宇宙の欠片
三題噺です。
友達にお題を出されたので書いてみました!
ちなみにお題は…
「ドラゴン」「彗星」「ブラック企業」
世界観が崩壊しています…
御都合主義です。
なんでも許せる方だけどうぞ。
濃紺に染められた宙に昼間のような眩い光がはしる。
その光景はどこか懐かしく、どこまでも美しかった…
それはきっと奇跡の瞬間。
暗闇の中にぼんやりと光が浮かぶ。そこは秘密の研究室だった。表向きは大手薬品会社だが、その実態はとてつもなく安い賃金で従業員をこき使うブラック企業である。
秘密の研究室で作られた薬を従業員に服用させ、精神を乗っ取ってしまうため、誰一人としてその実態を世間に広める者はいない。
そんな中、研究者として囲われた天才的な少年がいた。他の人が持ち得ない力を持つ彼は、組織で使用される薬の作製全てに関わり、15歳という年齢で組織の中枢に深く入り込んでいた。彼は自身の調合した薬によって侵されることはないため、組織によって傷つけられる人々の苦しみを思わない日はなかった。
そんな彼とは別にもう一人組織の研究室で働く老師がいた。老師は不思議な薬を作ることが得意で、人間を動物に変える薬や姿が見えなくなる薬を作っていた。彼の薬は組織に逆らった者を処理するために使われることが多く、上層部の人間によって厳しく管理されていた。
今日こそは、と少年は研究室を抜け出した。老師が寝付いた明け方近くを狙って。
かつて少年と老師が協力して作った悪魔の薬。それだけはどうしても回収しなくてはならない。組織によって取り上げられたが、彼らにも詳細は伝えていない恐ろしい薬なのだ。
金庫の鍵は複製済みだし、セキュリティの穴も知っている。少年の作戦は完璧…そのはずだった。
少年は組織の冷淡さを読み違えていた。幹部たちによって無理矢理ネズミに姿を変えられた従業員が、暗闇の中で目を光らせて見張っていたのだ。少年の行動はすぐに上層部に知らされた。
「おい、そこで何をしている…?」
低い声が部屋の中に響いた。その瞳には、はっきりと嘲りの色が浮かんでいる。少年の表情が強張ると、反対に男の唇は吊り上げられた。
「探し物はこれか?」
男の手には悪魔の薬が握られていた。
「!…やめろ、お前たちはそれの本当の姿をわかっていない。それは…」
少年の声を遮るように、ネズミが男の足元を駆け抜けた。思わずよけた男の手から瓶が滑り落ち…カシャンと小さな音を立ててそれは割れた。
少年の表情が絶望に染まる。それと同時に彼は男を突き飛ばした。薬が空気に触れたことによって発生した煙が、先程まで男が立っていた場所にいる少年を包む。恐ろしい薬は瞬く間に彼の気管支に侵入した。
「うっ…!」
少年の身体からも白い煙が上がる。バキバキと凄まじい音が、静けさに包まれた辺りの空気を切り裂いた。
鋭い爪や牙、爛々と輝く瞳。もうそれは、人ではなかった。ドラゴン、そう呼ぶのが相応しい姿だった。
少年の声にならない叫びは、耳障りな鳴き声として発せられた。
老師は空気を揺らす低い唸り声で目を覚ました。ふと隣を見ると、そこに眠っているはずの少年がいない。悪い予感に老師は肩を強張らせた。
「おいっ、どういうことだ!」
突然ドアを突き破るように入ってきたのは組織の幹部の一人。その顔色は悪く、地獄を垣間見たような表情だった。
「あの薬が、割れてっ、あいつが…!」
そこで男は意識を失ったが、その情報だけで老師には十分だった。最悪の事態だ。
二人の協力によって創り出された悪魔の薬。それは他の変身薬と違い、元に戻す薬ができていなかった。
そして何よりも恐ろしいのは、ドラゴンに姿を変えた者は理性を失い、人の言葉を理解しなくなるというものだった。
