音訳の会の勉強会が始まる。
お ん や く (2)
作 葉月太一
明夫は上手から登場。白Yシャツにネクタイ姿でひとり呟きながら歩き回る。
視覚障害者センターの中にあると聞いた
真夏の酷暑の中汗を掻きながら捜し歩く
平和公園の近くと聞いたがそれらしき建物はない
八月九日の原爆忌も過ぎているので
人通りも少ないが、くそ暑い
北村西望の平和祈念像は久しぶりだ
自分の中の核兵器廃絶は決して風化していないが
平和祈念像を仰ぐのは久しぶりだ
つい感慨に耽りセンターを捜すのを忘れる
はたしてどこか?それらしき物は見えない
売店のおばさんに尋ねた
「あっちの方に真直ぐ行けば、茶色い建物が見えますよ」
言われた通りに坂道を下りて、坂道を登って
そしてまた下りて
登っても、茶色い建物は出現しない
右に曲がってみた
あれ、見たことのある建物が、、、、
永井隆記念館だ、如己堂がそこにあった
そして後ろを振り返ったら茶色のセンターがあった
一階の窓口で尋ねた
明夫 「音訳の会はどちらですか?」
職員 「お ん や く ?、、、」
若い女性だった、新しい職員なのかな
奥の方から課長らしい人が出てきた
事務局長 「これはこれはご苦労様です。音訳の会は三階です。
後ろのエレベーターでお越ください。三階で降りたら右手突き当り
です。」
上司の人はバカ丁寧である。こそばゆい
音訳の会があった
説明を聞いて、申し込みたい旨を伝えると
静かなる抵抗がみえた
えっ、なぜ?
「音訳者は足りないので募っている」んじゃなかったの?
ここでも、奥から課長らしき人が出てきた
くだくだ説明があった
言葉の端々には「一緒にやりましょう」という気持ち
が伝わってこない
なぜだろうと思いつつ説明を聞いていった
理由が分かった
最後の頃、彼が言った
「音訳技術者はほとんどが女性です。機械係もありますが女性で
やってます。男性の申し込みは、久しぶりなものですから。」
それで暗に、やめた方がいいよ、やめたほうがいいよと
ほのめかしていたんだろうね
心配なんだろうね
帰り際、事務局の白井さんが明夫を呼び止めた
白井 「田中さん、ご苦労様でした。はい、申込書の受取です。
ところで、一寸、お掛け下さい。」
入口の小さいテーブルに促した。
白井 「事務局長さんは、何か言いませんでした?」
明夫 「はあ、なにか?」
白井 「大丈夫ですか?続きますか?本気ですか?みたいなことを」
明夫 「はあ、そう言えば、暗に匂わされたような気もしますね。」
白井 「でしょう。入会は止めた方が良いですよって事なのよ」
明夫 「えっ、何故ですか?」
白井 「多分続かないと思ってるんでしょうね。男の人は、、、、、。
音訳の会はほとんどが女性なのよ。七十人位いるけど、男性は
五,六人よ。常時来るのは三人位かな。いろんな意味で、
耐えられないのかな、止めちゃうのよ。事務局長は、立場上
言えないから匂わすの。だから、おせっかいな私なんかが、
言ってあげるの。男の人は入会しない方が良いわよ、と」
明夫 「そうなんですか、ありがとうございます。」
白井 「だから、会費の二〇〇〇円はあとでいいわ
もし来るんでしたら、来月の五日の十時から、簡単なオリエン
テーションと入校式がありますので、会費はその時でいいわ。
よく考えてくださいね。」
明夫の家の食卓で
明夫 「音訳の会って、女ばっかりだって」
夏子 「ふーん、そうなの。だから?」
明夫 「止めようかな」
夏子 「やめたら」
そうは言っても
自分から言い出したことだ
災害対策ボランティアを半ば揶揄して
比較的真摯なボランティアとして選んだのだ
やめるわけにはいかない
二〇一〇年九月五日から研修が始まった。
オリエンテーションをしている。
