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思い出橋  作者: Sing
9/14

ブルーベリーパン

ブルーベリーパン



躾の悪いガキだとは思って居たけど、まさか17歳でビールを要求して来るとは思わなかった。



「美似衣は何時もビールなんて飲んでるのか?」



僕は驚いて聞いて見た。



美似衣は悪びれる様子も無く



「黒ビール大好き。」



と言った。



「美似衣は不良なのか?」



と僕が聞くと



「失礼な…。」



と言い返して来た。



「ガキのクセにビールは無いだろう?」



呆れて言う僕に



「ドイツは14歳から飲んで良いのよ!」



と言った。



「14歳!」



僕と祖父ちゃんは驚いて美似衣の顔を見た。



「日本に居る間は我慢した方が良さそうだな。」



と祖父ちゃんが言った。



「お姉ちゃんって、どんな人だったの?」



と美似衣が聞いた。



「まぁ、美似衣とは正反対かな…。」



それは、僕の素直な感想だった。



姿形は似ていても、美々と美似衣は違って居る。



たったひと夏の時間を共有しただけの美々の人格を、会ったばかりの美似衣と比べる事は出来無いけれど、確かに美々と美似衣は違って居た。



「炭酸が苦手で、音楽が好きで、誰よりも家族を愛して居て、一人では何も出来無い女の子だった。」



僕の中の美々を初めて口に出した。



「一人では何も出来無い?」



美似衣が問い返す。



「そう、何にでも興味は持つけど、一人で立ち向かう勇気は無いんだ。」



そうだ、美々は何時も悪戯な目で、僕を共犯者に仕立て上げてくれたけど、一人ではお気に入りのブルーベリーパンさえ買いに行けなかった。



「もし美々が美似衣と逆の立場なら、きっとここには来れなかっただろうな…。」



僕は感じたままを言った。





夏休みは唐突に終わり、僕と美々の時間は限られた日常の中に戻ってしまった。



美々は相変わらずホワイトハウスの前に置かれて居るウッドチェアーに座り、僕の帰りを待って居た。



僕は一度家に帰るのももどかしく、釣り堀に鞄を置いたまま美々と草花を探しに歩いた。



美々は小さな花の辞典を持ち歩き、僕は美々の好きな花の名前を沢山覚えた。



「ニクソン、ブルーベリーパンが食べたい。」



足早に成った夕暮れが近づいた頃、突然美々が言い出した。



「今からじゃ無理だよ。」



美々の好きなブルーベリーパンは広谷地の交差点の先の森の中に有る。



「もっと早く学校から帰ってこれ無いの?」



「今だって真っ直ぐ帰って来てるよ。」



「ふーん。」



美々の不満が伝わって来た。



「土曜日か日曜日なら行けるよ。」



「すぐ売り切れるもん…それに週末までなんて待て無い。」



どういう訳か、美々は僕にだけは我儘だ。



「だったら昼間の内に美々が行って来たら良い。」



この話しの解決策はそれしか無い。



「ニクソンなんか嫌い。」



そう言って美々は帰ってしまった。



何がそんなに美々を不機嫌にさせたのかも分からない僕は、一人陽が暮れるまで祖父ちゃんの話し相手をして居た。



翌朝僕は、何時もより早起きをし、森の中のパン屋さんへ自転車を走らせた。



開店前のお店の入り口を、勇気を持ってノックして見た。



「如何しました?」



と、ベレー帽を被ったお姉さんが柔かに対応してくれる。



「あのう…ブルーベリーのパンが欲しいんですけど…。」



僕が言うと



「お店は9時からなの…。」



とお姉さんは気の毒そうに言った。



「友達が病気で…ここのブルーベリーパンが好きだから…。」



僕は震える足を根性で落ち着かせ、漸くそれだけの事を言った。



「彼女…?」



優しい問い掛けに、僕は少しだけ考えてから、首を縦に振った。



「あと10分待てる?」



待て無い事はない。



ただ、学校は完全に遅刻だ。



年間の皆勤賞は無くなるけど、僕はそれでも良いと思った。



「待てます。」



と僕は告げた。



お姉さんは10分と言ったのに、もっと早くブルーベリーパンを僕に渡してくれた。



焼きたてのブルーベリーパンはとても暖かく、少しでも力を入れると崩れてしまいそうだった。



「幾らですか?」



と聞くと



「お金は要らない。」



とお姉さんは言った。



「その代わり、彼女が元気になったら、今度は一緒に来てね。」



と言ってくれた。



僕は人の心の優しさに触れ、涙が浮かんで来た。



一番重いギアで「佐藤苑」迄の道を全力で走った。



「何処に行ってたんだ?」



と言う父ちゃんの声を無視し、僕は学生カバンとブルーベリーパンを抱えて家を飛び出した。



学校に行く前にホワイトハウスに寄り、美々にブルーベリーパンを届けたかった。



どんなに美々が喜んでくれるのか、僕はその顔が見たい一心だ。



ホワイトハウスに着くと、美々のママが



「すごい汗よ。」



と言って冷たいタオルを貸してくれた。



「直ぐ学校に行きますから。」



僕はそう言ってタオルを断った。



ベットに横たわって居た美々に



「ほらっ。」



と言ってブルーベリーパンを差し出す。



「要らない。」



美々は何だか機嫌が悪い。



「週末まで待てないんだろ?」



僕が言うと



「ニクソンのバカ!」



