夫婦の寝室で
同盟締結により一区切りが付いたある朝のルドンの城内、王と王妃の寝室で、ヴィーは夫をベッドの上に組み敷いていた。
「朝から積極的ですね?早く子が欲しいのであれば、頑張ります。」
そう言って手を動かそうとするライの体を、ヴィーは全体重を掛けて抑え込む。その顔は不機嫌に歪められ、睨むようにライを見下ろしていた。
「誰か、いるか?」
「おります。」
聞こえたのはアズールの声。姿の見えない梟へと、ヴィーは不機嫌な声で告げる。
「熱があるようだ。医師を呼んでくれないか?それと、イライアス殿に休みの相談をしたい。かなり、熱い。」
「御意」
ライ以外の命令は聞かない梟だが、お願いであれば、叶えられる事はヴィーの言葉でも聞いてくれる。それが主の体の事となれば彼らはすぐに動く。
「仕事をしていれば下がります。」
「そんな訳無いだろう。休め。」
「これまでもいつの間にか治っていましたから、大丈夫ですよ。」
微笑むライの体は、尋常じゃない熱さだ。
朝目が覚めた時、ヴィーを優しく包み込む体温がいつもと違う事に気が付いた。首筋に触れればやはり熱い。目を覚ましたライが平然と仕事に向かおうとした為に、ヴィーはこうして、ベッドにライを縛り付けているのだ。
「もう、一人で頑張らなくて良いんだよ?甘えてくれないのは、悲しいよ…」
「ですが、本当に大丈夫なのです。なんともありません。」
しーっと、ヴィーはライの唇に指を当てて黙らせる。
恐らくこれまでは、熱が出ても具合が悪くても、ライは隠し通して来たのだろう。だからちょっとどころではない熱が出ているというのに、常と表情が変わらない。触れてみなければ、本人が口に出さなければ、誰も気が付かない。
「仕事は大丈夫。少し、眠って?」
起き上がろうとしないように、ヴィーはライの体をおさえるようにして横たわり、熱を持った頭を抱えて額へと口付ける。困ったように笑ったライは、ヴィーに身を預けて目を閉じた。
そうしてやって来た医師にライを診てもらうと、やはり熱は高く、これからもっと上がるはずだと告げられて熱冷ましの薬を飲まされた。医師と共に現れたイライアスに仕事は気にするなと告げられて、ライはやっと諦めたようだ。
薬が効いて眠るライは、苦しそうにして汗を掻いている。ヴィーはそれを布で拭い、冷たい水に浸した別の布をライの額へのせる。悪夢に襲われないように、ずっと側にいた。
「ヴィー…?」
「どうした?喉が渇いたか?」
「……はい。口移しが良いです。」
常ならば、馬鹿な事をと拒否するところだが、ヴィーはライが心配で、甘えるように発された言葉が嬉しかった。だから、素直に頷いてグラスの水を口に含む。そうしてライの望み通りに飲ませると、彼は嬉しそうにとろりと笑った。
「他にして欲しい事は?」
「………側に、いて下さい。」
「いるよ、ずっと。」
ヴィー以外の存在が部屋にいると、熱と薬の影響で朦朧としていてもライは目を覚ましてしまう。それでは休めないだろうと、必要な物は一気に運び込み、何かあれば梟へと声を掛ける事にした。
二人きりの部屋の中、昏々と眠るライの隣で、彼の熱い手を握ってヴィーは本を読む。微かに開けた窓からは風が入り、その風に頼んで情報を運んで貰っている。一つ一つの声を聞き、必要な情報と不要な情報をより分ける。そうして有用な情報をライに伝えるようにしていた。
眠るライが苦しそうにうなされ始め、ヴィーは汗を拭ってやりながら頭を撫でる。どうしたら良いだろうかと考えて、昔シルヴァンと共に聞かされた、母の子守唄を口ずさむ。
胸元を優しく叩きながら子守唄を歌っていると、ライの寝息が穏やかになる。しばらくそのまま続けて、ヴィーはライの寝顔を見守った。