白井 「解りましたね。来週の水曜日から始まります。
毎週水曜日の午後一時からです。三時まで川本先生とゲスト講師の
講義がありまして、それから実習が二時間ぐらいです。
皆さんの予習復習を考えますと、かなりハードと思いますが
最後まで頑張ってください。以上で、オリエンテーションを
終わります。」
入校式に移った。
明夫 「新入生は三人。梅木綾子六十歳、菱沼道子五十七歳、
田中明夫六十一歳。十五人程度募集したらしい
その結果「貴重な三人」になったようだ
理事長、事務局長、会長の挨拶は
「金の卵」の三人に話しかけてきた
「男は続かないよ」のような話は当然無い
得意の匂わせ話もない
喪失しかけていた市民権を
初日から獲得したようだ
とにかく、まず勉強してからだ
講師は川本竜子元NHK佐賀アナウンサー
スパルタ先生と聞いたがそうはみえない
「金の卵」の三人なんで
手にある鞭は緩めるのかな
梅木 「母は糖尿病から眼が見えなくなりました。」
菱沼 「従姉妹に視覚障碍者がいます。」
明夫 「周りに目の不自由な人は居ませんが、、、頑張ります。」
明夫の独白
「おれは芝居や詩演や朗読をやりたい
朗読実演を、イベントを調べていたら
「おんやく」、音訳が
眼の前に突如として現れた
おれは、「おんやく」に興味を持った
音訳はボランティアとするなら
俺の「動機は不純」になる
ボランティアとしてではなく
比較文学・比較芸術・比較技術として
音訳に興味がある
しかし、動機は不純だが、
研究して実践して音訳技術を身につけて
その結果ボランティアになるなら
大いに結構、結果オーライだ」
(暗転)
講義と実習の間の時間
明夫 「菱沼さんは今日も来てないね。年内に講習を終わらせて、
修了証をもらって、年明けには録音実習だよね。あんまり休んだら
終了できないでしょう。たった三人なんだけん梅木さん、
連絡できないかな?電話は、どうね?」
梅木 「すでに私が先生に聞いています」
明夫 「そう、で、どうなの?」
梅木 「先生はあまり話したがらなかったけど、要約すると
彼女はやめたの。声のせいみたい。」
明夫 「声?」
梅木 「そう」
明夫 「なぜ?あのハスキーボイスがいけないのか?たしかに、
かなりハスキーだけど、聞き慣れるとそんなに違和感はないけどね。」
梅木 「そうじゃないらしいの。川本先生はNHKの出身でしょう。
どうしても、音訳技術者としての声じゃない、と言ったらしいの。
以前から、ほのめかしてはいたらしんだけど、菱沼さんにとっては、
意外だったみたいね。どこかに、ボランティアだからいいでしょうよ。
そんなに固いこと言わなくとも、と考えたらしいのね」
明夫 「そうさ、ボランティアなんだから、そんなにガタガタ
言わなくてもよさそうなもんだよね。」
梅木 「ところが違うらしいの。ハスキーボイスはやはり音訳には
向かないみたい。そもそもハスキーボイスにはね、」
明夫 「へえ、いろいろ調べたんだ。早速、調査技術ってとこかな」
梅木 「茶化さないでよ。、、、ハスキーボイスの原因は四つ位
あるらしいの。炎症・ポリープ・喉の乾燥・声帯周りの筋肉など
いずれも声の出し方に無理を強いるので、およそ滑舌のカテゴリーに
おいては、ほとんどクリアーできないらしい。
ましてや音訳は、「読み続けること何十時間」てざらでしょう。
私なんか、この前プライベート音訳で単行本を二百五十ページ
読んだけど大変だったんだから。」
明夫 「へえ、早速やってるんだ。すげーなー、俺は、まだだね。」
梅木 「滑舌がだめなら、音訳はアウトね。現に、ハスキーな
アナウンサーっていないでしょう?」
明夫 「そうかなぁ、木佐ってアナウンサーは、ハスキーじゃ
なかった?
