5話
鉄と油の臭いが漂う格納庫に、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が響き渡った。
傷んだ白衣が赤く染まることすらいとわずに、中年の女性が少年を抱きしめている。
「ごめんね……ごめんねぇ……!」
少年は言葉を発しない。もはや、そんな力は残されていなかった。うつろな目をわずかに動かし、唇を震わせるだけ。そして、それすらも終わりを迎えた。
女性は物言わぬ肉塊になったそれをさらに強く抱きしめ、何度も何度も頭を撫でている。
周囲の人々はただそれを眺めていた。
眉間にしわを寄せるもの、目を涙でにじませるもの、嘲笑するような眼差しを向けるもの。
その中の一人が僕だった。ただし、僕の視線の先にあったものは彼女らの後ろにたたずむ銀色の円盤だ。レーザー攻撃を受けた部位は一部焦げているが、それもすぐに直る。すでに五十を超える出撃、いったいどれほどの攻撃を受けたのか、もはや数えることはできない。それでも、ツクヨミはいまだに健在であった。
だが、パイロットは違う。機体の超機動だけでも骨折や内臓への損傷は当たり前だというのに、それに加え、ただ殴るだけでも軍艦が一撃で沈むアンゴルモアの攻撃がある。かすめるだけで竜巻に飛び込んだような強風が機体を襲われる。直撃しようものなら、パイロットはコックピット内で致命傷を受ける──今回のように。ただし、そうなったとしてもツクヨミは飛び続け、必ず基地に戻る。そう造られていた。
隔絶世代思考制御式超高次元戦闘機『ツクヨミ』。
アンゴルモアが襲来し、ユーラシア大陸の半分が焦土と化した際にアメリカが全世界に発信した決戦兵器の設計図、それを日本でアレンジし完成させた存在である。
隔絶世代──その名の通り、従来の戦闘機とはまったく異なるアプローチによって生み出された。最大の特徴は三つ。『重力制御』による急停止、急発進、静止、急上昇、急下降が可能であること。加え、それをなすための『思考制御』である。これらが組み合わさり、既存の概念を超越した超高次元機動が可能となった。
そして『再生能力』。どれほどのダメージを負っても、クアンタムインテークより周囲の有機物を吸収し、元に戻る。
最大の欠点はパイロットを選ぶという点だ。思考制御をなすためには『感覚伝導繊維』を脳とつなぐ必要がある。これは胎児の段階での疑似先天的な処理が必要だった。つまり成熟した大人ではツクヨミを駆ることができない。そして、パイロットとなるべくして造られた存在たちは十分な成長を待つ時間がないため、パイロットは必然的に子供となっていた。
「JF-08」
かすれた声がした。振り返ると、サングラスを付けた男、総司令が立っていた。
「JE-08が逝ったようだな」
「……はい」
わずかに眉間にしわを寄せる。表情は読めないが、どこかもどかしさを感じているように見えた。
「次は僕の番ですね」
「そう、だな」
「2500時間のシミュレーションを終えています。ツクヨミが回復次第、いつでもいけます」
戦う準備はできている。僕たちは戦うために産まれ、育てられてきた。
もちろん、恐怖がないわけではない。いざ、死に直面すれば未練も生まれるだろう。だが、それ以上の使命感が負の感情を塗りつぶしていた。
「……本来なら、パイロットを、子供を……」
血反吐の混じるような声色。しかし、皆まで言い終わらずに唇が閉ざされる。
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
逃げるように踵を返す。
──期待している。
ぼそりと言い残し、小さくなっていく背中を眺める。
「はい!」
まっすぐに大きく返事をした。
──昔の夢を見ていた。
初陣に出る前のものだ。あれから13度の出撃を果たし、気が付けば僕は最古参の一人になっていた。
今頃、基地はどうなっているだろうか。帰ってこないツクヨミに困惑しているだろうか。せめて連絡が取れれば。
「……ダメか」
やはりリンクはされない。
ふと周りを見ると、見慣れぬ書物にあふれた空間。
どうやら本を読みながら眠ってしまっていたようだ。
隣の長椅子の上で、ミライも規則的な呼吸を繰り返している。窓からの光が室内を赤く染め上げている。
今まで体験したことのない、優しく穏やかな時間。まるで別の世界に来てしまったような錯覚すら受ける。
ただそれは、やはりどうしようもないほどに心地よく感じてしまうのが恐ろしかった。