第3節 「嵐の前の」
◆909号室(刃沼たちの部屋)
旅の疲れか、うとうとしている刃沼の寝息が、いよいよ大きくなる。デガラシが立ち上がって云う。
「ホテルの中、散歩しに行ってきます!」
刃沼「ああ……、どうぞ。(多分初めてホテルに泊まったんだろうな。はしゃいじゃってる)」
デガラシ「刃沼はどうします? 一緒に行きませんか? ずっと部屋にいるのも退屈でしょう」
刃沼「寝る。眠い」
デガラシ「はい」
デガラシは部屋の外へ出ていく。が、すぐそこで誰かと会い、話し始めたらしい。相手の声は小さくて聞こえない。刃沼は重い目蓋を閉じる。デガラシの話し声が止み、部屋の出入り口から戻ってきたようだ。そして頭をコツンコツン突かれる。
刃沼「ぅぅ……眠いんだ。寝させて」
?「ぁ、あの……」
近づいたデガラシと思われる者は、別人の声を発した。刃沼は重い目蓋を開ける。像がぼやけている。誰かがしゃがみこんで、こちらを覗いている。
?「あの……。はぬま…さん……?」
像がはっきりしてきた。見覚えのある顔だ。黒い髪に灰色の瞳か――
刃沼「ヘレネーの、えっと……」
ヘル「妹の、ヘル、です」
刃沼(ヘル……、HELL……地獄か。不吉な名付けをされたもんだ)
刃沼は目蓋を閉じた。
ヘル「あの……、あの……!」
刃沼「聞いてる。……眠るまでは聞いてる」
ヘルはオドオドした様子と口調で、スローモーに話しかける。
「888号室に泊まってます……」
「うん」
「この部屋の、となりです……」
「そう」
「遊びに……来てください」
「へぇ」
「心細いんです……」
「なる……」
刃沼は睡魔に襲われた。
◆3階の吹き抜け近く
その頃デガラシは、3階の通りから、吹き抜けの空間を眺めていた。
「あれっ」
2階の通路に人が歩いていると見えた、最初は。けれどもよく目を凝らしてみると、人間ではないようだった。
「ううん?」
溶けた足を引きずり、ひどく前のめりで、頭部が脈動している。そしてこちらを見た。
「うぅっ……」
ぎょろりとした目玉が不自然に飛び出ていた。金魚の出目金をグロテスクにし、人間と混ぜたような……
(――化け物――)
そう呼ぶ他ない得体のしれないものだった。化け物はニタニタと笑う。赤い口を歪にさせ、壁の向こうへいなくなった。
(なんでしょう、今の……。鳥肌が……。メイク……でしょうか。けれども、とても、おぞましい……)
◆909号室
目覚めた。
刃沼「うーっ、うー」
身体を伸ばす。時間は夕飯前あたり。ヘルはいない。部屋のドアが開く。
デガラシ「ただいま。帰りました。あ、起きたんですね」
刃沼「こっちも、ただいま起きたんだ」
刃沼は欠伸をした。
デガラシ「実はさっき、妙なものを見て――」
デガラシは、先ほど見たモノを刃沼に説明した。
刃沼「お化け屋敷でもやるのかな」
そう云って、お茶を飲み、また目を閉じた。二度寝だ。
◆888号室 ヘレネー
ヘレネーは、デガラシと話したあと、ヘルのいる888号室へ少し寄った。
ヘレネー「じゃあヘル、オレは民宿の方へ行ってっから。とも子ちゃんと、仲良くな」
ヘル「うん……」
とも子「はい。ヘルは私がしっかり見てますので、ヘレネーさんは安心してください」
ヘル「……」
ヘレネー「とも子ちゃんは、しっかりした子で助かるよ。んじゃあな」
ヘルはとも子という生徒と相部屋になったようだ。
◆民宿ずんだら
そしてヘレネーは、ホテルを出てすぐの民宿に入った。
ヘレネー「おばちゃん、世話になる――」
入ってすぐ、居間にいるもう一人の宿泊客が目に入り、固まる。
おばちゃん「あいよ。今ご飯炊いてっからね。そこさ座って待ってな」
ヘレネーはゆっくりと居間に入り、ちゃぶ台の前に座った。
ヘレネー「もう一人の宿泊客って、あんただったのか……」
レッドパス「…………」
赤いカウボーイハットを被った、体格のがっしりした大男が座っていた。服装は黒い作業着姿であり、旅行者には見えなかった。
ヘレネーは相手から、不動明王か仁王像の類が、生きて座っているような威圧感を感じたため、思わず一瞬固まってしまった。
それからご飯を待つ間、二人は何をするでもなくただ座る。ヘレネーは、大男レッドパスに、話題を振ってみた。
「この島にはなんで?」
「……島に来た目的を尋ねているのか?」
重量感のある声で、レッドパスはゆっくりと口を開いた。
「いや目的ってほど、大層なもんでもねーけどな。何しに来たのかなって。……旅行?」
「……」
「話す気はねぇか……。少しぐれえお話してくれたっていいんでないの?」
「相手のことを聞き出す前に、自分のことをまず話すべきだろう」
「あー、そういや自己紹介もしてなかったっけ。あんたのことは知ってるもんでつい。初対面だってのを忘れてた。オレはヘレネーだ。そこのホテルに今、修学旅行で学生が来てるだろ? そいつらと同じ学校の、1つ上の学年だ」
「ではお前は修学旅行生ではない、と云うことではないのか?」
「ああ、オレは妹の――ヘルっていう妹がいるんだ。それが心配で、一緒に……いや一緒ってわけじゃねえな。とにかくここへ来たんだ」
「妹思いだな。単なる学校の旅行だろう。何が心配なんだ」
「おそらくはー、あんたもご存じのことだがね、この島にゃ色々良くない噂も流れてんだろ」
「詳しく聞かせてくれ」
「行方不明者が続発したり、怪しい研究所があるんじゃないかって話。おばちゃんも知ってるだろー?」
おばちゃん「ええ? なーに?」
おばちゃんは炒め物の調理中らしい。フライパンの上で油と水分の弾ける音がけたたましい。
レッドパス「行方不明者について、俺もさっき、おばちゃんに聞いたが、話でしか知らないと云っていた」
ヘレネー「知らない?! あんなに噂になってるてーのに? 行方不明者もけっこうな数だろ」
レッドパス「らしいな。だが、正確な情報はどこにも見つからなかった」
ヘレネー「まさかあんた今度は、もみ消しが目的じゃねえだろうね?」
レッドパスは少し鋭い目つきをした。ヘレネーは即座に身構えた。が、何もしない。
レッドパス「今の話を聞くと、どうやらお前とは敵対関係ではないようだ」
「どーゆうことだよ」
「この孤島で行方不明者が立て続けに起きていることは、事実だと俺は考えている。そして今回、修学旅行生という団体客が、この島を訪れた。そのタイミングで行方不明者がまた必ず出るだろう。だから俺はここへ来たのだ」
「んん……? いやでも、さっき、正確な情報がないとか」
「行方不明者の続発は事実だ。だが、どこで行方不明になったか、という情報が曖昧にされている」
おばちゃん「早くも打ち解けたようね。しばらくは一緒に過ごすんだから、二人とも仲良くね」
おばちゃんは、山菜料理と、サメの肉を中心とした料理をちゃぶ台に並べた。