10.「何をするのかはぁ、学生の自由ですぅ」
「それではぁ心理歴史学講座についてぇ説明しますぅ」
信楽さんが早速講義? を始めた。
さっきまでは事務局次長だったけど今は心理歴史学講座の助教なのか。
凄い。
僕、教壇にいなくてもいいよね?
「駄目ですぅ」
はい(泣)。
でもこれ、全部信楽さんのシナリオじゃないの?
僕なんか未だにここで何をしているのかすらよく判らないのに。
そんな僕の葛藤をよそに信楽さんが相変わらず気の抜けた口調で続ける。
「皆さんはぁ『心理歴史学(Psychohistory)』という言葉自体が判らないと思いますがぁ、これは造語ですぅ。
百年近く前にぃアメリカのSF作家がぁ自分の小説の中でぇ出しましたぁ」
それから信楽さんはアジモフと「銀河帝国の興亡」だったかについて簡単に説明した。
「それってビッグデータの事じゃないのか」
早速質問が出た。
やっぱ晶さんって凄いね。
「どうでしょうかぁ。
そもそも心理歴史学自体はぁ架空の学問ですぅ。
作者も詳しい所まではぁ設定してなかったと思いますぅ。
小説の中で出てくる説明はぁ単なる統計学に思えますぅ」
まあ、そうだよね。
確かにアジモフが心理歴史学について詳細に考えていたとは思えない。
ただの道具のつもりだったんだろう。
でも考えてみたらビッグデータの考え方に近いんだよ。
まあどうでもいいけど。
「自分で作っといて判ってなかったと?」
「当たり前ですぅ。
ガンダムやぁエヴァンゲリオンのアニメを作った人がぁ現実のぉロボットを作ったわけじゃないのと同じですぅ」
そう来ましたか(笑)。
まあ、作家なんかそんなもんだろうけど。
「だったら俺たちは設定すらはっきりしない専門分野で何をするんだ?」
晶さんの追求が続く。
それは僕も聞きたい。
「何をするのかはぁ、学生の自由ですぅ」
信楽さんが淡々と凄い事を言った。
自由。
俺たちはフリーしかやらないと?(笑)
「全然判らんぞ。
真面目にやれ」
晶さんが投げたように身体を落とした。
もう飽きたのか。
さもありなん。
「矢代教授ぅ。
説明をぉお願いしますぅ」
そこで僕に振る?
まあいいか。
今の説明で大体判った。
(凄えな矢代大地。
俺なんぞ全然わからんのだが)
無聊椰東湖には無理かもね。
こういうのはラノベを読んでないと思いつかないから。
あるいはサラリーマンという社会の現実にどっぷりハマった精神では理解不能かも。
僕は信楽さんに頷いた。
私が操縦桿を握る。
信楽さんが精神的な操縦桿を手放すのを感じてから話す。
「ええと。
心理歴史学(Psychohistory)の説明はちょっと忘れて。
で、一体ここは何をする講座なのかというと、仕事するわけです」
シーン。
炎さんすらぽかんとした表情で僕を眺めた。
そんなに変かな。
「輪をかけて理解不能だ」
晶さんが自ら髪をかき乱す。
高巣さんは……無だね。
悟った?
未来人たちはタブレットを見ながらブツブツ話し合っているし鏡と琴根は石像のように微動だにしない。
ていうか今気づいたけどこの二人も僕の講座の所属なの?
「矢代教授ぅ」
はいはい。
「僕もさっきまで気づかなかったんだけど、ここにいる人たちは言わば『規格外品』なんだよ。
例えば晶さん。
晶さんは何の専門家になりたいの?」
不意に指された晶さんは、それでも少しも慌てなかった。
椅子に座り直す。
「そうだな。
なるほど。
そういうことか」
判ってくれたらしい。
晶さんって多分、この教室にいる人の中で信楽さんの次くらいに頭がいいからね。
僕が思いつく程度のことはもっと早く気がついてもいい。
そう出来なかったのは前世のせいだろう。
帝国の将軍という責任がある地位で仕事をこなしてきたという経験が邪魔をするんだよ。
僕みたいな無責任野郎と違って。
「晶殿。
どういうことでしょうか」
高巣さんの問いに晶さんはにんまりと笑って僕に視線を向けてきた。
判りましたよ。
僕が言えばいいんでしょ。
「高巣さんは何の専門家になりたい、ていうかなるの?」
矛先を向けられてちょっと慌てる高巣さん。
「専門家、でしょうか。
いえわたくしは」
そこで絶句する。
気がついたな。
「武野さん」
「あたし?
うーん。
証券投資家?」
平気な顔で返してくる武野さん。
相棒の鞘名さんも頷いている。
嘘こけ。
あんたらがそんな真面目な目標を立てるはずがない。
炎さんは僕が視線を向けただけで慌てふためいていたのでスルーしてあげる。
鏡と琴根は……止めとこう。
ていうかこの二人、僕の講座の所属じゃなかったよね?
まあいいか。
ロンズデール姉妹は不可触。
さわらぬ宇宙人に祟り無し。
「このように、みんなの目標はバラバラだよね。
しかもそれだけじゃない。
誰一人として今言ったり思ったりした事は実現するつもりはないでしょ?
ていうかそもそも専門職なんかになるつもりがない」
「続けろ」
相変わらず上から目線の晶さん。
でもこういう合いの手は助かる。
誰も何も言ってくれないと僕は一人で延々と話し続けなきゃならないからね。
「もちろんみんながいい加減だとか人生を舐めているとかじゃなくて、そもそも無理なんだよ。
専門家にはなれない。
なっちゃいけない。
なったらヤバい。
最初から専門家だから。
世間に公開出来るようなもんじゃない分野の」
僕は溜息をついた。
「心理歴史学(Psychohistory)講座は、そういう人たちの駆け込み寺です」
決まった。
どや顔を作ろうとした瞬間、ドアが勢いよく開いて人が転がり込んできた。
「すみませーん!
遅刻しました!
河を見に行ったら迷っちゃって」
静村さん。
TPOを弁えてよ!




