36.「今は静村さんだよね?」
静村さん、じゃなくて静姫様によると僕の中に無聊椰東湖というかもう一人の人格がいるというのは矢代興業関係者の中では周知の事実なのだそうだ。
だけど一部誤解されていて、無聊椰東湖も僕だと思われているらしい。
通常モードと本気モードというか。
無聊椰東湖の衣を纏った僕は色々な知識に精通している上に怜悧で決断力に優れていると。
つまり普段の僕は羊の皮を被った狼とか思われてるわけ?
(やはり判るか。
矢代大地とは違うのだよ矢代大地とは)
五月蠅いよ!
「でも静姫様は知ってるんだよね?
僕ともう一人が違う人格だって」
「まあな。
だが普通では判らんぞ。
他の者は皆単一人格だからな」
そうか。
厨二病患者のみんなって「転生」だからね。
今の自分と前世の自分が入り交じってしまっている。
少なくとも人格的には同一人物なんだろう。
バリエーションはあるみたいだけど。
超能力者みたいに前世じゃなくて並行世界の自分を感じているとか、宇宙人みたいに完全に異質だとか。
未来人は転生物によく出てくる「前世の記憶」があるだけらしいし。
あれ?
「静姫様は僕と同じなのでは?」
静村さんと静姫様って別人格だよね?
そう聞くと否定された。
「残念だが違う。
静姫は言わば感情だけの存在での。
人格としては静香だ」
「だって話し方が違うし」
「TPOに合わせているだけだな。
ダイチ殿だって同世代との会話と幼稚園児の集団に向かって話す時とでは口調を変えるであろう?
そのようなものだ」
僕はどっちなんだろう(笑)。
まあいいか。
面倒くさそうな事はとりあえず棚上げにする。
「僕の事はいいや。
それで目標管理の何が困ってるって?」
(矢代大地のそういう切り替えが早い所は素直に凄いと思えるんだが)
悪かったね。
それじゃ後は任せたから。
操縦桿を渡す。
精神的に後ろに下がってリラックスする。
あー珈琲が美味い。
(ちょ、いきなりかよ!)
だってご指名だし。
「うむ。
目標管理の内容は理解した。
だが私がそれをやるのは困難かと思ってな」
静姫様もマイペースだった。
淡々と話す。
(しょうがねえな)
無聊椰東湖、何か嬉しそうだね?
ご指名が入ったからか。
ホストなの?
「書き方が判らないとかか?」
スムーズに入れ替わる。
静村さんのことは言えないよね。
「いや。
書くのは簡単だし目標の設定も可能だ。
だが問題がある」
静姫様は珈琲を啜ってから言った。
「私が目標を書くと必ず実現してしまうのでな」
「……そういうことか」
無聊椰東湖が精神的に頭を抱えるのが判った。
確かに。
静村さんというか静姫様の場合、どうも静村静香という女子大生個人じゃなくて、その周囲の環境を含めた「状態」みたいなものなんじゃないかと思う。
何かを望めばそれは成る。
それを含めての存在だ。
つまり目標が目標にならないと。
「静村くんが悩んでいると?」
「悩んではいないな。
困っているだけだ。
まあ、適当な目標を立ててそれを達成すればいいだけだから」
簡単過ぎるわけね。
うーん。
僕なりの解答はあるんだけど、ここは無聊椰東湖のお手並み拝見といくか。
「……そもそも目標管理というものは自分に欠けている能力なり技能なり実績なりを会得したり実現したりするための方法だ」
無聊椰東湖が真面目に話し始めた。
この感覚、どうも慣れないな。
自分の身体が自分以外の意志で動いているのを傍観している気分?
楽でいいけど。
「ふむ」
「普通の人間はスーパーマンじゃないから、どんな者でもどこかしら苦手だったり出来ないことがあったりするわけだ。
あるいは立場に見合った能力や技能が足りないとかな。
それを克服しないと前に進めない。
だが要求される事は時としてあまりにも遠大な目標になる。
少なくとも現在のままでは到底到達出来そうにもない位置、とかな」
「なるほど」
「目標を達成するためのプロジェクト管理という考え方がある。
プロジェクトの完成を目標と見做して、そこに到達するためのステップを一つ一つ実行して行こうというものだな。
困難は分割して克服せよという奴だ」
無聊椰東湖、ひょっとしたら結構出来る会社員だったのかも。
僕、プロジェクト管理なんか聞いたこともないよ?
(学生でいる間は必要ないかもな。
これは何かを成し遂げようとする場合に余りにも非力な人間が何とかするために考えた方法論だ)
そうなの(泣)。
判りました。
黙ってます。
「で、結論は?」
静姫様が淡々と言った。
結構きつい人だよね。
これも静村さんの性格の一部なのか。
「だから静村くんの悩みに目標管理は対応出来ないということだ」
無聊椰東湖、結論がそれかよ!
僕は慌てて精神的な操縦桿を握った。
私が出る。
「と言いたい所だけど違う」
突然口調を変えた僕に静姫様は面白そうな表情を向けてきた。
「ダイチ殿か。
すると今までは」
「後で紹介するから。
ええと、静村さんの悩みは『自分の努力が必要ない』ということでいいのかな」
「そうだな。
そう言ってもいいだろう。
努力しようがしまいが出来てしまうからな」
静姫様はスムーズに乗ってきた。
助かる。
「だったらさ。
目標の達成を目的とするんじゃなくて、達成方法とか過程を評価したらいいんじゃない?
本人の努力がないと達成出来ないようにして」
「……ほう」
静姫様が真剣な表情を作った。
やっと本気になった?
「具体的には?」
「この場合、目標自体も考える必要があるよね。
例えば静村さんが今度の東京オリンピックで優勝する、というような目標を立てて達成してしまっても、それは本人の努力じゃない」
「確かにな。
世界の理にかなり干渉することになるし、誰も納得出来まい」
でも可能なんだよね。
怖っ!
「そう。
その『納得出来る』というのが鍵だと思うんだ。
目標をもっと簡単なレベルに設定して、本人が納得出来る形で達成したかどうかを評価基準すればいい」
どうやるのかは判らないけど(泣)。
(なるほどな。
面倒くさい事を取っ払えば残ったものはそれか)
うん。
結局の所、この問題は静村さんが自分で納得出来るかどうかなんじゃないかな。
客観的に見れば静村さんって万能なんだよ。
だって何でも出来てしまうんだから。
達成方法や過程が納得出来ない人がいたとしたって結果が出れば黙るしかない。
某大統領がメチャクチャやっても何となく認められているのは結果を出しているからだよね。
だったらもう、目的を変えて静村さんが満足したかどうかにすればいいんじゃない?
「……なるほど」
静姫様がいつの間にか組んでいた腕を解いた。
「ひとまずは納得した。
そういう方向で考えてみることにします。
ありがとうございました。
ダイチさん」
静村さんに戻っていた。
便利なのか不便なのか。
「今は静村さんだよね?」
「はい。
というより今までのも私ですよ?」
とてもそうは思えないけど。
「静姫も言っていたと思いますがあれも私ではあります。
静姫という独立した人格、いえ神格があるわけじゃないんです。
アレは意志や人格というよりは『感情』ですね。
だから全部覚えてます」
くすくすと笑う静村さん。
何が可笑しいの?




