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4 女囚さそりの逆襲

「お早いお呼びですね」

 黄川田ミナは部屋に入るなり、帽子を脱いでそう言った。

「あれきり連絡はないような気がしていました」

「嘘つけ」おれは吐き捨てるように言うと、ゴミを蹴飛ばして六畳間に彼女を招き入れた。「どうせこらえきれない状態になるようあんたが持っていったんだろう」

「わたしにはそんな権限はありません」

 そうして持ってきた鞄から一枚の書類を出すと、おれの前に差し出した。

「いい機会ですから良ければ記入してください。まだ早いかもしれませんが、あなたの次のジャックポットを指定することができます」

 おれは空欄の並ぶ書類に目をやると、聞き返した。

「……おれが指定できるのか」

「周知はされていませんが、実はできます。望む相手がいれば、ですが。なければこちらが無作為に選びます」

 おれは腐りかけた座布団に腰を下ろすと、そのまま言葉を飲み込んだ。最初の日に見たと同じ、黒いスーツ姿のミナは、しばらくうつむいたままのおれを見ていたと思う。

 ペンをとり、さらさらと空欄を埋めると、おれはミナに書類を返した。彼女は無表情でそれを受け取り、さっと一瞥すると、何か意外そうな視線をこちらに向けて「では確かに」と言い、鞄にしまった。

「それで、今回わたしをお呼びになったご用は?」

「おふくろは……」おれはのどの奥から声を絞り出した。

「おふくろは、本当に事故に遭ったのか。ちゃんとしたことが知りたい。どこの病院にいるんだ」

 鞄のマグネットをパチンと閉じると、抑揚のない声でミナは言った。

「お答えしかねます。報道の何が真実か、わたしは語れる立場にいません」

 沈黙が続いたのは数秒だったと思う。おれはカエルのように飛び上ると、女の細首を締めあげた。

「そんな言葉で帰すならここには呼んでいない。この人殺しめ。殺人鬼を気取っても腕力では男に勝てないだろうが。言え、本当のことを。おふくろはどうなっているんだ!」

「……」ミナは顔を紅潮させて、なにかを言おうとした。おれはわずかに締め付ける腕を緩めた。

「事故現場と、病院に運ばれる様子は、テレビで見ました」

「それで怪我の程度は」

「命には別条ないとだけ」

「会いに行かなければ」おれは腕の力を再び強めた。「会いに行かなければ、ヒトデナシとおれを世間は罵る。会いに行けばおれのすべてをネタにして笑う。あんたもさぞ楽しいだろう。どうなんだ!」

 思わず知らず、腕には狂気のような力が込められていった。

「ここで何を言っても答えても、すべて外に漏れる。おまえはおれのすべてを外に持ち出して世間に売り、笑いに変え、命を買っている。何が稀代の猟奇殺人鬼だ、政府の犬め」

「わたしは、もらして、いません……」苦しい息の下で彼女は言った。

「命乞いをしろ。窓を開けて叫べ。今すぐこのプロジェクトを中止しないと殺されると。お前たちは公開殺人が見たいのかと叫ぶんだ!」

 ミナはのどを詰まらせながら何度か苦しげに咳をし、かすれ声で言った。

「誰も、止めません。わたしは、……死刑囚です。……無駄ですよ。あなたのしようとしていることは、退屈な大衆にとって、何よりの、ご褒美なんです」

 おれは思わずげらげらと笑い声を立てた。

「そうだな。その通りだ」笑いすぎて目元に浮かんでいた涙が、やがて頬に零れ落ちた。おれは腕を緩めた。ミナは首を押さえながら、おれから身を離した。おれは両手で顔を覆いながら、問うた。

「ひとつだけ、聞きたい。あんたがもしも、おれと同じ立場になったらどうする。ぞろぞろとカメラがついてきてるのに連中はこちらからの発言には一切耳を貸さず、やったことばかりがいちいち尾ひれをつけて全国に報道されたら」

「ついてきているカメラマンのレンズの前で、野次馬を刺し殺すでしょうね」ミナの声は明朗だった。

「迷いがないんだな」

「そう生まれついたんです。こんな風に生まれ付いたのはわたしの責任ではありません」

 おれは両手でまた顔を覆った。「そうか、そうか。見事だよ。いや、見事だ。あんたは最低の人間として完成されてる。ぶれがない。お見事だ。羨ましいよ」

 続いてこぼれてきた涙を彼女から隠す余裕はもうなかった。

 ややあってミナは、静かな声で言った。

「あなたには、殺したいと思うような相手は、今までいなかったのですか」

 おれは俯いたまま言った。

「いる」

 彼女はほんの少し首をかしげたまま、黙っておれを見ていた。

「惚れた女がいた。東日本をボロボロにした元凶、悪の結社T電につとめるおれが世間に責められるのが悔しいと、泣いてくれた女だ。世間がおもちゃにしてる、おれの元婚約者だ。