と言って泣き出してしまった。



僕は如何したら良いかも分からず、美々のママにブルーベリーパンを渡してから学校に向かった。



学校帰り、何時もの様に祖父ちゃんの釣り堀に立ち寄ると、美々が一人ポツンとビーチパラソルの下に座って居る。



目の前には手つかずのブルーベリーパンが置いて有った。



「今日は儂も寄せ付けん。」



祖父ちゃんが嘆いた。



「食べなかったの?」



僕は美々の正面に座って言った。



美々は無言で僕の前にブルーベリーパンを押して寄越した。



「何だよ。」



と僕は言った。



「一緒に食べる。」



と美々が言った。



『何だよ。』



と僕はもう一度心の中で言った。



折角焼きたてのブルーベリーパンを届けたと言うのに、美々と美々のママが喜んでくれたらいいと思って居たのに…。



「いくらだった?」



と美々が言った。



「お金は要らないって。」



「そんなのって有るの?」



「彼女が病気だって言ったら、今度は一緒にお出でって…。」



「恥ずかしい…。」



美々は紅く成って下を向いて居たけど、もう怒って居るようでは無かった。



「今度は一緒に行く。」



美々は断固とした口調で言った。



頷いた僕も、紅い顔をして居たと思う。



「仲直りは出来たか?」



と祖父ちゃんが聞いた。



「別に喧嘩なんてしてないよ。」



と僕は言った。



そう、これは喧嘩なんかじゃない。



美々が勝手に怒ってるだけだ。



「美々は一緒に買いに行きたかったんだ、そうだな美々?」



祖父ちゃんの言葉に、紅い顔のままで美々が頷いた。



「ニクソンも女心をもう少し勉強せんとな。」



と祖父ちゃんは言った。



「カールも一緒に食べよ。」



と美々が言った。



「儂も御相伴に与れるのか?」



何処か寂しげだった祖父ちゃんも急に元気を取り戻し、日に焼けた顔に沢山の皺を浮かべて笑った。



「よし、取って置きの物を添えてやろう。」



祖父ちゃんは作業小屋の中から、筵に包まれたバースデーケーキ程の塊を持って来た。



「なに?」



美々は興味深々だ。



「チーズの燻製だよ。」



と僕が言った。



「お前が言うな。」



と祖父ちゃんが言った。



僕達は大きな声で笑えた。



祖父ちゃんが近所の農家から貰って来た生の牛乳で、毎年作る自慢の一品だ。



「カールって凄いね…なんでも作れるんだね?」



と美々が言った。



「土地には土地の食べ物が有る。何もこの釣り堀はお前さんたちばかりの集会所では無いさ。」



祖父ちゃんの人脈は確かに広い。



「お金を掛けて買ったものばかりが良い物じゃない。」



それが祖父ちゃんの持論だ。



「パンには牛乳の方が良いだろう?」



と言って出してくれた牛乳も、毎日酪農家の人が差し入れしてくれる物だ。



美々は祖父ちゃんのチーズの燻製や、搾りたての牛乳を口にする度



「美味しい。」



を連発した。



僕にも見せた事無ない優しい顔の祖父ちゃんを見ても、僕はもう焼もちさえ焼かなく成って居た。



一斤のブルーベリーパンは、三人で食べるには充分すぎる量だった。



釣り堀にお客さんが来て、祖父ちゃんは席を離れた。



それを待って居た様に、美々がテーブルの下で僕の足を蹴った。



「痛いなぁ。」



僕は美々の顔を見る。



また何時もの悪戯を思い付いた時の顔だ…。



「ねえニクソン、一軒茶屋からだったら良いじゃん。」



祖父ちゃんは遠くに居ると言うのに、美々は声を潜めって言った。



「何がだよ。」



何となくは分かって居るけど、敢えて僕は気付かない振りをする。



美々がもう一度僕の足を蹴った。



「本当に痛い。」



僕は顔を歪めた。



「坂下りに決まってるでしょ!」



美々は可愛い頬を膨らませて居る。



「ダメ。」



僕は美々にも嫌われたく無いけど、美々のママのも嫌われるのは嫌だ。



「ケチッ。」



「転んだら危ないだろ?」



「転ばないよ。」



「もしも…だよ。」



「転ばない。」



またしても断固とした美々の口調。



「それに二人乗りで坂なんか上れないよ。」



「押して行けば良いじゃん、美々も後ろから押すし…。」



今日の美々は執拗だ。



そんなに美々が坂を下りたいなら、ゆっくり下る事は出来るのかも知れない。



それに、一軒茶屋から広谷地までなら、そんなに遠い距離でも無かった。



「一回だけだぞ。」



と僕は言った。



「本当?」



美々も破顔して居る。



「危ないと思ったらそこで終わりだからな。」



「良いよ。」



「しかもヘルメット付き。」



「ダサッ!」



美々のウキウキとした顔を見て居るだけで、僕は幸せに思えて来る。



美々が元気に成ったら、殺生石の駐車場からだって、ノーブレーキでここまで運んで上げたいと思って居た。



「今日はダメだよ。」



「じゃあ明日。」



僕は頷いた。



「何をコソコソと話してるんだ?」



と言って祖父ちゃんが近づいて来た。



「何も…。」



僕と美々は声を合わせ、お互いの顔を見てクスッと笑った。



約束の日は雨が降って居た。
















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