
真也が聞く。
「あ、ちょっとお手洗い」
「失礼しました」
真也は笑いながら言う。
朱里は優人に指定された場所に一人で行く。
そして、そこで朱里は一人で待つ。
すると、仲間からやっと解放されたのか優人がきた。
「秋瀬先輩、1位おめでとうございます」
朱里は笑顔を浮かべる。
「ありがとう」
そして、2人は向かい合って立つ。
朱里は、その状況に何かドキドキしてきた。
優人は朱里を真剣な目で見つめる。
朱里は心臓が高鳴っていた。
優人は以前朱里と話した会話を回想する。
その先どんな魅力的な異性が現れたとしても一生添い遂げたいと思える女性が現れるまでは、誰とも付き合わないっていう友達がいるんだけど、朱里はどう思う?
・・・私は、誠実な人だと思いますけど。
優人は笑む。
「俺は朱里のこと好きだ。恋人として俺と付き合ってくれないか?」
優人は優しく微笑んで朱里を見つめる。
朱里は赤面し、動揺し、混乱する。
少しはそのような展開も考えた。だけど、そんなことないだろうとそのたびに打ち消してきた。
でも、実際にそんなことが起こって、朱里はどうしたらいいかわからなくなっていた。
自分は今まで恋愛をあきらめて生きてきた。
エマーのように生きようと思っていた。
自分のような人間で本当にいいのか?
何か言わないと。
朱里はそう思うが、思考が整理できず、言葉に詰まる。
優人はそんな朱里を見て、口を開く。
「今すぐ返事をするっていうのも困るよな。真剣に考えてほしい」
「俺の気持ちは変わらないから。・・・それじゃあ」
優人は走り去っていく。
走り去っていく優人の後姿を朱里は赤面して見ていた。