 おれは会社を辞めた。彼女のために。彼女に恥をかかせないために。そうして自衛隊に入った。そのとき、日本を救う英雄のように言われていたのが自衛隊だったからだ」

 おれはテーブルの上の、からのビール缶を掴んだ。手の中の缶が、べこり、と音を立ててへこんだ。

「日本中の誰もが彼らに感謝していた。彼らこそが苦しむ人々を救う英雄だと。おれは正直羨ましかった。そして思った。彼女が悔しがったのは、おれが世間に責められたからじゃない。自分の選んだ男が、望んだエリート社員ではなく、国賊になり下がったことなんじゃないか。たぶん自分の選択が間違っていたことが悔しかったんじゃないか。そう言ったら、喧嘩になった」

 おれはミナの視線を感じながらも視線を合わさずに続けた。

「それならそれでもよかったんだ。彼女が誇りに思うようなヒーローになりたかった。それで彼女がとめるのも聞かず自衛隊に入った。だが根性無しだが理屈だけは一ぱしなもんで、嫌われてしごかれた。そのころ薬に手を出し始めた。意味不明なメールとか手紙を彼女に送り付けたのはそのころだ、何を書いたかなんて覚えちゃいない。覚えているのはもういいからおれの前から去れと一方的につづったことだ。その通り、彼女はおれの前から姿を消した。おれはバカだから逆恨みした、自分がバカだったのに逆恨みした」べきべきと音を立てて手の中の缶がへこんでいった。

「一瞬でも彼女を、戻らないなら、殺したいと思った」

 おれの手を上から抑え、ミナは血のにじんだおれの掌からそうっと潰れた缶を取り上げた。

「おれはもう、彼女に会えない」

 ミナの顔が近づくのを感じた。額の先に甘い息遣いがかかる。彼女は両手をおれの頭に回し、猫を抱くように抱えていた。囁くように、彼女は言った。

「思った通り、あなたは、……可愛い人」

 痺れるような遠い心もちで、おれはその言葉を聞いていた。

「わたしのことを話しましょうか」

 思うより先に、幼い子どものようにおれは頷いていた。今、本当のことを語り、本当のことを聞いてくれるのは、もはやこの規格外女しかないような心持ちになっていたのだ。ミナはベテランの保母のような慈愛に満ちた声音で語りはじめた。

「迷いがないと言いましたね。

 確かにその通りです、自分のすることに疑問を持ったことはありません。

 そしてうまく自分の本能を隠してきたつもりでした。でも、たぶん両親は薄々わかっていた、わたしの闇を。それで近所の教会の牧師に、わたしの相談相手になってやってくれと頼みこんだのです。わたしが大学三年の時です。

 わたしは両親に言われるままに日曜礼拝に行きました。そして、羽根田という名前の牧師に会った。あなたとそっくりの、目の細い優男でした」

 おれはピクリと体を震わせた。

「彼はわたしに、人に話せない隠し事があったら打ち明けなさいと言ってくれたんです。誰にも話さず受け止めますから、と。それでわたしは打ち明けました。誰でもいいから殺してみたいと思っていること、世の中で残酷と言われる行為のことごとくがわたしの心を歓喜させること、いずれとんでもないことをする予感がすること。

 彼は落ち着いた風を装って狼狽し、何とかわたしの魂を救おうとしました。その真剣さがわたしにはおもしろかった。でもどんな理屈もわたしの衝動を止めることはできませんでした。

 わたしは人を殺すたびに懺悔室で彼に告解しました。主はお許しくださるでしょうか、わたしはまた人を殺しましたと。

 告解の内容が何であれ、聞いたことに関して決して他人に漏らしてはならないというのが懺悔室の鉄則です。彼はなんとかわたしを諭し、罪を犯すのを止めようとしました。もう必死でした。見て居てゾクゾクするほど痛々しかった。わたしは涙を流して許しを請いながら、それでも人を殺め続けた。そして四人目を殺したと報告したその夜、羽根田隆志牧師は近くのビルから飛び降り、自らの命を絶ったのです」

 おれは思わず顔を上げた。おれの首をかき抱くミナは、まるで聖母マリアのような遠い目をして、天井を見上げていた。

「それを聞いたとき初めて、胸がちりちりと痛むのを感じました。憐れみと後悔の感情を知りました。……わたしの知らない感情でした。

 でも、自分を変えることだけはしなかった。そんなことで自分を変えたら、苦しみ続けた彼に悪いでしょう。生きていても死んでいても、彼には変えられないモンスター。どうすることもできなかった。わたしはそういう存在であり続けなければならないのです」

 天井を向いていたミナの視線が、おれの上に下りて来た。

「わたしを許してくださいますか」

「……」

「わたしを許してくださいますか?」

 おれをおれとして聞いているのか? それとも羽根田牧師として聞いているのか?

 間違いなく、おれにとっておれはおれだ。ほかの誰にもなりおおせない。おれは低い声で言った。

「告白したからって、許される罪じゃないだろう。なにもかも」

「……その通りです」

 そうしてミナは、テーブルの上のガラクタ入れから、ジャックナイフを取り出し、右手に握った。胸が急激に波打ち始めた。左手はまだおれの頭をしっかりつかんだままだ。

 彼女はピアノ線のような、細いけれど断固とした声で言った。

「ではわたしを罰してください」


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