次に起きた時に食べさせようと考えて、ヴィーはベッドを降りて持って来てもらっていた果物を剥く事にした。剥きながらつまみ食いをしていると、ライがぼんやりとした様子で目を覚ました。不謹慎だが、常とは違う彼は、なんだか可愛らしくて堪らないとヴィーは感じてしまう。
「目が覚めた?」
「ヴィー…すみません、ご迷惑を…」
「私は貴方の妻だから、迷惑だなんて思わないよ。果物、食べるか?剥いたばかりだ。」
「口の中が、気持ち悪いです…」
「熱の所為だ。さっぱりする。」
皿に入れた果物を持ってベッドへと上がる。上半身を起こして座ったライの口に、果物を運んでやった。
「…美味しいです。」
「果物以外も食べられるなら、何か作って来ようか?」
「……いえ、側に、いて欲しいです。」
「なら、作って来てもらおうか。」
「あまり、食べたくないです。」
「わかった。これを食べて、薬を飲んだらまた眠ろう。そうしたら、良くなるよ。」
「………こんなの、初めてです。」
差し出す果物をぼんやりとした様子で食べているライに、ヴィーは優しく微笑んだ。
「長年の疲れが出たんだよ。」
「…………夢を見ました。」
「どんな?」
「誰も、救えない夢。皆が、泣いていました…」
「大丈夫。それは夢だ。熱が出ると悪夢を見る。」
碧い瞳が揺れて、悲しそうに伏せられた。それを見たヴィーは、泣きそうになる。だけれどぐっと堪えてから優しく微笑み、薬を飲ませてまた横たわらせる。
「歌が、聞こえました。そしたら、ヴィー、貴女が現れた。」
「……夢に?」
「はい。なんだか、幸せでした…」
「そうか。では、また歌ってあげるよ。おやすみ、ライ。」
目を閉じてと促す為に、ヴィーはライの両方の瞼へと口付けた。それからまた、子守唄を歌う。ライが悪夢に襲われないように、願いを込めて。
そうして寝息を立て始めたライは、今度は穏やかな顔で、眠っていた。
暗い部屋の中、目を覚ましたライは、ベッドの隣へと目を向ける。そこで眠るのは愛しい妻。彼女はずっと、側に居てくれたようだ。汗で体が気持ち悪く、着替えようかと起き上がると、腕を掴まれ止められた。
「どうした?」
起こしてしまったかと苦笑を浮かべ、ライは答えを返す。着替えると言ったライに少し待つように告げて、彼女は何処かに行ってしまった。
体はだるくて重たくて、ライはベッドの上に大人しく座って彼女を待つ。しばらくそうしてぼんやりしていると、戻って来た彼女は体を拭く為の湯を持って来てくれたようだ。
「こういうのも、良い物ですね。」
ヴィーに服を脱がされ、体を優しく拭われながらライは小さく笑う。それを聞いて、ヴィーは微笑んだ。
「貴方はなんでも一人でやってしまうから、こうして世話を焼けるのは、私も嬉しい。だけど、早く元気になって?」
ライの体に刻まれている、無数の古傷。これを初めて目にした時、ヴィーは泣いてしまった。見慣れた今でも胸が痛む。布で体を拭いながら、ヴィーは傷跡の一つへと口付ける。それに気付いたライは、優しく笑った。
「大分、楽になりました。こんなに眠るのも、幼い時以来です。」
「いつだったか私に働き過ぎだと言ったが、ライの方が働き過ぎだよ。」
会話をしながら、拭き終わった体に新しい服を着せて水を飲ませる。まだ食欲は無いという為に、果物を食べさせ、二人は並んで横になる。ライが甘えるように擦り寄って来て、ヴィーは彼の柔らかな髪を撫でながら子守唄を歌う。
お互いにあちらこちらに飛び回って忙しく、こんなにライを独り占め出来るなんて初めてだなと考えながら、風邪を引いた夫を心配しつつも、ヴィーは幸せに包まれて目を閉じた。




