第4節 「行方不明」
◆大広間
夕食の時間となり、刃沼たちは大広間へ行った。巨大な空間にテーブルがずらりと並ぶ。テーブルには、食膳が整然と置かれている。
デガラシ「もうみんな、集まっているようですね」
こういうものは、みんなが集まるまで待ち、そしてから「いただきます」の挨拶とともに食べ始めるものだと思っていた。そうではなく、来た人から順に食べていた。刃沼たちも食事をとり始める。それからしばらくして、周囲がざわつく。耳を傾ける。
*「マサオちゃん知りませんか? 誰か知りませんか?」
ここへ来ていない生徒がいる様子だった。刃沼たちは、食べ終わった食膳を、返却口へ持っていった。
*「部屋にもいないんです。様子がおかしいんです」
賑やかな食事風景の中に、心配の声が含んでいた。刃沼たちは大広間を出て、部屋へと戻る。そして風呂へ入った。
◆909号室
ホテルには大浴場があり、そこへ行って身体を温めた。残念ながら露天風呂はなかった。さらに残念だったのは、小汚い所が散見されたことだった。風呂掃除が行き届かない、あるいは、掃除しても汚い感じの取れないぐらいに、老朽化したのかもしれない。湯船には髪の毛やら垢やらが浮いたままになっていた。刃沼は湯船から出たあとにもシャワーを浴びて、身体を洗った。
大浴場を去り、部屋へと戻る道すがら。慌ただしく行き来する人を数度、目にした。部屋に戻ったあと、布団を敷いた。
刃沼「修学旅行だからかな。布団は自分で敷くみたい」
デガラシ「自分のことは自分でする、それが基本ですよね」
刃沼「やってくれるところも多いんだ。ホテルの場合は。夕食を食べて、部屋に戻ると、既に布団が敷かれていたりするもの」
デガラシ「ありがたいですね。全室すべての布団を敷くなんて、かなりの重労働だと思いますよ」
刃沼「一人で全部やるわけじゃないからね。じゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
消灯後の暗闇の中で、ドタドタという物音が、色々な方向から鳴り響いていた。そののち、まどろんできた頃、部屋のドアがノックされた。
デガラシ「はい」
デガラシが応答する。そして布団から出てドアへ向かう。相手はドアの向こうから尋ねた。
「夜分すいません。マサオ君、そちらに来ておりませんか?」
「いいえ、来ていません」
「そうですか……。すいません。ありがとうございます」
布団に戻ったデガラシに、刃沼は聞く。
「マサオ君って?」
「起きていましたか。マサオ君……、わたしも知らない人です」
「そう」
「今日は早く寝ましょう。旅の疲れがたまっているでしょう」
「おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
◆909号室 朝
煌めく朝日が、眠る刃沼の目蓋を貫く、赤外線から生じる暖かみ。
「朝ですよ。起きてください、刃沼」
起きない。
「もう朝食の時間は過ぎていますよ」
どうしても起きない。
「先に行ってますからね」
何度も呼びかけ、揺さぶり、軽く叩いたりもした。だが、刃沼は呻くのみで一向に起きなかった。仕方なくデガラシは一人、大広間へ向かった。
◆大広間
食事を取る。周囲の話し声が聞こえる。
「マサオってやつ、結局見つからないんだと」
「どこに隠れているんだろうね」
「いやぁ、もしかしてこれが行方不明ってやつじゃないか。この島の噂、知ってる?」
「まさか島の崖っぷちから、海に落っこちゃったとか。サメのエサになるな」
「だめだよ。そんな縁起の悪いこと云っちゃあ」
「デガラシ……」
横から声をかけられる。
デガラシ「おはようございます、ヘル。今日も元気ですか?」
ヘル「元気……。でもみんなは昨日より、元気じゃないみたい……」
「マサオさんという方、どういう方か、ヘルは知っていますか?」
「マサオ君は、知ってる。みんなと仲が良い人。私にも話しかけてくれた」
「そうでしたか」
「昨日の夕方から、どこにいったか分からないんだって」
「そのようですね」
そのとき、慌ただしく大広間に入る生徒がいた。何か報告したくてたまらないという様子がうかがえる。
ヘル「マサオ君が見つかったのかな」
デガラシ「一晩どうしていたのでしょうか」
生徒「とも子が! ……とも子がぐったりして! ……うう」
ヘル「と…も…子……?」
デガラシ(たしか、とも子さんは、ヘルと同室の方では)
生徒「落ちつけ。とも子さんが、どうしたんだ?」
「崖下…… 崖…… ガケ……が」
周りの者は、深呼吸をするようにと云った。その生徒が落ち着くまで待ち、それから話を聞き出した。
生徒「さっき、ジョギングのために外に出たんです。すぐそこが崖になっていますよね。崖の下がどういう景色かなって、覗いてみたくなって。落ちないように恐る恐る覗いたら、人が仰向けで……。そんなに下まで距離もないから、そこからでも顔までしっかり見えて。とも子だ、と」
生徒たち集団が、大広間を出る。崖の所まで行く様子だ。ヘルも付いて行った。デガラシも気になり、一緒に付いて行った。
◆崖の上
生徒「確かにとも子の亡骸だ」
冷静な生徒が淡々と述べた。
「亡骸ってッ……!」
怒りを含む声が聞こえた。ヘルは生徒の一人から色々質問を受けた。
「つまり昨日、就寝するときは確かに一緒だったんだね」
