第1節 「ヘル、ツミキ、ヘレネー」
◆給湯室
ツミキに呼ばれたヘルは給湯室にいた。また悪口を云われている。
ツミキ「化け物ってお前のことじゃないのか?」
ヘル「ちがう」
ツミキ「マサオを殺ったのもお前だろ? 化け物じゃねえか」
ヘル「マサオ君は行方不明だもん」
ツミキ「ああ、そうだ。でもとも子はどうだ? オレは知ってるんだよ。とも子を殺ったのは、お前だ」
ヘル「ちが…う……」
ツミキ「いいや。そうじゃなきゃおかしいんだ。なにしろいくら考えたって、とも子と同室だった、あんたにしか殺せねえんだから」
ヘル「化け物……、化け物に」
ツミキ「なんでも化け物のせいに出来ると思ったら、大間違いだぞ。人でなしが!」
ホープ「へ、ヘルさんをいじめないでください!」
物陰から顔を出す一人の少年。
ツミキ「ホープ。……そういやケンジが死んだだってな、お前の前で。お前は何も出来ないんだな。お前の無力さで、お前のせいで! お前が何もできないから、また人が死ぬぞ?」
ホープは黙って、うつむいてしまう。
ツミキ「お前はお呼びじゃねえんだ! 消えな!!」
怒鳴り付けられたホープは、しゅんとして、立ち去った。
ツミキ「さぁて、あんたにどういう償いをしてもらおうかな……?」
ツミキはヘルの首を掴み、床に押さえつけた。そこでまたヘルの脳裏にフラッシュバックが起きる。
ヘル(いじめ、暴行、いじめ…………どこでも。どこまでも。狂ってる。狂ってやる)
ヘルの灰色の瞳はますます生気がなくなった。虚ろな表情になる。ツミキは本能的にマズイと感じたためか、立ち退いた。
ツミキ(寒気が……)
ヘルはゆらゆらと立ち上がる。そして虚無の目つきでツミキをとらえたまま、視線を逸らさない。ツミキへ一歩、一歩、迫っていく。ツミキは後ずさりした末、壁を背にした。
ヘル「はハ……ハ」
ツミキ「…………」
ヘル「あなた、云ったね。わたしが 化け物だ、って」
ツミキ「……」(やっぱりこいつは異常だ)
ヘル「だったら…………、いっそのこと…………」
ヘルはポケットの中の小刀を掴んだ。そこに誰か駆け付ける。
ヘレネー「おいッ!!」
その声に反応し、ポケットの中で小刀を手放した。ヘレネーはツミキに攻めよる。
ツミキ「うう……あ……」
打って変わって怯えの態度に豹変したツミキは、さらに部屋の奥へ後退した。が、ヘレネーに胸ぐらを掴まれた。
ヘレネー「お前だったんだな、ヘルを暴行したのは……!」
ツミキ「違う……っ」
ヘレネーは後ろからツミキの首を押さえ、さらに髪をグイグイ引っ張る。
ヘレネー「本当のことを云わねえと、二度と飯の食えねえ身体にするぞ! ヘルに暴行を加えたのは、誰だッ?」
ツミキ「……多少、私も殴りました」
「私、も? 他には誰だ?」
「いや……、すいません。私一人で、やりました」
ヘレネー「お前はさっき、多少、なんて云ったが……、あれが少しか!? 身体中 傷だらけじゃねえか!」
ヘレネーはツミキを持ち上げたまま、窓際に移動した。
ツミキ「……あ、あ……」
そして、背負い投げた。窓ガラスがけただましく砕け、ツミキは2階から地面に落ちた。
ヘル「お姉ちゃん……」
ヘルは抱きついた。ヘレネーは頭をなでる。
ヘレネー「おぉ、よしよし……。ホープって奴から、聞いてな、急いで駆け付けたんだ」
◆ホテル前の地面
ツミキ「あ……ぁ……」(身体中が痛い、痛い……。足が動かない……)
デガラシ「何か音がしましたが……」
ツミキに近づく。
デガラシ「どうしたんですか!? 今、運びますから」
デガラシが持ち上げようとする。
ツミキ「痛い、痛い、やめて。骨が折れてるかもしれないんだ」
デガラシ「じゃ、えっと……」
ツミキ(良く見れば、こいつはヘレネーと、仲のいいデガラシって奴……)「担架……、即席の担架を作って下さい。誰か協力してくれる人も見つけて――」
デガラシ「はい! そうだこういうのはヘレネーさんが得意そうかも――」
ツミキ「ダメです!」
デガラシ「ええっ?」
ツミキはしおらしさ心がけて、語り出した。
「僕をこのようにしたのは、ヘレネーさんなんです。それはわたくしも、少し失礼なことはしましたが、2階から突き落としたんですよ、あの人は。とても信用なんかできません」
「そうなんですか……。以前にもケンカで突き飛ばしたって聞いたことがあります」