梅木 「あのフジテレビの?知ってるよ。でも菱沼さんの声、
ハスキー度合いは全然段ちヨ」
明夫 「そう言えばそうだね。、、、そんなら、最初っから講習を
受けさせなきゃ良かったじゃない。」
梅木 「そうよね。でも、事務局の白井さんが言ってたけど、
今期生は十五人募ってたらしいの。事務局のノルマみたいな
もんらしいけど、今期の予算も関係するらしいけど、、、ところが、
私たちだけだったでしょう。菱沼さんを入れて三人でしょう。」
明夫 「その内の一人が、あてにならない男って訳だよね。」
梅木 「菱沼さんの声は気になったけど、余りにも応募者が
少ないので、とにかく入れてみよう。入れて様子を見よう、
となったみたい」
明夫 「そうなんだ。、、、とすると俺もかな?」
梅木 「俺もって?」
明夫 「うん、白井さんに言われたよ。」
梅木 「どう言われたの?」
明夫 「端的に言えば、よした方が良いよって。音訳は男が少ない。
非常に少ない。その上、ほとんどが途中でやめる。だから、
よした方が良いですよ。事務局長は、何も言いませんでしたか?」
梅木 「白井さんて、結構はっきり言うのね。でも、事務局長は、
多分、言えなかったのね。応募者が少ないのが見えてたから」
明夫 「そうか、俺と菱沼さんがだめだったら梅木さんだけか、
しかし、俺は残っている。意地でも初志貫徹する。」
梅木 「たった二人だと、今期はお流れになるんでしょうか?
来年のクラスに入って下さい、なんて言われたりしないかしら?」
明夫 「どうなんだろうね。俺なんか、来年からと言われたら
気持ちが萎えるかもしれない。止めるかもしれない」
梅木 「いや、絶対二人になっても続けるでしょうね。だって、
今年度予算を少しでも消化しなきゃならないはずよ。
また、音訳講座開講の実績も残さねばならないはずよ。
そうしないと、来年の予算取りが難しくなるから絶対やるわよ。」
明夫 「やけに自信ありげですね。」
梅木 「私、今年の三月まで県の職員だったの。だから、県の
予算の仕組みが解るの。こんなケースの時は、たとえ一人でも
講習会の実績を残さなければ、次年度以降は大変なの。」
明夫 「そうなんだ!」
梅木 「無くなった実績を復活させるっていうのは、並大抵の
ことじゃないんだから。農林部にいた時も林業講習会で同じ様な
ことがあったわ。やはり一人しか来なくって、無理やり一人
捜してきたの。そして二人っきりの講習会を一〇回やったわ。
何故二人かというと、一人は一人だけど、二人以上は複数
なのよね。報告書の人数欄は「複数」って記入できるからね。
勿論、最後の会計報告の時は、受講人数はわかるけどね。」
明夫 「なんか、それって、おかしくないですか?」
梅木 「それが、お役所仕事よ。四十年いてやめたから
言えることね。」
明夫 「そんなもんなんですか。じゃ、この講座は続行
されるんですね。」
梅木 「間違いないわね。続行よ」
明夫 「二人っきりで、なんだか寂しいけど最後までやるか!
気持ちが萎える時もあったけど、続けよう。仕事をやりくり
しながら。初志貫徹しよう。」
梅木 「えっ?田中さんはまだ働いているんですか?」
明夫 「えっ、週三日、会社に行ってます。曜日は融通が
利くんでやりくりしながら来てます。」
梅木 「最後まで二人で頑張りましょうよ。」
明夫 「そうだね。」
(フェード・アウト)
明夫は舞台上手より登場。
舞台のスクリーンを見て、それを読む。
墨字
墨字を点字図書にすれば(点訳)
墨字を録音図書にすれば(音訳)
墨字やインク文字は
組み合わさっていろんな言葉になっている
そしてそれぞれの一語には
いろんな意味もニュアンスも付いている
その語の意味を「捨てる」
その語のニュアンスを「捨てろ」
それが点訳だ、それが音訳だ
ところが、点訳は、
語の臭いが体から離れているから捨てられる
しかし、音訳は、
それが体から離れていないから難しい
人の声が付いてまわるからだ
声には意味もニュアンスも臭いまでも付きまとう
声を無機質にしろ
声を凸版印刷の活字にしろ
そんなことできるか!
だから言っただろう!
朗読とは違うんだ、と
役者や声優になるんじゃないんだ
音訳技術者になるんだ、と
技術者?だぞー
【続く】
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