あの薬の餌食となったのなら、少年はもうこの近くにはいないだろう。老師は少年の行く末に思いを馳せた。
互いに組織に属しているが、組織に対しての思いを話すことはなかった。しかし老師は気がついていた。少年が組織に抱いていた思いに。そして、その上で組織に居続けるしかない彼の苦しみを理解していた。老師も同じ思いだったのだから。
戦い続けた少年の末路が、組織によってもたらされたものだということが、老師の胸を更に抉った。
ドラゴンに姿を変えた少年は、僅かに残った理性を繋ぎ止めて都市の上空を飛んでいた。
早く人里から離れなくてはならない…理性を失う前に。身体中の痛みで溢れそうになる叫びを必死に抑える。
白み始めた空を見上げ、早く、早くと何かに取り憑かれたようにひたすら飛んだ。
人里の灯が見えなくなり、崖の中腹に程よい洞窟を見つけた頃、少年の意識に限界が訪れた。
最後の力を振り絞って洞窟に入り込む。そこで彼の意識は途絶えた。
少年を侵した薬は、原液ではなく煙となっていたため、不完全なものだった。そのため、夜…太陽が沈み月が空を支配する間だけは人の姿に戻ることができた。だが、昼間はドラゴンの姿で人としての理性もないため、少年の記憶にはどうしても埋められない穴があった。
その穴が少しずつ少年の心を閉ざしていき、いつの頃からか彼は空腹すら感じなくなっていた。
ー何度、夜が明けただろうか。
その日は、とりわけ空気の冷たい夜だった。
太陽が水平線の彼方に姿を消して少しした頃、昼間のような光が差した。
その星は美しい青白い光を放ちながら、濃紺に染められた宙を割いた。
少年も力の入らない身体を支えながら、その景色を見ていた。記憶も曖昧で、よくわからないけれど…美しい眺めはなぜかとても懐かしく、そして優しく感じられた。
彼の痩けた頰を、煌めく雫が伝った。
ふと視線を下げると、彗星とは別に仄かな光が少年の方に近づいてきていた。
彷徨うようにゆっくりと漂う光は、どこか彗星に似ている。
やがてすぐ側までくると、少年にもその正体がわかった。
それは優しく儚い空気を纏った、美しい少女だった。微かに発光している姿は神秘的だ。
その一方で、彼女の瞳には戸惑いと焦りの色が濃かった。何かに怯えるようにあたりを見回していた少女は、少年の姿を目にとめると驚きに目を見張って、それから駆け寄ってきた。
「ねぇ、大丈夫?すごく具合が悪そうだわ。」
力なく横たわる少年の上に手をかざし、緩く瞳を閉じる。
「貴方にご加護がありますように…」
祈るように言葉が紡がれ、少女の手から光が溢れた。暖かく優しいその光は、少年の傷をそっと癒した。
「私はリスティアよ。貴方の名前は?」
「…僕は翔。」
「ショウ?…ショウ。」
リスティアは小首を傾げ、少年の名を繰り返した。
名を呼ばれた瞬間、翔は身体中に力が満ちるのを感じた。
優しくて、尊くて、愛おしい。言葉には表せないような気持ちが心を埋め尽くす。
美しいものに感動することが、寒さに震えながらも生き抜くことがどれほど大切か。永らく忘れていたことが、こんなにも愛おしいものだったなんて…
「…ねぇ、ショウ、貴方は私の話を信じてくれる?」
突然そう言ってリスティアが語ったのは、なんとも滑稽な話だった。
リスティアは彗星…今、宙を照らしている星で暮らしているらしい。彗星と共に生まれ、共に死ぬ運命の一族だった。
しかし今回地球に接近した際、うっかり落ちてしまったらしい。帰る方法を探していると言う。
「今地球から見えてる彗星…あの星に夜が明ける前に、帰らなきゃいけないの。時間がない、だけど私は地球に詳しくないわ。だからショウ、少し手伝ってほしい。…お願いしてもいいかしら?」
