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思い出橋  作者: Sing
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ボイスレコーダー

ボイスレコーダー



「殺生石に連れてって欲しい。」



美似衣が言った。



まあ、そうだろうな…。



僕もそう思って居た。



美似衣の17年の苦しみを聞いて、美々が亡く成った後の美々のママの事を思うと、僕に出来る事はどんな事でもして上げたいと思って居た。



僕に出来る事は、美々の死によって今も尚苦しんで居る美々のママに、再び娘の居る喜びを感じて貰う事だ。



その為には…。



美似衣に美々のママや、姉である美々の事を好きに成って貰う事…。



どうやって美々が亡く成ったのかも僕には分からない。



その僕が美似衣に何をして上げられるのかも今は分からない。



ただこの那須の町でたったひと夏とは言え、美々が妹の誕生を待ちわびて居た事だけは正確に伝えなくてはいけないと思った。



美々のママや美々のパパが、美々を助ける為に美似衣を作り出したのでは無い事を、僕は美似衣に理解して貰いたかった。



祖父ちゃんも同じ気持ちだろう…。



この数日、沢山の言葉で美似衣にあの頃を伝えて来た。



その答えが、美似衣の中で美々が歩いた場所を見る事なら、僕は何処にだって連れて行って上げたかった。



近頃の那須は、観光地色もめっきり強くなり、那須街道は直ぐに渋滞で車が動かなくなる。



僕は祖父ちゃんのスクーターを借りて、美似衣とりんどう湖や殺生石を訪ねる事にした。



美似衣にミニバイク用のヘルメットを被せると、まるで坂下りをした時の美々がそこにいる様だった。



僕は声を失って、ただ美似衣を見つめていた。



「どうしたの?」



美似衣が怪訝な顔をした。



「いや、あんまり美々に似て居たから…。」



僕は如何にかそれだけの言葉を絞り出した。



「そうなんだ…。」



美似衣はそう言って祖父ちゃんの顔を見た。



祖父ちゃんは、美似衣の問い掛けに、力強く頷いた。



「今は、なんか嬉しい。」



と美似衣が言った。



その言葉に、僕も祖父ちゃんも救われる思いがして居た。



「ほらっ。」



祖父ちゃんが差し出したのは、りんどう湖の年間パスだ。



初めての美々とりんどう湖に行った日…。



あれから17年も過ぎたと言うのに、この町の日常は何も変わって居ない。



この代わり映えのしない景色の中、ただ人の心と、思い出だけが変化して行く。



鮮明な筈の思い出も、辿り着けない記憶の糸や、思い違いがある様に、人の心にも解けない誤解が生まれてしまう。



解けない結び目なんて無いと思う。



美似衣の心の中の硬い結び目が、この穏やかな片田舎で、今…解けようとして居た。



りんどう湖の中は、相変わらずメルヘンチックな電車が走り、放し飼いのウサギのエリアもあの日のままだ。



「ウンザリするくらい、何も変わらないよ。」



僕が言うと



「お姉ちゃんもこの景色を見たんだ…。」



と美似衣が言った。



立ち止まる事もなく、僕と美似衣はりんどう湖の遊園地の中を歩き、殺生石まで再びスクーターを走らせた。



殺生石は、りんどう湖以上にあの日と何も変わって居なかった。



あの日と同じ様に神社の境内でお弁当を食べた。



あの日、美々のママが作ってくれたお弁当とは比べる事も出来ないけど、途中で買った「聚楽」の焼肉弁当は納得の味だった。



「本当はね…ずっとお姉ちゃんが好きだった。会って見たいと思ってた。」



僕は美似衣の話しを真剣に聞いた。



「今でもね、お姉ちゃんが生きてたらって思うの。」



「分かるよ。」



