4話
「今向かっているのは図書館なのかい?」
「そうそう、ご飯を確保できたら残りは図書館にいるんだ。あとは台風の日とか寒い日とか」
つまりは建物としての機能が十分に残っているということだろう。
目的地と思わしき建物はすぐに姿を現した。一般住宅の亡骸の中に、ひときわ大きく構えるものがある。一部、鉄筋が露出しているがそれでも十分に形を残している。
正面の入り口は電線と電柱で潰されているが、そのすぐそばにある隙間から、ミライはひょいと入り込む。
日光がほぼ遮られてしまうためかなり薄暗い。けれども、ミライが何度も往来を繰り返しているためか足元に障害物はなく躓いたりはしなかった。
たどり着いたのは、円形の部屋だ。三階まで吹き抜けになっており、ずらりと本が並んでいる。ところどころに場違いな無骨な脚立が立てかけられている。
ミライは窓のカーテンを勢いよく開けていく。夏の日差しが室内に突き刺さる。読書をする上で十分な光量だろう。
何冊か適当に手に取り、椅子に腰を下ろす。ほんの少しほこり臭いが硬すぎず、柔らかすぎない。ちょうどいい按配だ。
「そうだ、エイトって漢字読める?」
「漢字? まあ、それなりには……」
常用漢字程度であれば問題はないはずだ。
何冊か本を抱えたミライが歩み寄ってくる。そしてそのまま、僕の膝の上に飛び乗る。
「ちょ、ちょっと!?」
今まで感じたことのない重さと体温、そして、柔らかな感触に身体がこわばる。
しかし、そんなことは露知らず、ミライは手にしていた本を開く。
「これね、この町の歴史とかが書いてあるんだって」
「れ、歴史……郷土史ってことかな」
行き場を失った手が右往左往し、やむ負えなく手すりの外れに落ち着く。
ミライがめくる紙面をのぞき込む。
モノクロの写真は19世紀のはじめのものと記されている。一見して古風とわかる建物をバックに、記念撮影をしている人たちが映っていた。
祭りのもの、小中学校の開校を記念したもの、漁船を映したもの、災害の被害を映したもの。その中の一枚を指さす。
「これ! これお婆ちゃん!」
三十代半ばほどの女性がゴムのエプロンのようなものを身にまとって働いている姿が収められている。魚市場のスナップショットであるようだ。
「お婆ちゃんはね、優しくてー、物知りでー、料理が上手でー、力持ちでー」
指を折りながら、一つずつ、時折重複させながらお婆ちゃんの好い所を挙げていく。
改めて、写真を見てみる。
がっしりとした体格に四肢は太く短い。肩まで伸びた髪はあまり手入れをされているようには見えない。女性ではあるが逞しい、雄々しいといった印象を受ける。
それと、一つ。
お婆ちゃん、つまりは祖母であるのだから十分に考えられるのだが、膝の上に座るミライの顔を見る。
「なに?」
「いや、あんまり似てないなと」
ぱちくりと二度瞬きをすると、にへらと笑う。
「そりゃそうだよ、血はつながってないもん」
「え?」
「私とお婆ちゃんは血はつながってないの。家族だけどね」
「養子?」
「よーし?」
「あ、えっと、生みの親ではない人に引き取られて育ててもらうというか……」
なんとなく意味はわかるのだが、それをかみ砕いて説明することができない。
あまりにも拙い言葉だったが、ミライはうなずく。
「そうそう、それ! よーしって言うんだ? エイトは物知りだね」
「いや、へたくそな説明で申し訳ない……それはそうと、養子か。僕と似ているね」
「エイトも?」
「うん、僕は保存されていた精子と卵子から生まれているからね。遺伝子的な意味での親はいるけど、育ての親とは別なんだ」
アンゴルモアの毒は、まず人間の生殖能力を奪った。これによって、人類は直接的に子孫を残せなくなった。人工子宮は存在しているが、受精はできても生命を維持できる確率はいまだに10%にも満たず、完成品には程遠い。そして仮に産まれることができたとしても、大気に満ちた毒によって成長しきる前に絶命することが大多数である。
それを考慮すれば、今こうやって生きているだけでも奇跡のようなものだとつくづく思う。
「へえ、その人たちは元気?」
「んー、元気……なのかなぁ。病気だからさ」
完全な健康体を維持できている人間は、ほんの一握りだろう。知る限りでは零である。誰しもが何らかの疾患を有しており、治療を受けている。
今すぐに絶命するということはないだろうが、それでも健康とはいいがたい。
「そっかぁ。お婆ちゃんが言ってたけど、やっぱり大人はみんな病気なのかな?」
「そうかもしれない」
大人は免疫機構が十分に完成している。ゆえに毒が回ってもすぐに死ぬことはない。だが、なんらかの発病は免れない。
郷土史をさらにめくる。
駅の改装、水先を舞台にしたドラマの撮影、水族館の開館。
この町が平和で、賑やかだった頃の残滓が痛ましいほど鮮明に残されている。そして、1999年の記録を最後に終わっている。
2000年という、輝かしい21世紀の幕開けは訪れなかった。
産まれる前のできことだ。それでもやはり、胸が痛むのは人間であるが故だろうか。それとも、今を生きているためだろうか。