リスティアの瞳に宿る切実な色は確かに翔の心に届いた。傷だらけだった心と身体、そのどちらもを癒してくれた彼女の願いを叶えることに否などあるわけがない。
「…君はどうすれば帰れるの?」
「リスティア。」
「え?」
「私の名前はリスティアよ。名前を呼んで。名は魂と同じなの。呼ばれなければ、やがてその人は消えてしまう。」
「リ…リスティア?」
翔がリスティアの名を呼ぶと、彼女は輝くように晴れやかな笑顔を見せた。
「ねぇ、ショウ、お腹空いてない?」
リスティアの言葉で翔は空腹を思い出した。そんな翔を見てリスティアは満足そうに頷くと、懐から綺麗な包みを取り出し翔に差し出す。
「これは?」
「金平糖よ、ショウにあげるわ。甘くて美味しいのよ!きっと元気が出てくるわ。」
リスティアが翔に手渡した包みの中には、キラキラと輝く小さな星のような粒が入っていた。
「すごく…綺麗だ。」
翔はそれを一粒口に入れた。フワッと甘い香りが広がり、どこか懐かしい気分にさせられる。
「なんだか、優しい味だね。」
翔の言葉にリスティアは小さく頷いて、目を細めた。
何粒か食べると、翔は普通に動けるようになった。長い間動かないでいたせいで衰えている筈なのに。
彗星から来た少女、リスティアはやはり不思議な力を持っているのだろう。
「リスティア、どうやったら彗星に帰れるか教えてくれるかな?」
一段落した頃、翔は静かに尋ねた。夜明けまで、あまり時間がない。
「私が落っこちた時に、煌石という宝石を割ってしまったの。それがないと帰ることはできないわ。その欠片がこの森のどこかに散らばっている。多分…七つくらいに分かれたはずよ。何かに導かれるように飛んでいってしまったの。」
この広い森のどこかにある小さな宝石を、朝日が昇る前までに見つけなくてはいけない。それは気が遠くなるような作業に感じられた。
「…唯一の手掛かりは、煌石は光が届く場所にあるっていう言い伝えくらい。月、星、彗星…どの光かはわからないけど。」
リスティアの不安を隠しきれていない表情を見て、翔は決意を固めた。必ず彼女の願いを叶えよう、と。
煌石…きっとその輝きは美しいのだろう。
いったい、どこにあるのか。翔は自らの記憶を探った。
光が届く場所はたくさんある。闇雲に探してもダメだろう。
「リスティア、他に何か煌石の特性はあるのか?場所だけじゃなくていい、分かることを教えてくれ。」
「…特性かぁ…確か、熱に弱かったわ。それから煌石同士が近づくと光る。えーっと、それから…」
考え込むリスティアの隣で、翔は思考に沈んだ。散らばり方に何か法則はないだろうか。
芽吹きの季節森は萌え、木漏れ日差して木霊の音。
つかのまに夕陽は映えて、金風が吹く。
始まりの場所は空を割く岩。
そこに広がる眺めこそ、迷える者を導く標。
朝日がつくる梯子を昇り、桜の道を柳へ向かう。
滝糸辿り、行く水追えば、岩割れ水が交わるところ。
秋風に瑞穂は揺れ、鈴の音が微かに響く。
暁光が陰を投じる湖畔には、輝く花と泡の中。
六つの光の中心に、最後の標が待っている。
聞こえてきた懐かしい調べに翔は顔を上げた。思考が途切れると同時に、リスティアの姿が目にはいる。
どうやら、リスティアがこの歌を歌っていたようだ。
「リスティア、その歌はどこで?」
「?この歌は母が教えてくれたわ。昔、事故で地球に祖父と何人かの仲間が落ちてしまったの。その人たちが持ち帰った歌よ。意味はよくわからないけど、祖父が母に教えたそうよ。」
「…僕も、その歌を知ってる。母さんが昔歌ってたんだ。」