と僕は言った。



僕も一人っ子だ。



美似衣の気持ちは痛いほどわかる。



「ねえニクソン…真実が知りたい?」



美似衣はそう言って、胸ポケットから携帯電話を取り出した。



忘れもしない、美々が使って居た、あの携帯電話だった。



二つ折りの携帯電話を美似衣が開いた。



「真実。」



僕は呟いた。



僕は何を知りたいのかも分からない。



ただ真実とは、何時も背中合わせに悲しみが伴う。



画面の待ち受けに、あの日の橋の上で寄り添う僕と美々の写真が有った。



「美々…。」



絶句に近い呟きを、僕は深い胸の中から絞り出した。



「初めは、お姉ちゃんが好きだった人って、どんな人なのかなって思ったの。」



小さな声で話す美似衣の声を、一言も聞き逃すまいと僕は美似衣の口元を見て居た。



「どんな人だった?」



と僕は聞いた。



「この写真のまま大人になってると思ったから…。」



美似衣が悪戯な眼で僕を見た。



僕は苦笑いをするしか無かった。



「カウンセリングの先生に、ニクソンのCDを貰って、凄く驚いた。」



「本当にすげぇや。」



それ以外の言葉は思い付かない。



「砂時計って歌があるでしょ?」



「有るね。」



「何もかも違うって…。」



僕は頷いて



「違うよな…。」



と呟いた。



「私の心が病んでいたのは、正にそこだった。何もかもが私の思っている事と違うって…。」



美似衣が持っている携帯電話が小刻みに震えて居る。



「それで…。」



と僕は聞いた。



「こんな歌を作る人はどんな人だろうって。」



「で?」



「会いに来ちゃった。」



そう言って美似衣は小さく笑った。



「俺に?」



僕は驚いて言った。



美似衣が頷いた。



「それも理由の一つって事。」



美似衣がそう言って赤い舌を出した。



「ねえ、ニクソン…これを聞いたらきっと私の事が嫌いに成ると思う。」



美似衣の指先が更に震える。



「何を聞いても嫌いになんか成らないよ。」



と僕は言った。



美似衣は首を横に振り、携帯電話のメニューボタンを押した。



ボイスレコーダー機能を呼び出し、再生ボタンを押した。



そして…。



「今日は殺生石のお祭りです。今からニクソンと歌を作ります。」



あの日の懐かしい美々の声が聞こえた。



僕は狼狽え、怯えた眼で美似衣の顔を見た。



僕の眼を見つめ、頷いた美似衣の瞳に、涙が溢れて居た。



楽しそうに「思い出橋」の頭の歌詞を二人で作って居る声が聞こえる。



誰が聞いても仲の良い二人だった。



あの日の美々の面影が蘇り、僕は打ち寄せる悲しみを、心の中で握りつぶした。



「小降りになったね。」



と言う僕の声が聞こえた。



その声を聞いて僕は、ハッとする。



あの日の録音の中に、僕のその声の記憶が無かった。



石畳を急ぎ足に歩く美々の下駄の音。



石段を下る音。



「大丈夫?」



と聞く僕の声。



「平気。」



と答える美々。



「ニクソン。」



祖父ちゃんの声だ。



「美々、早く濡れるわよ。」



美々のママだ。



ボイスレコーダーのスイッチは入ったままになって居た。



長い間、音楽に携わって来ただけに、このレコーダーの中から聞こえてくる音を、僕は聞き分ける事が出来る。



あの日をさかえに、僕の前から消えた美々の真実がそこに有った。



ボフッと言う音は、美々が車のドアを閉めたのだろう。



美々の押し殺した泣き声が聞こえる。



「ちゃんとお別れは出来たの?」



美々のママが聞いた。



「出来なかった。」



「そう。」



美々の嗚咽が聞こえる。



どういう事なんだろう?



