生誕祭一日目3
戻ったヴィーを待ち構えていたのはネスだった。歩いて来るヴィーを見つけると、腕を組んでじっとヴィーを睨んでいる。今は広場で公演が行われている時間だ。連れ攫われたヴィーの代わりの留守番で置いて行かれたのだなと考え、フードの中で苦く笑う。
「ただいま、ネス。」
「ただいまじゃねぇ!心配した!姉さんだって動揺しまくりで、親父達は何も教えてくんねぇし!何がなんだか、訳わかんねぇ!」
「すまない。……ミアは、ショックを受けていたか?」
「ショックっていうより、俺も姉さんもまだ、信じた訳じゃねぇよ。話してくれんの?」
「そうだな。やはり潮時だったんだ。……おいで、ネス。」
マントの隙間から、ヴィーは両手を出して広げた。意図を察したネスは、激しく視線を彷徨わせて狼狽える。黙ってその姿勢で待つヴィーを見やり、ゆっくり近付いて、ネスはヴィーの身体を抱き締めた。
赤ん坊の時には、ヴィーはもうネスの側にいた。剣も体術も読み書きも、全部ヴィーに教わった。だけれどネスがヴィーを抱き締めるのは、これが初めてだった。
「細い…」
「筋肉は付いていると思うが?」
「柔らかい。」
「そうか。」
「でも、姉さんのが柔らかい。」
「ミアと比べられても困る。」
「なんで、隠してんだよ?」
「逃げていたのだ。……ミアは、私を恨むかな?」
「そんなん、わかんねぇよ…」
「ネスは?怒っているか?」
ヴィーの不安そうな声に、ネスはぎゅっと抱き締める腕に力を込めた。
「そりゃ腹が立ってる。でも…ヴィーは家族だ。どこにも、行かねぇよな?」
答えないヴィーに、ネスは唇を噛み締めた。身体を離して顔を覗き込もうとして、ヴィーの手に止められる。
「火傷は?」
「していない。全て嘘だ。」
「顔、見ちゃ駄目なの?」
「………駄目だ。」
「あの変な男は見たのに。」
唇を尖らせたネスの髪をヴィーの黒手袋の手が優しく掻き回す。その手から逃れて、ネスは近くの木箱に腰を下ろした。
「あいつと、何処行ってたんだよ?」
「街を歩いた。」
「あいつ、また来んの?」
「来るらしい。変な男だった。」
「ヴィーが嫌なら、俺が守ってやる。」
ネスの隣に座ったヴィーが、静かに笑う。
「ネス、私も、この一座の皆を家族だと思っている。愛しているよ。」
「どっか、行っちゃうのかよ?」
別れの言葉のような物を口にしたヴィーに、ネスは不安になる。不安気に瞳を揺らしているネスに手を伸ばして、ヴィーは抱き寄せた。
「王様はどんな人だった?」
「格好良かった。凛々しくて、みんなキラキラした顔で王様見てた。」
「良い王だと思うか?」
「わかんねぇけど、街とかここにいる人見てると、そうなんじゃねぇかって思う。」
「そうか。」
優しい声に耳を傾けて、ネスは柔らかい身体を抱き返す。男の身体じゃない。本当に女なのだと思い知って、ミアがどんな反応をするのか想像する。
隠されていた事実に打ちのめされるだろう姉と、それを見て傷付くだろうヴィー。二人の大切な家族を思って、ネスはそっと溜息を吐き出した。
公演を終えて戻って来た一座の皆をネスとヴィーは迎えた。運ばれて来た荷物の整理や衣装の手入れなどに追われ、ヴィーがミアと顔を合わせたのは夕食の後だった。
「ヴィー、団長と父さん達が呼んでる。」
「あぁ。わかった。」
ミアに連れられて行った場所には、ビアッカとロイド、団長とネスも揃っていた。全員神妙な面持ちで地面に腰を下ろし、近付くヴィーを見上げている。ミアはビアッカの隣に座ったが、やはり、その表情は強張っていた。
「心配を掛けてすまない。」
立ったままで謝るヴィーに、ロイドが片手を振って見せる。
「それより、知り合いだったのか?」
「いや。でも彼の行動次第で、私はもうここにはいられない。」
「何、それ?どういう事?」
ショックを受けて立ち上がったミアの言葉に、ヴィーはフードの中で唇を噛む。息を大きく吸い込んで、細く長く吐き出した。
「ミア、まずは黙っていた事を謝りたい。私を、抱き締めて確認して欲しい。」
昼間ネスにしたように両手を広げ、ヴィーはミアの行動を待つ。決意を固めた顔でミアは駆け寄って、その勢いのままヴィーに抱き付いた。ペタペタと体に手を這わせて、ミアは嗚咽を噛み殺す。
「ごめん。ミア…」
ぎゅっとヴィーが抱き締めると、ミアは声を殺して泣き始める。
初めてだ。今まで、ずっと側にいて、ヴィーは一度だって抱き締めてはくれなかった。その理由がわかると同時の失恋に、ミアの頭の中はぐちゃぐちゃだ。朝の男の言葉で覚悟はしていたが、半信半疑だったのだ。
「ネスから、聞いた…」
嗚咽混じりのミアの言葉に、ヴィーはまた謝罪を口にする。
「火傷、ないんでしょう?」
「ない。」
抱き締めていたミアの体を離して、ヴィーは手袋を取った。現れた手に火傷の跡は見当たらない。剣ダコはあるが、指の細い、女の手だった。
「手袋、この手を隠してたの?」
「そうだ。」
「綺麗な手だね。」
泣くのをやめて、ミアはヴィーの手を握った。
ヴィーが何から逃げているのかはわからない。だけれど、性別を偽らないといけないというのはヴィーの方が辛かったのではないかと、ミアは思う。だから、笑顔を見せた。
「気にしないで、ヴィー。私は大丈夫!兄じゃなくて姉だったってだけだもん!」
「……ありがとう、ミア。」
ぎゅっと抱き締め合って、二人は離れた。ヴィーは再び手袋をはめて、黙って見守っていた家族の顔を一人一人見つめる。
「今日会ったライという男はまた来るみたいだ。しばらくは様子見をしたいのだが、良いだろうか?」
「ヴィーのしたいようにしなさい。ただ、困った事があれば相談するんだよ?」
穏やかに微笑んだ団長に、ヴィーは頷いて見せる。
立ち上がったロイドが近付いて来て、ヴィーの肩を叩く。
「お前は家族だ。遠慮なんてすんな。」
「そうよ、ヴィー。あなたを見つけたの、私なんだから。あの時に厄介事を背負う覚悟は決めてるわ。」
ビアッカも近付いて来て、ヴィーを抱き締めた。
「女は男が守るもんだからな!俺、もっと稽古頑張って、ヴィーの事も守ってやる!」
「ヴィー?また泣いてるの?」
ビアッカの腕の中で、小刻みに体を震わせているヴィーの背中をミアが撫でる。
「ありがとう。皆を、愛している。」
血の繋がらない家族達。
温かい彼らとの別れが来るかの答えが出るのはまだ先だ。
生誕祭は始まったばかり。一日目は、温かな涙で幕を閉じた。