翔とリスティアは顔を見合わせる。地球に生きる翔と、宇宙を巡るリスティア。その二人が同じ歌を知っている、それは奇跡みたいなことだった。
「地球から持ち帰った人が伝えたなら、何か帰るためのヒントが隠されているかもね。」
「!それは気がつかなかったわ。確かにそうね。」
それから二人は歌を紐解いた。
「最初のところは…景色を歌っているのかしら?」
「うん、森の中みたいだ。始まりの場所は空を割く岩…か。ん?空を割く岩?」
「何か思いついた?」
リスティアは期待を込めて翔の瞳を覗き込んだ。
「もしかしたらだけど、この歌はこの森のことかもしれない。」
翔の言葉にリスティアは目を見張った。
すぐ近くに煌石があるかもしれない。それは大きな希望だった。
「とりあえず、行ってみるか?」
「うんっ!」
二人は連れ立って岩場へ向かった。
岩場には確かに空を割くようにそびえる大きな岩があった。翔がスルスルと登っていくのを見て、リスティアも懸命に追いかける。
先に頂上に着いた翔がリスティアに手を差し出し、彼女を一息に引き上げた。
そこからの眺めは、夢のように美しかった。落ちないように、二人で支えあいながら宙を見上げる。
輝く小さな光の粒、暗い宙を少しずつ、流れるように動いていく彗星。それは宇宙を間近に感じさせる光景だった。
「綺麗だ…」
「本当に…彗星をこうして眺めたのは初めてだわ。」
リスティアは眩しいものを見たように、目を細めて微笑んだ。
「ありがとう、ショウ。」
唐突に発せられた言葉に微かに目を見張ったショウは、それから頰を緩めた。
「まだ、お礼を言うには早いよ。さぁ…急がなきゃね。えーっと、そこに広がる眺めこそ、迷える者を導く標…つまり、ここから見える景色の中に答えがあるってことか?」
「そうね…朝日がつくる梯子を昇り、桜の道を柳へ向かう、ってどんな景色かしら?」
「朝日が梯子を、つくる…雪に反射して道みたいになるような感じか?でも雪はどこにでも降るし……湖?」
「でも、湖はここから見えるだけで三つもあるわ。」
「そうだな…いや、朝日がまっすぐ届く湖は一つしか見えていない!」
二人は森を駆け抜けた。
湖には彗星がはっきりと映っていた。二人は息を切らしながらも、朝日が差し込む角度と位置を確かめ、光の梯子ができる位置を特定した。
梯子の延長線と湖の岸辺を結んだところには小さな祠があった。
《光の梯子》リスティアたちの文字で記されているが、不思議と翔にも読むことができる。淡く輝く文字と光の軌跡は、翔の瞳に焼きついた。リスティアが近づくと、リスティアの持つ小さな煌石の指輪に反応して、祠に埋め込まれるようにはまっていた欠片が光を放つ。それから引き寄せられるように浮かび、自らリスティアの手の中に収まった。
「…一つ目の欠片ね。」
「うん、もしかすると他の欠片のところにも祠があるかもしれない。きっと昔ここへ来た人たちが残していったんだよ。」
二人の瞳に希望の光が宿った。
「次は、桜の道と柳。」
「これは多分あっちだ。」
二人はまた、森を駆け抜けた。
丘の麓から続く一本道、その向こうには一本の立派な柳の木が見えた。
「この道、春はすごく綺麗なんだ。桜が道を埋め尽くして、絨毯みたいになる。」
二人は傾斜を駆け上る。
その途中でリスティアの指輪がまた光った。胸元からも少し光が漏れているから、懐にしまわれたさっきの欠片も反応しているのだろう。
道端には、また祠があった。《桜の道》そう記されている。二つ目の欠片を回収した。
「次は…滝糸辿り、行く水追えば、岩割れ水が交わるところ、か。」
「滝糸って何?ショウは知ってる?」
