武藤蓮
傘を貸した雨の日には、もう恋愛対象として意識していた。
武藤蓮は教室で本を読みながら、朱里をチラッと見る。
もし自分が恋愛対象として意識するならば、それは、死戦や修羅場をくぐったことがあるような、屈強な精神性を有した女性だと思っていた。
周りにいるクラスの女の子たちは蓮にとっては、ふわふわしていて、流されやすく、どの子も死戦や修羅場とは無縁な存在のように思える。
だから蓮は付き合いたいと思うほどの女性が今まで現れたこともない。
蓮は幼いころから武術の心得があり、喧嘩では複数人相手でも負けなしで、命のやり取りのような場面にも遭遇してきた。
実際ふつうの人が命のやり取りを経験することは滅多にないので、蓮が理想とするような女性が目の前に現れる確率は低いだろう。
しかし蓮が今、恋愛対象として初めて強く意識している女の子は、蓮の理想としていた女性とは少し違っている。
顔に傷があるけど、修羅場を経験したような雰囲気はその少女から感じられない。
鋭い顔つきができるような子とも思えない。
それでも、その顔に傷のある少女のことが気になっていた。
クラスで全員の自己紹介が終わった次の日の放課後、蓮が外をトレーニングの一環として走っていると、朱里を見かける。
顔の傷跡で印象に残っており、クラスの女性だと蓮は気づく。
朱里は蓮とはまったく違う道から歩いてきたので、蓮にまったく気づいていない。
蓮は朱里が自分に気づいていないことをわかっていたので、朱里の進行方向とは違う道に行こうとした瞬間、朱里の行動に目をとめる。
朱里は道端にポイ捨てされている缶を拾った。
そして、そのまま歩き出し、少し歩いた場所にあった目立たないように自販機の近くに設置されている缶専用のゴミ箱に捨てたのだ。
蓮はそれを立ち止まって見ていた。
休日も外を蓮は歩いていると、偶然、交差点に朱里が立っていた。
朱里は交差点で小学生の安全横断のために保護者などが使う横断旗を一つ一つ、信号を待っている間に整理整頓していた。
それからは、学校で蓮は朱里を気づけば目で追っていた。
学校の中でも朱里は教室や廊下のゴミなどを気づけば拾ってゴミ箱に捨てているし、校庭や教室で放置されているものを片づけたりするなど、誰に感謝されるでもないことをやっているのを蓮は見た。
そして、雨が降る外での授業の日、蓮は朱里を見ていると、強風で朱里の傘が壊れたことに気づいた。
朱里がなるべく他人に迷惑をかけたり、気を遣わせたりすることを避ける人間であることを蓮は何となくこれまでの朱里を見て、わかっていた。
蓮は朱里がどう帰るのか興味があった。
友達の傘に入れてもらうか、親に車などで迎えに来てもらうか、完全下校時刻まで残って、その日使われないであろう傘を使うか、職員室で事情を話して傘を借りようとするか、もしくは・・・。
その日最後の授業が始まる前の休み時間に、蓮は念のために教師用の傘入れから傘を一本拝借して、自分の傘と合わせて2本の傘を教室に持ってきておく。
授業が終わり、朱里が帰るために鞄を持って教室を出たので、蓮も2本の傘を持って教室を出て、朱里の後をついていく。
すると、朱里はどこにも寄らず、下駄箱へ歩いていき、鞄をビニールでくるんでいく。
蓮はその朱里の姿を見て、小さく笑う。
そして、蓮は朱里の後ろまで歩いていき、朱里が勢いよく外へ飛び出そうとした瞬間、傘をもった腕を伸ばす。
蓮は学校の屋上で、あおむけに寝転がった状態で空を見ていた。
最近、2年生のチャラ系だけど賢そうな男がよく教室に来てあいつに話しかけるようになった。
廊下でも誠実そうな金髪の男と話しているところを見かける。
優人と真也が朱里を恋愛対象として意識しているのを蓮は何となく感づいていた。
「・・・もやもやするな」
蓮はつぶやく。
昼休み終了のチャイムが鳴ると同時に蓮は教室にもどる。
そして授業が全て終わり、朱里が部活に行こうと教室を出る姿を蓮は見る。
・・・図書室に行くか。
蓮は読書を好む。教室ではたいてい一人で本を読んで過ごす。
幼いころから一匹狼的なところがあるので、教室では一人でいることが多く、暇だから本を読んでいたら読書が好きになった。
学力の成績も悪くないので、校則のゆるい自由な校風である、この高校を選んだ。
朱里は部活へ行くために校庭へ向かいながら思う。
最近、九条先輩がよく教室に来て話しかけてくる。
ペンダントのことなら気にしなくていいのに。
それに九条先輩は結構からかってくる。
今日の昼休みに朱里が廊下を歩いていると、真也が朱里に話しかけ、うまく朱里の背中の後ろに壁がくるような逃げられない状態にして、真也は自分の腕を壁につけて、朱里に顔を近づけた。
朱里は両手で自分の顔の前でばってんをつくって、「近いです」と言ったが、真也は朱里のわき腹をもう片方の手でつついた。
朱里は「ひゃ」と言い、体をよじった。
真也は笑い、「朱里ちゃんはかわいいなー」と言って立ち去っていた。
不覚にも朱里は男性に顔を近づけられたことで、ドキドキしてしまった。
