70.「珈琲メーカーも?」
信楽さんが言うには昼前に熱が下がったそうで、キッチンに行ってみたら昼食が作り置きしてあったそうだ。
それもおかゆと普通のランチの二種類。
比和さん気配り名人だからなあ。
ちなみに信楽さんが起きた頃にはもう、炎さんや静村さんはいなかったらしい。
二人とも外出したな。
寝込んでいる信楽さんを放り出して逃げたように見えるけど多分違う。
静村さんがそう判断したわけで。
つまり信楽さんが回復することが判っていた、あるいは回復させたんだろうね。
『そうだと思いますぅ。
静姫様は絶対ですぅ』
信楽さんは静姫様に帰依しているからさもありなん。
神様なんだから拝めばご利益くらいはあるでしょう。
「ところで僕は宝神の理事長室にいるんだけど何か?」
聞いてみた。
『ならいいですぅ。
秘書としてぇ居場所を確認したかっただけですぅ』
ストーカーか?
「いやいや。
信楽さんは少なくとも今日一日は休んでよ。
そんなに急ぎの仕事もないし」
『はいですぅ。
まだちょっとフラフラするですぅ。
お言葉にぃ甘えさせて頂きますぅ』
ワーカーホリックの信楽さんも参っているらしい。
「僕の事は気にしないで。
矢代興業関係も黒岩くんたちがフォローしているらしいし」
『判りましたぁ』
「夕方には帰るから」
そう言って電話を切る。
やれやれ。
それにしても信楽さんが倒れるとは。
普通の女の子に見えて、信楽さんって凄くタフなんだよね。
多分体調のコントロールが上手いんだろうと思うけど、相当な強行軍でも涼しい顔でやり過ごしていたりして。
その信楽さんが過労で倒れるって、どれだけ無理したんだよ。
僕はちょっと考えてから黒岩くんに電話した。
信楽さんが起きた事を伝えて、でもまだ完全に復活してないから無理させられないことを伝える。
『そうですな。
考えてみれば信楽殿はろくに休暇をとっていなかったかと。
知らず知らずのうちに過大な期待と仕事を押しつけてしまっておりました』
「そうだよね。
僕も信楽さんに頼りっぱなしだったし」
『了解致しました。
この際、信楽殿にはお好きなだけ休暇をとって頂きます』
言い切る黒岩くん。
大丈夫なの?
矢代興業とか宝神総合大学とか。
『幸いにして現時点では緊急かつ重要な問題は発生しておりません。
信楽殿の統括者としてのお役目もひとまず落ち着いております故』
しばらくなら黒岩くんたちで会社を回せるそうだ。
てことは信楽さん、いつもは一人で矢代興業を回していたわけか。
凄すぎるよ。
電話を切って考えてみたけど僕には何も出来ないという結論に達しました。
せめてこれ以上の負担をかけないようにしないと。
心理歴史学講座の助教に投げるつもりだった仕事をするか。
せめて目標管理シートだけでも出させないと。
それから僕はメールやLINEやグループウェアの掲示板なんかで督促しまくった。
電話しても出てくれないんだよね。
特に宮砂さんとシャルさん。
いくら言っても無反応なので、しょうがなくてメールした。
心理歴史学講座の課題を自分の仕事にリンクさせて結構です。
あっという間に目標管理シートがアップされた。
今まで逃げてやがったな?
しょーもない学生たちだ。
まあ忙しいんだろうけど。
目標管理シートを開いて見ると、案の定趣味に走りまくりの目標が並んでいた。
二人とも似たようなもので、年度内にOVA仕様のアニメを一本作るとか出版事業を立ち上げるとか中学生の妄想みたいな「目標」が並んでいる。
でもちゃんと数値目標も入っているし、矢代興業の力を持ってすれば実現してしまいそうなんだよね。
もういいや。
仮承認のチェックを入れる。
後は時間がある時に面談だ。
疲れた。
信楽さん、こんなことを全社規模でやっていたのか。
はっきり言って化物だよね。
ふと気づくともう夕方だったから帰ることにする。
今日は誰も訪ねて来なかったな。
こんな平穏な日々が続けばいいんだけど。
タブレットを鞄に入れて理事長室を出る。
駐輪場に行くまでの間も誰ともすれ違わなかった。
建物だけあって誰もいない。
大丈夫なの宝神総合大学?
人類滅亡後の世界みたいだ。
それにしては綺麗に片付いていてゴミとかもないんだけど。
自転車を借り出して河土手を走り、矢代家(笑)に戻ってとりあえずリビングに行くと信楽さんがいた。
さすがにパジャマとかじゃなくてゆったりしたワンピースだった。
こういうフェミニンな私服もいいなあ。
「お帰りなさいですぅ」
「ただいま。
もう大丈夫なの?」
「はいですぅ。
一日中ゴロゴロしていたせいでぇ身体が痛いですがぁ」
それはご愁傷様。
「今日の夕食について何か聞いてる?」
「比和先輩からぁ連絡がありましたぁ。
今日は帰れないのでぇ、矢代ホームサービスを手配したとのことですぅ」
比和さんは都内で泊まりか。
忙しそうだな。
「判った。
ちょっと着替えてくる」
そう言ってリビングを出ようとする僕に信楽さんが言った。
「荷物がぁ届いてますぅ。
お部屋に運んで貰いましたぁ」
荷物?
両親が何か送ってきたのか。
二階に上がって僕の部屋のドアを開けた途端に目に飛び込んできたのは巨大な段ボール箱だった。
それも数箱ある。
これは?
両親の差し入れにしてはでかすぎると思いながら、とりあえず部屋に入る。
身体を斜めにしないと通り抜けられなかったりして。
箱の正体はすぐに判った。
段ボール箱に印刷されていたから。
32型の4Kテレビと最新型のHDDレコーダーか!
別の箱はデスクトップPCとディスプレイみたい。
自動式の珈琲メーカーもある。
誰かが手配してくれたらしい。
何か贅沢過ぎるんですけど?
ていうかこれ、僕が買ったことになってるんだろうか。
みんな最新型だから高いよこれ。
階段を駆け下りてリビングに飛び込むと信楽さんがテレビを見ていた。
何かよく判らない学術番組だ。
いやそんなことはどうでもいい。
「信楽さん!
僕の部屋にあるアレって」
「矢代興業社長のぉ経費で揃えましたぁ。
お仕事に必要な備品ですのでぇ」
さいですか。
でもPCはいいとしてテレビや珈琲メーカーも備品なの?
「娯楽機器に見えるんだけど」
「矢代社長はぁいついかなる時でもぉ情報収集が必要ですぅ。
PCやぁテレビはぁそのための備品ですぅ」
「珈琲メーカーも?」
「はいですぅ。
矢代興業社長の寛ぎのための備品ですぅ」
職権乱用なんじゃないのそれ?