「多分滝から流れ落ちる水を糸に例えたんだと思う。さっきのところから見える滝は…これも一つだけある!」
二人は顔を見合わせて頷くと、風のように駆け出した。
パシャパシャと音を立てて飛沫をあげる水の流れを、辿るように二人は進んだ。
水の流れる小さな音と、柔らかな飛沫を間近に感じる。滝壺に落ちた水は小川へと流れ込み、大きな岩によって二つの流れに分かたれた。
暗い夜の森の中で、水飛沫が彗星の輝きを反射して僅かに光っていた。
流れ同士がぶつかり合って、大きな流れへと変わっていく。
分かたれた流れが再び交わり一つとなる場所に、《滝糸》と書かれた祠があった。そして、やはり欠片も見つかった。
「秋風に瑞穂は揺れ、鈴の音が微かに響く…稲穂がある場所かしら?ショウ、さっきのところから稲穂って見える?」
「…確か、東の方に自生していたはずだ。そこなら…」
二人は体力を回復させるために金平糖を口に入れ、次の目的地へと走った。
フクロウの声が不気味に響く。あらから一年と少し、老師は悪魔の薬の解毒薬を完成させた。
全盛期ならもっと簡単に薬の力を解けただろうが、今となってはただの老いぼれ。予想外に時間がかかってしまった。
翔が帰ってくることなどないだろうが、それでも薬を作らずにはいられなかった。そもそもここが帰る場所かと言われると、答えることなどできないのだが。
翔が消えてから、組織には翔が作っていた薬が不足した。もちろん老師にも作れたが、それを教えてやる義理もない。
組織はしだいに強制力を失い、従業員たちの手によって悪事を暴かれた。今では建物だけが残っている。
老師はもぬけの殻となった廃墟で、今もまだ寝起きしていた。帰るべき場所はとっくの昔になくなっているのだから。
黒いカーテンの隙間から僅かに溢れる光に、老師は昔を思い出した。お守りのように持ち歩いている煌石をそっと取り出す。
(もしかすると、今日も誰かが落っこちたかもしれんな。)
かつて仲間たちが持ち帰った歌は伝えられているだろうか。今ならまだ生きている者も多いだろう。
彗星に暮らす一族の寿命は、地球の人々よりもずっと長いのだから。老師のかつての親友ジェイルもあの光の中にいるかもしれない。
そう思うと、遥か遠くにあるはずの彗星がずっと近くに感じられた。
今は稲穂の収穫期ではないはずなのに、そこには黄金色の稲が風に揺れていた。幻想的で美しい光景だった。
「魔法、みたいだ。」
「彗星の一族は代々不思議な力を持っているわ。もしかすると彗星も大きな力を秘めているのかもしれない。」
「彗星が干渉したことで、この景色が生まれたってこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私にもわからないわ。」
「…鈴の音が微かに響く、か。」
二人は目を閉じて、耳を澄ました。リリン、リリンと鈴のような音が軽快に響く。二人は音のする方へゆっくりと近づいていった。
突然、眩い光が稲穂の間から放たれる。同時にリスティアの持つ煌石も青白い光を放った。《鈴の音》これで四つ目だ。
「じゃあ次ね…暁光が陰を投じる湖畔には、輝く花と泡の中。暁光…?」
「暁光っていうのは朝日のことだね。」
「朝日が陰を落とす湖畔?なんの陰?」
「…地理的に考えて、多分最初の岩が陰になる場所かな。朝日と岩を結んだ延長線上に一つだけあるんだ、水場が。」
二人は力強く駆け出した。
そこは穏やかに凪ぐ湖だった。風によって起きた漣がその波紋を伝えていく。湖は鏡のように彗星をその身に映していた。
輝く花、それはすぐに見つかった。暗い森の中、その花だけが淡く発光しているのだから。