そして、真也は陸上部の朱里の練習姿をグラウンドの階段に座り、パソコンをいじりながら見るようになった。
秋瀬先輩も歓迎会のあと、泣いてしまったからか、気を遣ってよく話しかけてくる。
もう大丈夫なんだけどな・・・。
実は優人は朱里とメアドの交換をすでにしており、先週の日曜日には朱里を映画に誘った。
「部活以外では朱里って呼んでいい?」と優人は朱里に言った。
朱里は「はい」と答えた。
朱里は、それらの優人の行動を、泣いた自分を気遣ってしてくれているんだと思っていた。
朱里は校庭に行くために廊下を歩いていると、前から女子生徒が出てきて、「佐藤さんだよね?」と言ってきた。
「はい」
「ちょっと来てくんない?」
「はい」
朱里はその女子生徒のあとをついていく。
人気のない場所に朱里は女子生徒と入っていった。
そして朱里は壁際に突き飛ばされる。
朱里は驚き、転んでひざを擦りむく。
「そいつ? 例の1年って」
壁際の先にいた別の女子生徒が言う。
壁際の先には2人の女子生徒がいた。
3人の女子生徒が朱里を壁際に囲む形となる。
朱里は恐怖で震えた。
3人のうちの一人が金属バットを持っているのだ。
誰かに恨みを買われるようなことをした覚えはなく、朱里は混乱する。
「こいつだよ。秋瀬先輩と九条くんがよく話しかけてるやつ」
「あんた1年のくせに何、調子乗っちゃってんの?」
「センコーにばれるから顔はやめとこ」
「このことばらしたら、今日の2倍の仕返し受けることなっからね」
「これから秋瀬先輩や九条くんと話してもそうなるからね」
朱里は震えながら地面に座り込んだ体勢のまま、自分の顔を腕で覆うような体勢で身構える。
次の瞬間
「おい!」
と男の人の声が通路の先の方から聴こえた。
朱里は青ざめた顔で、その声の聴こえた先を見る。
女子生徒たちも振り返る。
そこには蓮が立っていた。
「何してんだ?」
蓮はこちらに向かってくる。
女子生徒たちは動揺した様子で蓮を見ている。
蓮はバットを持っている女子生徒の前に立つ。
「くだらねえことしやがって」
蓮はため息をつく。
次の瞬間、目にもとまらぬ速さの蓮の鮮やかな回し蹴りが、その女子生徒の顔の横で寸止めされる。
回し蹴りの寸止めを受けた女子生徒はその場でへたり込む。
「次にそいつを傷つけることしやがったら、無残な姿に変えてやるからな」
背筋が凍るような目つきで言い放つ蓮。
女子生徒たちは全員震えていた。
「行け」
蓮は冷たい声を発す。
女子生徒たちは逃げ出していく。中には泣いている者もいた。
「大丈夫か?」
蓮は朱里を見る。
「ありがとう。大丈夫」
朱里はぎこちなく笑顔をつくる。
「立てるか?」
朱里はさっきの取り囲まれた恐怖で、腰が抜けて立てない。
「もう大丈夫だから。ありがとう。後は一人で大丈夫」
そのことを悟られないように朱里は言う。
蓮は朱里に近づき、朱里は体が宙に浮いた感覚がした。
蓮は朱里をお姫様抱っこする形で抱えた。
「あ!・・・大丈夫だよ!そんなことしなくても」
朱里は焦って言うが、蓮は構わず歩き始める。
朱里はその状況に、ここ最近で一番の胸の高鳴りを感じていた。
さっきまでの恐怖が完全に打ち消されかのように朱里はドキドキしていた。
蓮が朱里をお姫様抱っこして保健室に連れていく姿をグランドから優人と真也は見る。
15分前に蓮は朱里が部活に行くために教室の外に出たのを見て、自分も図書室に行こうと、教室を出ると、廊下にいた何人かの女の子の話声が耳に入る。
「ねえ、さっき呼び出されてたよね?」
「顔に傷ある子でしょ?」
「結構、秋瀬先輩や九条先輩と親しそうにしてるから目をつけられたって感じかな?」
蓮はその会話を聞き、その女子たちから話を聞きだし、朱里のもとへ駆けつけた。
蓮が朱里を抱きかかえ保健室に行き、朱里が傷の手当のためにベッドに座ると同時に
優人と真也が
「朱里!」
「朱里ちゃん!」
と2人同時に保健室に駆け込んできた。
「何があった?」
優人が聞く。
「転んじゃって。たいしたことないから、大丈夫だよ」
朱里は答える。
蓮は黙っている。
「こいつだね」と真也がパソコンのモニターに、廊下で朱里と一緒に歩く女子生徒を映していた。
「しっかりと退治しとかないとね・・・」
真也は笑う。
「やめて!」
朱里は慌てて言う。
「退治って、何する気だ? 生徒会や教師に言って、正当な手段で問題にするべきだ」
優人は真也を見る。
「甘いなー。そんなんで今どき問題が解決すると思ってんの?表面上だけでしか解決しないよ」
真也はため息をつく。
「2人とも私は本当に大丈夫だから」
朱里は必死に言う。
「本人の気持ちを汲んでやれよ」
蓮は優人と真也に言う。
「連中には俺が言葉で恐怖を刻み込んどいたから、もうやってこねえよ」
蓮は保健室から出ていこうとする。
蓮が保健室を出ていこうとするのを見て、「武藤くん!ありがとう」と朱里は言う。
「お大事に」
蓮はそう言い、保健室から出ていった。