「うん」
「それで、今日起きたらいなかった?」
「うん。先に大広間に行ったのかと思ったけど、いなかったの」
「就寝時間は10時頃?」
「だいたいそのくらいだと思う」
デガラシは崖の下を覗いた。人が集まり、調べている。一人が諦めた仕草で、首を振るのが見えた。
デガラシ(死んだ……)
そうなのだろう。
◆大広間
大広間に戻った。先生から声をかけられる。
先生「デガラシ。刃沼がまだ来ていないようで、心配なんだけど。大丈夫か」
デガラシ「刃沼は朝寝坊なだけです」
先生「じゃあ起こして、早く来るよう伝えて。9時にはもう朝食を片づけるから」
デガラシ「はい……。分かりました」
◆909号室
部屋に入る。刃沼は同じ寝相だった。
デガラシ(部屋から出たときと、全く変わってない……)
「起きてくださいよ、刃沼。先生がもうご飯片づけるって云ってますよ。朝食抜きになりますよ」
今度は布団ごと引っ張ったり、揺さぶったりしたが、全然効果がなかった。
「ふぅぅ……」
疲れて布団の上であぐらをかく。
デガラシ(刃沼の睡魔は異常です……。ここまでくると、何かの病気を患っているのではと疑ってしまいます)
デガラシは刃沼の寝顔と、外の風景と、時計を見ながら、時を過ごした。そして午前10時を過ぎた頃。
「んんんんー。うぅぅ~」
声がした。またしばらく間があり、それから、のっそりと布団から這い出てきた。
「刃沼、今もう10時なんですが……」
「ああ、おはよう。まだ眠いや」
刃沼の動きがそこで止まり、また眠ろうとする。
「もうっ! 起きてください」
揺さぶる。
「おおう」
「朝食は、もう片づけられましたよ。9時までだそうですから」
「そうだね~」
「寝坊だからですよ」
「いいんだ。私は3日に1食食べれば持つから」
「しっかり毎日食べた方がいいですよ」
*
デガラシは今朝起きたことを話した。とも子が崖下で転落死した様子を。
刃沼「へぇー。ついに死亡者がね」
「死亡かは分かりませんが、無事ではないように見えました」
「崖ね。本当に転落死?」
「場所からすると、おそらくは」
「怪しい。あの崖はそんなに高さもないし――。それに崖下の地面だけど、案外硬くないもんだよ」
「でも転落死じゃないとすると」
「じゃないとすると?」
「…………」
「殺し、かな」
「なんでそう飛躍するんですか!?」
「転落したくらいじゃ死なないなら、死んだ状態で放ったのかもね。誰かが」
「ありえません……!」
「なんで」
「なんでって……、それじゃあ……ここにいる誰かがが人殺しをしたことに……」
「人は、人を殺すもんさ」
「考えたくありません……」
「旅行地をこの島に決めた。そのときから、何か裏がありそうで、危ないなぁって思った。でもデガラシは旅行に行きたそうにしてたから。私も付き添った。それにヘレネーもいる。ヘレネーには武器を持てるだけ持ってくるよう云っといた」
「え、なんでそこでヘレネーさんが? 武器といいますと、木刀や金属バットなどでしょうか?」
「云い忘れてたかもしれない。ヘレネーの家は銃器を中心とした武器売買を生業としていてね。私専用に銃をカスタム(改造)してもらったりしている」
「刃沼が、銃を? どうして……」
「ん……と、護身用だ。護身用に銃を持つ人なんて珍しくはないだろ」
デガラシは嘘が混じるのを直感的に感じた。
デガラシ「本当に、それだけですか……?」
「……それだけだよ」
「そういえばヘレネーさんは、刃沼について、わたしの知らないことまで知っている素振りです」
「……」
「わたしは思うんです。刃沼の過去について。何かがあるんじゃないかと」
刃沼は少し動揺しているように見える。
「……前にも云ったけれど、昔の記憶は消えてしまったんだ」
「でも、記憶喪失ではないと云ってました。あくまで記憶が薄れすぎただけだと。薄っすらとは残っているんでしょう? でも……、刃沼が云いたくないならいいんですよ。ただ……さびしいなと思いました。わたしには支えられない感じがして」
「デガラシの献身性は知ってるよ。でも別に、私に親身にならなくても――」
「誰でもいいわけじゃありません! 刃沼を支えたいんです……!」
「随分強く云い切るね……。でも、支えてもらったところで、私は何も与えられない」
「いいえ。その考えは間違ってます。取引じゃないんです。与えられたから、返さなきゃいけないってものではありません」
「う~ん……。よく理解できない、私には」
「いいんですよ、理解しなくても。いずれ、なんとなく分かるときがきます」
*
ヘレネー「おうおう。湿っぽい空気ン中、失礼するよ」
ズカズカ入ってくる。デガラシと刃沼の顔を見て、それから云う。
「オレは口が堅いんだ。たとえ刃沼がオレから商品を買わなくなってもな、お前のことは誰にも云わないよ」
ヘレネーは懐から、リボルバー拳銃を取り出し、刃沼に渡す。そして弾薬の詰まったケースも。刃沼はリボルバーの引き金あたりに指を入れ、巧みにクルクル回したあと、ポケットの中へ落とすようにしまい込んだ。
刃沼「ちょっとしたパフォーマンス」
デガラシ「西部劇のガンマンがやってそうですね」
ヘレネー「抜き撃ちの腕も、西部劇の主人公だぜ、刃沼は」
デガラシ「はぁ……そうですか」
ヘレネー「信じてねえなっ」
刃沼「私は西部劇の主人公じゃない……」