青紫色の美しい花の後ろに、《輝く花》の文字がある祠がある。そこにあった欠片も例に漏れず、リスティアの手に収まった。
「五つ目ね。あれ?…でもまだ、泡の中って言葉を使ってないわ。」
「この湖にもう一つの欠片もあるってことか?…泡の中?水中にあるってことかな?」
翔の言葉にリスティアは顔を強張らせる。
「ど、どうしよう…私泳げない。」
「リスティアは待ってて、僕が取ってくる。煌石を一つ貸してくれる?」
泳いだことがないと呟くリスティアの声が震えていることに気がつき、翔は宥めるようにその頭に手を乗せた。
そしてリスティアから指輪を受け取ると、スッと水の中に入っていった。
少し深い湖の底に祠はあった。不思議なことに、深いところであればあるほど水中で目を開けていられるし、呼吸もできた。
やはり今夜は特別な力が働いているのだろう。これならリスティアでも入れたかもしれない。
祠の文字は《水泡》だった。間違いなく六つ目の場所だ。翔の指にはまっていた煌石が小さく振動し始め、光を放つ。
辺りの水は光を映して輝いた。それは、とても美しい瞬間だった。
水面に顔を出した翔を、リスティアは渾身の力で引き上げた。
翔が息を整え顔を上げた時には、もう翔の身体は乾いていた。今日は不思議に出会ってばかりだ。
「ショウ、欠片はあった?」
「あった、祠もね。」
翔はリスティアの手に欠片を乗せ、そのまま指に煌石の指輪をはめた。
「ありがとう。さぁ、最後の一つを探さなくちゃ。六つの光の中心に、最後の標が待っている。中心ってどこかしら?」
「…どこだろう?最初の岩まで戻ってみよう。答えがわかるかもしれない。」
翔とリスティアは手を取り合って駆け出した。もうすぐ、長かった宝探しも終わる。
天を割くようにそびえる岩は、彗星の光のせいか、心なしか光って見えた。岩の頂上から見る宙はやっぱり綺麗で、いつまでも眺めていられそうだ。しかし、彗星はだいぶ移動している。夜明けも近いだろう。
「…急がなきゃな。」
「…うん。」
今まで祠のあったおおよその場所を結んでいく。
《光の梯子》《桜の道》《滝糸》《鈴の音》《輝く花》《水泡》
二人の脳裏には鮮明に景色が浮かんでいた。
「…中心って、ここか?」
「そうね、ここだわ。」
「…いったいどこに?祠なんてあったか?」
「この岩は?この岩そのものが、祠の役割を持っているのかもしれない。」
翔はリスティアの言葉を聞くと、岩から飛び降りた。よく見ると、大きな岩自体に何か記されている。
だが、岩本来の凹凸が邪魔して読めなかった。と、彗星がちょうどいい位置に差し掛かったのだろう。
彗星の光が岩の文字を浮かび上がらせた。
「あったよ、リスティア!」
「なんて書いてあるの?」
「…《永遠の祝福を》!」
翔が読み上げた瞬間、岩が眩い光を放った。リスティアの持っていた煌石の欠片が宙に浮かび、岩の中から出てきた欠片も合わさって一つになった。
リスティアは驚いた拍子に岩から落っこちる。激痛を予想して目を閉じたリスティアだったが、いつまでたってもぶつからない。
「リスティア、大丈夫だよ。目を開けてごらん…すごく綺麗だ。」
リスティアが恐る恐る目を開くと、目の前の大岩が目に飛び込んできた。
記された文字は美しく光り輝いている。なんだか懐かしい気持ちにさせられた。
冷たい風が吹き抜けて、リスティアは我にかえった。落っこちて…翔に受け止められたままだ。
慌てて降りようとすると、翔は小さく笑った。
「ごめん、気づかなかったわ!」
「大丈夫、大丈夫。全然軽かったから。」
からかうような翔の口調にリスティアは頰を膨らませ、二人同時に吹き出した。
「ショウ、貴方と過ごせて楽しかったわ!」
