生誕祭二日目
生誕祭二日目も空は晴れ渡っていた。
王城では王や貴族達が舞踏会を開いているらしいが、庶民達は昨日と変わらずに祭りを楽しむ。バーンズ一座もまた、朝から公演の準備やリハーサルに追われ、あっという間に時間が過ぎて行く。
ライに拠点を知られてしまっているヴィーは、開き直って街に繰り出していた。広場で公演の準備を手伝い、ネスと街を歩いて宣伝をする。
ネスは横笛が得意なのだ。自作の笛をネスが奏でて、ヴィーが口上を述べながら街を闊歩する。ついでに観光がてらライアの街を隅々まで歩き、公演の時間が迫ると広場に戻って観客を案内しつつ騒ぎが起きないか目を光らせる。
この日は特に問題も起こらず、ライも姿を現さず、これまで通りの公演の時間をヴィーは過ごした。
夕暮れ前に公演を終え、天幕内の掃除と荷物を整理して野営地に戻る。夕飯前の空いた時間にネスの稽古を付けようとしたヴィーの肩を、背後から叩く者がいた。
「ヴィーの背後取った…」
振り返り様にヴィーは距離を取って腰の剣に手を掛ける。ネスはその横で、驚愕の表情で現れた男を見つめていた。
「ライ、普通に現れてくれないか?」
溜息を吐いてヴィーは剣から手を離す。視線の先には、昨日と同じマント姿でフードを被ったライが立っていた。笑顔の彼の手には籠がぶら下がっている。
「驚いた顔が隠れて見られないのが残念です。食事、ご一緒にいかがですか?」
ライが掲げた籠の中身はどうやら食べ物のようだが、ヴィーは首を横に振る。
「不安ならば私が毒見をしましょうか?」
「いらない。」
「きっと美味しいですよ。お菓子はいかがですか?」
「いらない。ネス、行こう。」
追って来るライを無視してヴィーはネスを促した。ネスはチラチラとライを、というより、籠の中の食べ物を気にしてはいたが黙ってヴィーに従った。
少し開けた空間で、ヴィーとネスは剣を打ち合わせる。ヴィーはネスにいつも通りに稽古を付け、ライはそれを黙って見守った。
「貴女は、不思議な方だ。」
稽古を終えたヴィーにライはぽつりと感想を零した。
「貴方は変な男だな。」
「そうですか?」
「あぁ。何がしたいんだ?」
「今日は貴女と食事を取りたいです。」
「その籠の中身は食べないが、ここでの食事なら構わない。」
ヴィーの返事に嬉しそうに微笑んで、ライは手を伸ばす。が、払われた。
「触れるのも駄目ですか?」
「無闇に触れるものではない。国の風習か?」
「いいえ。ただ、触れたいと思っただけです。」
「あんたさぁ、なんなの?」
見兼ねたネスが間に入って、ヴィーからライを引き離した。顰めた顔で睨むネスを一瞥して、ライは微笑む。
「君は食べますか?一人では食べ切れない。」
差し出された籠の中身を覗いたネスの顔が途端に輝き始める。籠の中身はシルヴァン王が好きだという菓子や、豪勢な料理が詰められていた。こんな物、ネスは見た事がない。
「あんた、貴族なのか?」
ネスの値踏みするような視線を受け止めて、ライは静かに微笑んでいる。
身形は整っている。籠を持つ手は剣を握る手をしているが労働階級の人間の手ではない。ライが浮かべる柔和な笑みは、ネスの中での貴族のイメージそのものだった。
「ライ、それが食べたい。毒見をしてくれるのか?」
睨み合うように立っていたライとネスの横から、ヴィーが声を掛けた。黒手袋に覆われた指先は籠の中の肉料理を指している。
「貴女の為ならば、喜んで。」
ライは嬉しそうに顔を輝かせて、ネスは不機嫌に顔を顰める。
突然気が変わったのはどうしてだというネスの問い掛けに、ヴィーは困ったような声で笑って、籠の中身を見つめた。
「珍しい料理に、興味が湧いただけだ。」