「なのでヘレネーさん以外の方で頼みます」
「はい、分かりました!」
デガラシは駆けて行った。ツミキは必死さのために痛みも忘れていた。
ツミキ(ヘレネーが駆けつけてきたのは……ホープのせいだ。これからは標的をヘルじゃなくホープにしよう。ヘル姉妹はどっちも危ないって分かったからな)
ツミキは、弱者を嗅ぎ分ける能力には鋭いのかもしれない。
◆ホテル内の廊下~ロビー付近のカフェ
寝起きまもなくの刃沼は、眠気覚ましのためにホテルの中をうろつくことにした。廊下の両側は所々どす黒い赤で汚れていた。窓ガラスも褐色がかった油のようなものでぬらぬら照り返していた。ロビーまで来た。敷かれた赤い絨毯には点々として黒ずんだようにも見える。視線をぐるりと回す。
刃沼(カフェあったんだ! 目覚めのコーヒーなんか、飲みたいなぁなんて)
そのようなことを考えながら、ロビーに隣接したカフェに入って行った。テーブルに座るとメニュー表を渡された。しかし、横文字の並んでいる図面にしか見えなかった。銘柄を読んだところで味は分からない。適当に注文する。
「ブラックになさいますか?」
「レッドがあったら驚きだね」
店員の尋ねた内容が漠然としか分からなかったので、刃沼は思うままに答えた。
店員「では****で」
見事な発音は、刃沼の耳には聞き取れない。
刃沼「じゃあ、それで。飲めるコーヒーなら、なんでもいいよ」
店員は少々ご機嫌斜めとなり、カウンターの向こうへ行った。そののち出されたコーヒーを飲む。
刃沼(まずまずうまい。膠の臭いが多少混じってるのが難点)
ふとコーヒーから視線を外すと、ロビーを通ってホテルの外へ行くデガラシが見えた。他の生徒と一緒に白い担架のような器具を持っていた。が、刃沼にはコーヒーほどに関心はないものだった。カフェに流れる音楽に誘われ、ジャズを鳴らすCDプレイヤーに近づく。店員が気づいて云う、「お好きな曲に変えて構いませんよ」。見ると他にもCDが揃えてあった。刃沼はそのうち、ぞっこん何とかと書かれたレーベルの貼られたCDを選んだ。まもなく演歌の流れ始めたカフェで、テーブルに戻り満足そうにコーヒーを飲む刃沼がいた。
刃沼(カフェには演歌も似合う)
◆100号室
部屋に運び込まれたツミキはベッドの上に安置された。この部屋だけベッドも備えていた。
タコヤマ「ツミキ……!!」
デガラシ「では、わたしたちはこれで」
デガラシと生徒数人は立ち去った。グルグル包帯巻きされたツミキ。
タコヤマ「誰に、やられた?」
ツミキ「へ…レネ」
雑な応急処置は、口にまで包帯が巻かれる始末だった。そのため声が聞き取りづらい。
タコヤマ「ヘレネーか!」
タコヤマは部屋を飛び出した。
*
タコヤマと入れ替わりに、白衣の者が入ってきた。
研究員「おや、まぁ、こっぴどくやられましたねえ」
ツミキ「…………だ…れ」
研究員「さてさて、じゃあまあ、実験体にさせてもらいますよ」
研究員は、真っ白なゴム手袋でおおわれた両手を掲げた。
ツミキ「……うう……!!」
包帯の上からさらに、布で口を押さえつけられる。
「これはまだ失敗が多いのですが、まあやってみましょう。他人を責めるほどに自分を責めるシステム」
白衣の者はツミキの身体へ細工を施したようだ。
「はい、実装完了しました。さぁて、次の実験結果はどうなりましょうか」
*
ツミキが目を覚めると、人がたくさん部屋にいた。
タコヤマ「起きたな」
デガラシ「ぅ……ぅぅ……」
ヘル「ん……ぅぅ……」
デガラシとヘルは口を布で塞がれていた。
ツミキ「いったい……」
ツミキの包帯は巻き直されたのか、以前よりだいぶ喋りやすかった。
タコヤマ「ヘレネーに対する復讐だ。お前をそんな目にあわせた報復にな。ヘレネーの妹と友人を人質にした。腕の立つものも集めた」
部屋にいるその他の生徒は、どれも体格の良い者ばかりだった。それでもツミキは悪い予感が多分にした。
◆909号室
「おい! 起きろって! おい!」
ヘレネーは熟睡の刃沼を揺さぶる。
「デガラシがいつも云っていたが、本当に起きねえ……。……仕方ねえ。書置きを残すから、ちゃんと見てくれよ」
書置き。
”タコヤマたちに、デガラシとヘルがさらわれた。
タコヤマは1階の100号室だ。起きたらすぐ来い!