「僕も。」
「ショウ、お礼に貴方の呪いを解いてあげる。」
「…呪い?」
「怪物に姿の変わる呪い。少し屈んでくれる?」
翔が言われた通りにすると、リスティアはその額に口付けた。
「ショウにご加護がありますように。」
翔の額に青白い光の印が刻まれ、やがて見えなくなった。
「これで大丈夫!」
「あ、ありがとう。」
それからリスティアはショウの手を取る。
「ショウ、最後に少し力を貸してくれる?」
「もちろん!」
リスティアの胸元には大きな煌石のペンダントが輝いている。
翔はなぜか、祝福の与え方を知っていた。二人は自然と額を合わせる。
「リスティアに永遠の祝福を。」
二人を眩い光が包み込んだ。流れに飲み込まれるように誰かの記憶に同調した。
かつて星同士の衝突により、彗星から八人が地球に落とされた。
その中の一人はジェイル。ジェイルには愛する人がいた。彗星から落ちた仲間たちの中の一人、レティシアである。二人は恋人であった。
八人は落ちた時に割れて散らばった煌石を探した。己の持てるあらゆる力を使って。八人で手分けをして、煌石はどうにか見つかった。
しかし、そこで問題が発覚する。煌石があっても祝福を与え、送り出す人がいなければ帰ることはできない…それは絶望的な事実だった。
彗星に暮らす彼らは、地球ではその天寿をまっとうすることができない。そんな中に、誰かは必ず取り残されるのだ。
レティシアは仲間を思い、地球に残ることを決意する。
ジェイルも共に残ろうとしたが、もともと体の弱い彼は環境の変化に対応できないかもしれないから…と、レティシアに無理矢理に祝福を与えられ、彗星へと送り帰されてしまった。
愛する人を守るためにレティシアは涙を堪えながら、他の仲間たちにも別れを告げ祝福を与えていく。空が微かに白み始めた。
最後の一人はジェイルの親友だった。レティシアが祝福を与えようとすると、彼は静かにそれを制し地球に残る意思を伝える。
だから代わりにレティシアが帰るように、と。親友に幸せになってほしいのだと言う。
しかし、レティシアは自分たちだけが帰っても幸せにはなれないから、と断った。
互いに選ぶことができずにいるうちに、朝日が最初の光を放った。
レティシアと、ジェイルの親友ルッカスは地球に取り残されたのだ。二人は名を改め、姿を変えて人里に下りた。
それからしばらくして、レティシアはジェイルの子を産んだ。
ジェイルの黒髪とレティシアの茶色の瞳を受け継いだ娘は、幸いにも不思議な力を受け継ぐことはなかった。
娘は元気に育ち、やがて愛する人を見つけ、子を産んだ。光の加減で瞳の色が深い緑を映すたびレティシアは、母に似た少年のなかにジェイルの面影を見た。
彼は少しではあるものの、レティシアの力を受け継いでいたらしい。
いつの頃からか、どこからか力のことを知った怪しい集団に狙われるようになった。彼が取り込まれてすぐ、組織の悪い噂が霧のように掻き消されたことで、レティシアは孫息子の力が悪用されたことを知る。
それ以来彼は家に帰ってこなかった。息子の行方を捜していた両親も、姿を消した。
レティシアに最後の希望を与えたのはルッカスだった。地球で長い時を過ごしたことによる影響で、動くこともままならなくなっていたレティシアの代わりに組織の内部から探ってくれると言う。
最初は彼を案じ反対していたレティシアだったが、とうとう彼の言葉に頷いた。
しかし、組織に潜り込んだルッカスが情報をもたらす前に、レティシアの命の灯火は消えてしまった。
突然、ブツッと映像が途切れた。
レティシアの記憶は哀しみに満ちていた。愛する人との永遠の別れ、やっと手にしたと思った家族も次々と姿を消す。