三人で食べるには足りないだろうという事になって二人分の食事を取りに行き、近くの木箱の上に腰掛けて食事を始める。
ライが毒見した料理をヴィーは黙って口に運び、ゆっくりと味わう。ネスも興味津々で手を伸ばし、繊細な味の料理に感動する。ライはライで、木の器の料理を美味そうに平らげた。
「どういう表情で食べているのかを、見たいです。」
「……断る。」
「美味しいですか?」
こくりと頷いて、ヴィーは菓子に手を伸ばした。
「どの料理もシルヴァン王の好物らしいです。」
「生誕祭だからな。」
「そうですね。」
静かに会話する二人を観察しているネスは、居心地が悪かった。邪魔してやろうとは思ったが、ライがヴィーを見つめる瞳は優しい。たまにうっとりと眺めていたり、頬を染めたりとするライは、ただの恋する男だ。ヴィーも特に不快そうでもなく、静かにそれを受け止めている。これでは本当にただの邪魔者ではないかと、ネスは内心頭を抱えていた。
「知っていますか?シルヴァン王の好物のこの焼き菓子、イルネスの物ではなくお母上の祖国の物らしいです。」
ヴィーが食べている菓子を指して、ライが口を開いた。黙々と平らげたヴィーは飲み込んでから、美味かったと礼を口にする。
「口に合って良かったです。どれが気に入りましたか?」
「教えてやらん。」
「表情が見えないと好きな物も分かりづらいですね。でも…」
呟いて、ライは籠の中に残った菓子を指差した。
「これは、とてもお好きなようだ。」
にっこりと微笑むライを見上げて、ヴィーは頷く。
「ネス、ミアは食事を取っただろうか?余った料理、皆は食べるかな?」
「食うんじゃねぇか?もらって良いの?」
「どうぞ。余っても捨ててしまうだけです。」
ライからの許可を得て、ネスは木箱から飛び降りた。微かに甘さが滲む空気に居た堪れなくなっていた所だ。渡りに船だと、ネスは籠を持ってミアを探しに行く。
「おい、変な事すんなよ?ヴィー、何かあったら叫べよ?」
一言残して、ネスはその場を駆け出して離れた。
ネスの背中が見えなくなるとライは徐に手を伸ばす。ヴィーのフードを少しだけ後ろにずらして、顔を覗き込んだ。
「ヴィー、貴女は、何者ですか?」
「それを知ってどうする?」
「ただの興味…と言いたい所ですが、知ってしまえば、私は後戻りが出来なくなりそうです。」
「ならやめておけ。」
ずらされたフードを元に戻そうとしたヴィーの手を、ライが掴んで止める。
「もう少し、見ていてはいけませんか?」
「見て、どうする?何をする?」
「ただ見たいというのも本当です。でも、私の中の仮定を確かめたい。」
「それが、私の平穏を壊すとしてもか?」
「そこが難しい所です。今ならまだ、この気持ち、後戻り出来るでしょうか?」
「知らん。」
「……頬に、触れても良いですか?」
囁かれた言葉に、ヴィーは答えを返さない。だが、掴まれている手を払う事もしない。
恐る恐る伸ばされた手がフードの隙間に差し込まれ、ライの指先が、ヴィーの滑らかな頬に触れた。ゆっくり掌で包み込み、そっと力を込められた手が、俯いていた顔を上向かせる。
「やはり、美しい。マジェンタの瞳ですね。」
フードから覗いたヴィーの顔は、美しい女だった。ライをじっと見上げる瞳は赤紫。月灯りを受けて煌めいている。
「私は、貴女に良く似た人物を知っています。」
「……そうか。」
「ですがまだしばらく、ヴィー、貴女との時を過ごしたい。……また、会いに来ても良いでしょうか?」
ヴィーは答えず、目を伏せた。
困ったようにライは笑い、頬に触れていた手を離してヴィーのフードを深く被せる。
「また明日。おやすみなさい、ヴィー。」
そっと離れて立ち上がり、ライは歩み去る。その背を見送り、ヴィーは小さな溜息を一つ、吐き出した。