ヘレネー”
◆100号室
「おい! おいッ!」
部屋の前でヘレネーはドアを叩く。だが中は静かで応答がない。しばらくのちドアが開いた。ヘルが出てきた。
「お……ヘル。無事だったか――――」
その奥の光景は、奇怪だった。中には何人もの人間がいた。が、動いているのはヘルただ一人だった。みんな顔をひきつらせたまま静かにしている。気を失い動かない様子の者もいれば、始終痙攣するばかりの者もいた。
ヘレネー「デガラシ……」
デガラシはただ座っていた。今まで見たことないほど感情の失った顔付きだった。いくら呼びかけても何の反応も示さなかった。
「ヘル、何があったんだ? ――ヘル……?」
「……フフ……はハっ……へ……ェ……」
ヘルは乾いた笑いを繰り返すばかりだった。
(ヘルも正常では済まなかったって訳か。いったい何だ。タコヤマ達は何をしようとした……!?)
ヘレネーはとりあえずデガラシを立たせて手を引いた。自分から歩くことは出来ないようだが、歩かせることは出来た。
◆廊下
駆けつける刃沼と出会った。
「よぉ……、起きたか」
「無事だったんだ」
「だといいけどな」
「?」
ヘレネーはデガラシを前に出す。すぐに刃沼にも、その無表情さの違和に気づいたようだ。
刃沼「ねぇ」
デガラシ「……」
「ねえ、デガラシ……!」
「…………」
刃沼はデガラシの顔を叩いた。が、何の反応もない。さらに頬をつねるが、同様だった。刃沼は不安な表情になってヘレネーの方を見た。
「分からねえ。オレが来たときにはもうこうなっていた。そしてヘルもだ」
刃沼はヘルに視線を移す。相変わらず、乾いた笑いを繰り返していた。
◆888号室
次の日。「は……ぬま……」。刃沼は目が覚めた。デガラシを見る。表情が戻っている。言葉はカタコトだが、徐々に良くなっていった。ヘルはうっすらと笑みを浮かべたまま、あまり喋らなくなった。その数日後にはだいぶ元へ戻った。
デガラシ「刃沼、朝ですよ」
刃沼「ああ……戻ってる」
「戻ってますよ」
「良かった」
「わたしはわたしです。変わりないですよ」
「――ヘルは?」
「……」
ヘルの方は分からない。見た目には幸せそうな様子だった。が、何を尋ねても会話をしなくなってしまった。しかし、以前よりむしろ元気なようだ。体調も良い。デガラシに、あのとき何があったのか、聞いてみた。
「あまり覚えていません。なので覚えている範囲で話しますね。気づいたらタコヤマさんたちの部屋にいました。口を布でおおわれていました。ヘルも同じ状態です。しばらくはとくに何もおかしなことはなくて、ぼんやり時間が過ぎていったんです。あるときツミキさんが発作のような症状を起こして暴れたんです。その場にいる人が押さえつけましたが、今度はタコヤマさんが倒れて。そしてヘルがいつのまにか自由になっていました。何か鋭い刃物のようなものを持って…………そこからの記憶はありません」
ヘレネー「ヘル、そうなのか?」
ヘル「……く…………ク……」
言葉は返らない。笑いを噛み殺しているようにも見える仕草をするだけだった。