それがどれ程に辛いことか、翔には手に取るようにわかった。幼い頃に家族と引き離され、隔離されて研究をさせられていたから。
レティシア…翔は自らの祖母の苦しみを思った。両親と遊びに行くたびに、喜んで相手をしてくれた優しい祖母。
母が翔に歌を教えた時「おばあちゃんがね、これは愛する人との絆の歌って言うのよ。季節の歌にしか聞こえないけど。」と笑った、その祖母の言葉の意味がやっとわかった。
「ジェイルは私の祖父よ。」
リスティアの声が翔の思考を遮った。
「…レティシアは、僕の祖母だ。」
翔の言葉にリスティアは目を見開く。
かつて二人が別れを告げた場所に、今二人は立っている。信じられないような奇跡だった。
「私たちは祖父たちの想いを、絆を知るために出逢ったのかもしれないわ。」
「そうかもしれない。でも、僕自身が君との時間を、かけがえのないものだと感じてる。血筋とか関係なしに。」
「私もよ。貴方に出逢えてよかった。大変だったけど、楽しかったもの。」
山の向こうの空が、少しずつ白み始めた。
「ショウ、それじゃあお別れよ。」
「うん、元気で過ごして。ありがとう、レティシア。」
「こちらこそ、本当にありがとう。」
レティシアが両手で煌石を包むと同時に、彼女は眩い光に変わった。
流れ星のように彗星に向かって一直線に進む光は、今まで見たものの中で一番美しいと翔は感じた。
「ショウ、それをあげるわ。私のこと忘れないでね!」
最後にリスティアはそう言い残していった。翔の手の中には、煌石の小さな指輪が煌めいている。
今日も変わらず、朝日が昇る。昨日と違うのは、翔の姿が人のままだと言うことだ。
翔は組織の研究室のある里へ向かって駆け出した。ずっと見守ってくれていた老師、ルッカスにお礼を言わなくてはいけない。
ー彼らは宇宙の彼方を巡り、またいつか地球を訪れるかもしれない。
読んでくださりありがとうございました♪
〜おまけ〜
「母さん、その歌は何?」
無邪気な問いに、まだうら若い母親は微笑を浮かべる。何かを懐かしむような、尊ぶような表情。
「そうね…これは、愛する人との絆の歌よ。」
「あいする人とのきずな?」
「大好きな人の歌。まだルカには難しいわね。」
母の言葉に少年は首をかしげる。
「大好きなのに、悲しいの?」
「え?どうして?」
「だって母さん泣きそうだったよ。」
驚いたように目を見張った母親は、次の瞬間には頰を緩めた。
「そうね…確かに悲しいわ。母さんはもうその人に会えないから。」
「会えないの?なんで?」
「その人はね、遠いところに住んでいるのよ。」
そう言う彼女の瞳は、何かを探すように遠くを見つめていた。
「それって、地球?」
「あら、どうして知っているの?」
「おじさんたちが話してた。母さんが子供の頃に行ったところだよね?…遠いの?」
「そうね…ずっと、ずっと遠くよ。こことは全然違うの。みんな祝福を使えないのよ。」
「しゅくふくを使えない⁈どうやってケガを治すの?」
慌てたような少年の様子に母親は苦笑する。
「ここよりも発展した技術を持っているのよ。母さんもよくは知らないけど、みんなで工夫して文明を築いてきたの。」
「…すごいんだね。」
「えぇ、いつかあなたも地球にいくかもしれないわね…」
彼女は愛おしそうに少年の頭を撫でた。
リスティアが彗星に帰って、許嫁と結婚し、数年後に息子と話している設定。
リスティアは旦那さんを愛してるけど、翔のことも忘れられないはず…
初恋って大事、そして印象的。
ちなみに息子の名前はティルカス。金髪に藍色の瞳です。
きっといつか地球へ行って、翔の子供に出会うはず…です。