良き一年を!
くそったれ共に乾杯
今年も色々な音楽が流れ、色々な書籍が書店に並んだ。流行語が次々と生まれ、スポーツでも新たな歴史が刻まれていった。その一方で、多くの著名人が亡くなり、悲しい事件も多発するなど、嬉しいことも悲しいことも多い1年だった。自分はこの1年で何を成し遂げることが出来たのだろうか、出来なかったとしたらなぜそうなったのか。次の1年に向けて課題は見つかったか、それをどうやって達成していくのか。年の瀬になればなるほど考えるようになった。
思えば2017年、自分はどれほど甘々な環境で育ってきたのかを思い知った。社会生活とは何か、プライベートは如何にして充実させるのか。様々な壁にぶち当たってきた。途方に暮れ、誰かに八つ当たりしたくなる時もあった。心の安寧を求め、twitterで暴言を吐き続けることもあった。
感情的になりすぎて、twitterでは多くの人たちに煙たがられた。ある時、「このままだと最終的に孤立するぞ」と警告された。ここまで言われるとは思わなかったので衝撃を受ける。twitterというコミュニティでも現実世界と同じように、コミュニティの空気を読まなければ爪弾き、村八分にされてしまう。嫌いなものでも好きだと言わなければいけない。同調圧力に屈さなければ孤立する。自分の周りはギスギスしている。彼らはtwitterの本来の使い方とは少し異なった使い方をしている。称賛、賛美しか求めていない。否定的な意見は勿論、こうすればもっと良くなるというアドバイスさえ必要としないのだ。
もはや病気だ、小説家になろうも、twitterも同じだ。自分みたいな人は仲間外れにされるのだ。彼らにとってのスタンダードから外れたら「死ね」「消えろ」の連呼なのだ。それに反発しようものなら、無言でブロック。自ら話し合う場をぶっ壊してしまうのだ。自分の考えとしては「ブロックされたらこちらの勝ち」だと思っている。理由は簡単だ。ブロックすることは、これ以上何も話すことが出来ない、対抗する手立てが無いと自分から宣言しているようなものだからである。
彼らは趣味が同じ、波長が同じ、ただそれだけの仲間と言えるかどうかも疑問な連中と傷の舐めあい、自慰の見せあいをしながらSNSや小説家になろうを利用している。「見苦しいからやめろ」と苦言を呈そうものなら全力で部外者を潰しにかかる。
だから2018年は、一貫した考えを持ち、物事に取り組むことを目標にする。流動的な周囲に流されず、しっかりとした一本の柱のように、腐らずに頑張っていきたい。勉強も、仕事も、遊びも、趣味も。自分の考えを持って過ごしていきたい。
来年も良き一年を。