330.「世界のどこかにはいるかもしれないね」
心理歴史学講座に所属する学生さんたちの目標管理票を添削、というか難癖つけて書き直させたり演習と称して懇談会の後カラオケに行ったりしているうちに4月が終わった。
世間ではゴールデンウィークらしいけど矢代興業や宝神総合大学は関係ない。
いやカレンダー的には休日なんだけど働いちゃイカンとか学校に来ちゃ駄目だというわけじゃないからね。
僕や他の人たちは平日と同じように通勤や登校していた。
まあ会議の類いがないし外部との接触がほぼ無くなった事で僕は楽だけど。
連休が終わり、密かに畏れていた5月13日が過ぎても何も起こらなかった。
その日は矢代興業に所属する厨二病患者たちが全員息を潜めていたんだけど。
前世が蘇ってから3年が過ぎても何も変わらない。
「特に問題無いですぅ」
信楽さんも口ではそんなことを言いながらほっとしているみたいだった。
あれ?
「信楽さんって前世を思い出したわけじゃないのでは」
「正確に言えばぁ前世を忘れなくなったと思いますぅ。
私ぃは同じ期間をぉ何度も繰り返していたのでぇ」
つまりそれまでの信楽さんは繰り返しというか次元漂流を続けつつ、その度に記憶を失っていたわけか。
でもある時から忘れなくなった。
あるいはその時から繰り返しが始まったのかも。
「それが5月13日かどうかは判らないんだよね」
「ですぅ。
でもぉ他の日である必然性もないのでぇ」
信楽さんの厨二病は矢代興業の中でも特異だ。
前世がひとつじゃない上に、その前世がすべて自分だという(笑)。
次元漂流者は今のところ信楽さん一人だけで類似の人は見つかっていない。
「世界のどこかにはいるかもしれないね」
「ですぅ。
ただしぃ露骨な中二病と見分けがつかないのでぇ捜索は難しいですぅ」
確かに(笑)。
「中学2年生を百回繰り返した」とか聞かされたら普通、中二病以外の可能性は思いつかないよ。
それに、そんな状況で記憶が残ったら普通の人は多分発狂する。
廃人として精神病院に入れられているかも知れない。
信楽さんが生き残ったのは元々天才だったからなんだろうな。
恐ろしく強靱な精神力と異常に高い知性が揃ってないと繰り返しには耐えられないはずだ。
「それで普通の生活してたんだから信楽さんは凄いよね」
「確かにぃ自分でも感心しますぅ。
前世はなるべく忘れるようにしていたのがぁ良かったのかもしれないですぅ」
それでか。
最初会った時に聞いたら「前世は混ざってしまってよく判らない」と言われたもんね。
確かに百回も似たような経験をしたら混ざるよ(笑)。
「まあ、今の信楽さんは繰り返しから抜け出したわけだし」
そう言われて深刻な表情になる信楽さん。
「実はぁまだビクビクものですぅ。
新しい繰り返しに入っただけなのではないかとぉ」
そうか。
信楽さんが中学2年生を繰り返した原因が判らない以上、それを抜けたと決まったわけではないんだよね。
いつ繰り返しが再開されるか判らないわけで。
信楽さん、大変じゃないか!
実際に起きるかどうかはともかく、そういう可能性があるだけで精神的な負担が大きいのでは。
「大丈夫なの?」
聞いたら意外にもにんまりされた。
「平気ですぅ。
今の私ぃは繰り返しから抜けた私ですぅ」
よく判らない。
「つまりですねぇ。
中学生時代の繰り返しではぁ私の意識が並行世界に移って過去の自分に憑依したと考えられますぅ。
ただしぃ私の意識が離れた『信楽友梨香』にはぁその私ぃの意識が残っているはずですぅ」
「そうか。
確かに」
「はいですぅ。
並行世界の信楽友梨香にぃ憑依する意識はぁ私の複製と考えられますぅ」
なるほど。
次元漂流して過去の信楽さんに憑依する意識は信楽さんのコピーか。
もともとの信楽さんはそのまま人生を歩んでいくということで。
「そうか。
つまり今僕の前にいる信楽さんは繰り返ししなかった方の元の意識か」
「はいですぅ。
既にぃ繰り返しは起きているかもですがぁ残った私ぃには判らないですぅ」
そういうことね。
これまでにも繰り返しが発生していたのかもしれない。
でもこの世界に残った信楽さんは常に次元転移しなかった方の意識だ。
本人には何事もなかったようにしか思えないし、というよりは繰り返しが起きていたとしても気づかないと。
「待って。
じゃあ繰り返しして別の世界の信楽さんになった意識もあるかもしれないと?」
「はいですぅ。
その場合はぁ色々やり直しになりますがぁ。
でも大丈夫ですぅ。
私ぃにはもう矢代先輩のぉ記憶がありますぅ。
どんな世界でもぉ再会しますぅ」
そうなの。
(つまりあれだ。
お嬢ちゃんはいつどこに飛ばされても矢代大地を訪ねてくるわけだな。
二度目三度目だからお嬢ちゃんも楽だろう)
無聊椰東湖が意味不明な事を言うけどまあいいや。
信楽さんが大変なんじゃないかと思うけど、本人はあまり気にしてないみたい。
僕だったら突然過去に飛ばされてまた高校に通うなんて真っ平だけど。
面倒くさい。
それに信楽さんの話だと全く同じ世界じゃないみたいだからね。
魔素があって王国と帝国が戦争していたりするかもしれない。
とんでもない。
僕は近寄らないぞ!
(まあ、ありそうにないから心配することはなかろう。
矢代大地はそういう厨二病じゃないだろう)
そうだよね。
心の中に中年男を飼っているだけの何の変哲もない平凡な厨二病患者だから。
繰り返しなんか起こらないって!
(万一起こっても俺に頼ろうとするなよ)
ついてくる気かよ!