あの日、初めから美々はこの町から居なくなる事が決まって居たと言うのか…。



エンジンのセルモーターの回る音。



カチカチと成るのは、ウインカーを上げたのだろう。



「そんなに佐藤君の事が好きなの?」



美々のママが聞いた。



「ママ、美々の好きなのはニクソンだよ。」



しゃくり上げるような泣き声。



「ニクソンは佐藤君でしょ?」



「全然違う。ニクソンはニクソンだもん。」



車の屋根を強い雨が叩いて居る。



美々の泣き声はもう聞こえてこない。



ガゴ、ガゴっと聞こえるのはワイパーの動く音。



「美々?」



と言う美々のママの声。荒い息づかいは美々だ。



「美々ちゃん!」



美々のママの叫び。



「美々ちゃん‼︎」



美々の返事は無い。



けたたましいクラクションの音。



ギッと聞こえたのはサイドブレーキを引いた音だ。



「もしもし、救急車をお願いします。道路が渋滞で動けません。直ぐに気てください!」



その時の緊迫感が古い携帯電話から伝わって来た。



「まだですか?早く気てください!」



美々のママの叫び。



遠くから近づくサイレンの音。



ドアが開く音。



「大丈夫ですか?」



救急隊員の声。



「美々が、美々が!」



「落ち着いて下さい。」



「早く!」



「貴女も破水してますね!」



救急隊員の切迫した声。



ガゴッと言う音がして、ボイスレコーダーの再生が終わった。



美々の手から、携帯電話が落ちたのだろう。



僕は、何時の間にか美似衣から取り上げた携帯電話を握り締め、身体中に激しい震えを感じて居た。



「嘘だろ?何だよこれ?何なんだよ!」



人目も気にせず、僕は叫び声を上げていた。



例え僕が30に成った大人だとしても、とても受け入れられる内容では無かった。



「ふざけるなよ。何だよこれ。」



僕は泣きながら自分の髪を掻きむしって居た。



「嫌いに成るでしょ?」



と美似衣が言った。



「ならねぇよ!意味分かんないよ‼︎」



僕は何に対し怒り、何処に対し怒りをぶつけて居るのも分からなかった。



「私が産まれちゃったから、ママはお姉ちゃんを見送る事が出来なかったの…何時もママが泣いているのも私の所為なのよ!」



「違う!」



僕は美似衣の言葉を全力で否定した。



「何も違わないわ!お姉ちゃんが待って無かったんじゃない!私が間に合わなかったのよ!」



美似衣の声も悲鳴に変わって居る。



「それこそ違う。」



「私の誕生日が、お姉ちゃんの命日なの。何時も私の誕生日に、パパもママもお姉ちゃんの事を思い出して泣くのよ。16年間ずっと、ずっとよ…もう直ぐ17回目、もう耐えられない。」



美似衣の告白は僕の胸の中に突き刺さった。



僕は思わず美似衣を抱きしめて居た。



「お前は1ミリも悪く無い。美似衣には何の責任も無い事なんだ。自分を責めるのは止めろ!」



僕は力強く、美似衣の顔を自分の胸に押し付けた。



美似衣は僕の腕を振りほどき



「ニクソンだってお姉ちゃんが大好きだったんでしょ?」



と言った。



「好きだったさ、今だって好きだよ。」



それは僕の本心だ。



幾ら幼い頃の事とは言え、美々に抱いた思いは確かに愛情だった。



その美々が、17年も時を越えて僕にこんな苦しみを与えるなら、いっそあの夜に「さよなら」を告げて欲しかったとさえ思う。



思い出は余りにも純粋で、僕の心に目眩を齎して行く。



「ねえニクソン、私はお姉ちゃんの代わりには成れない?」



美似衣は僕の膝に手を置き、俯きながら言った。



愛しいと思った。



「バカな」と思う僕が居た。



美似衣は美々の妹で、17歳も年下の女の子なんだ。



その健気な女の子が、勇気をもって言った言葉に、僕はどんな言葉を返せば良いのだろう。



僕は慎重に言葉を探した。



そして、こう言ったんだ。



「誰も美々の代わりになんか成れない。俺にとっても、美々のパパやママにも、美々は美々でしかなく、美似衣はただ美似衣なんだ。」



「私じゃダメなんだね。」



美似衣の涙は止まらない。



「ダメじゃないさ。でも、俺は美似衣の事を未だ何も知らない。美似衣だって本当の俺の事を何も知らないじゃないか…。」



「やっぱり私は誰にも愛されないんだね。」



消え入る様な美似衣の声が僕を苦しめて居る。



「愛しいよ、愛おしいに決まってるじゃないか?美似衣は美々の妹で、美々は俺の大好きな人なんだぞ。」



「そうだよね…妹だもんね。」



「だけど、もう17年も前の事なんだよ。俺の事がどうとか言う前に、美似衣にはやらなくちゃいけない事が有るよ。」



「やらなきゃいけない事?」



僕は美似衣の眼を真っ直ぐに見つめて頷いた。



「昔、この殺生石に狐のお化けが閉じ込められてると美々に教えて貰った。」



「狐?」



僕は頷き、話しの先を進めた。



「九尾の狐って言うんだ。世の中の人の心を苦しめた九尾の狐は、ある日人々の前から消えた。」



「それで。」



「17歳の女の子の姿に成ってこの町に帰って来たんだ。」



「人の心を苦しめるの?」



僕は頷き



「美々みたいだろ?」



と言った。



美似衣が少し笑った。



「私、もうすぐ17歳だね。」



と美似衣が言った。



「それから?」



美似衣は話の続きに興味が有る様だ。



「また消えてしまう。」



「また消えるの?」



「そうだよ。」



と僕は答えた。



「最後はどうなっちゃうの?」



美似衣はもう泣いて居なかった。



最後は…。



「子宝の無い家の女の子に産まれて、また人を苦しめる。」



「最悪…。」



と美似衣は言った。



その言い方が可笑しくて、僕達は同じ笑いを共有できた。



「美々は17歳になった美似衣を僕の元に寄こした。美々を、あの殺生石の中から出して上げてくれないか?」



僕はこの何日か考えて居た事を、漸く美似衣に伝える事が出来た。



「私…如何したら良いの?」



縋りつくような目で見似衣が僕に聞いた。



「何も難しい事は無いよ。」



美似衣の真剣な目が、僕に対する信頼なのが良く分った。



「美似衣のママに、ただ大好きって伝えておいで。」



と僕は言った。



美似衣が僕の肩にもたれ



「分かった。」



と言った。










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