始まりの愛2
イルネス王の一行がルドンの王城に着いたのは日暮れ前。ライに遅くなった事を詫びたシルヴァンは、自国の王が到着したというのに姿を現す気配の無いヴィーはどうしたと首を傾げる。それにライは苦笑して、姉姫達に捕まっている事を説明して詫びた。
「姉上方は離宮にいらっしゃるのかしら?陛下、わたくしも行っても構いませんか?」
「俺も挨拶をしておきたい。構わないか、ライオネル?」
「えぇ、皆自由に、離宮に集まってしまっています。」
庭で剣の稽古をした後は、男達も全員離宮へと向かった。そこで妻達と合流して、お茶を楽しんでいるのだ。
ライオネルの案内で離宮へ入ると、中の様子にシルヴァンは驚き呆れてしまう。そこにいるのは各国の王と妃、王太子と姫達だというのに、皆自由に過ごしている。ゴーセルはにこにこ笑ってナーディアの隣で女達の会話に参加して、コンラッドとバルバロスはお互いの息子達のチェスの試合を観戦しながら手には酒の入ったグラスを持っていた。
「姉上、シルヴィア様!お会いしとうございました!」
レミノアが女達の下へと駆け寄るのを眺め、シルヴァンもそちらへ歩み寄る。ライオネルもそれに続き、三人の姉と再会を喜んでいるレミノアが落ち着くのを待ってから、一人一人紹介した。
「噂には聞いてたけど、本当に綺麗な男ね。ライオネルはもう微妙だけれど、貴方はまだいけそうね?」
「ナーディア、流石にそれは失礼です。」
「アリシア姉様も昔は楽しそうにやってたじゃない。アイディンもお人形さんみたいよね?」
「駄目よ、ナーディア。アイディンはあれでいて男らしさへのこだわりがあるのだから、傷付いてしまうわ。」
ルシエラとアリシアに窘められ、ナーディアは肩を竦めて笑う。なんの事だとシルヴァンがライに視線で問うても、彼は困ったように笑うだけで答えない。代わりに答えたのはヴィーだった。
「ヴァンは私と似ているからな。女装をしたら少し大きな私になるのではないか?」
「女装?!ライオネル、お前はそういう趣味があったのか?」
「子供の頃の姉達の遊びです。貴方はヴィーにそのように遊ばれた事は無いですか?」
「無いな。男らしい危険な遊びばかりだった。」
ヴィーらしいとライは笑い、シルヴァン達に気が付いた他の王二人が近寄って来た為に全員を紹介する。王は王同士で歓談しようとゴーセルとシルヴァンは連れて行かれ、ソファで四人酒を酌み交わすようだ。ライもそちらへ行こうとしたが、王太子達に止められてしまう。
「ライオネルもお酒を飲むのですか?お酒を飲むと父様は相手をしてくれなくなります。」
「アイディンはチェスが強いですよ!ライオネルとの試合を見てみたいです。」
「良いですよ。お相手しましょう。」
優しく笑うライに二人は嬉しそうに笑い返して、その後ろから二人の姫が近付いてライへと飛び付いた。
「エディばかり遊んで貰ってずるいですわ!」
「わたくし達、ご迷惑にならないように我慢していたのよ?」
「シェリル、コーデリア、二人はチェスは好きですか?」
「よくエディとやりますの。」
ふふっと笑って答えたのはアリシアによく似たシェリルと呼ばれた姫。エディと同じ色の瞳のコーデリアは、ライの腰にしがみ付いている。
「では、盤をもう一つ用意して皆で試合をしましょう。」
子供達は嬉しそうに頷いて、ライへと付いて行く。それを眺めていたヴィーは優しく微笑み、ナーディアの少し膨らんだ腹へと目を向ける。
「シルヴィアも子が欲しくなったのか?」
ルミナリエに問われ、ヴィーは頷いた。これまで、自分が子を産むなど考えた事が無かった。ずっと男として生きられないとは思っていたが、子を産むなど、その問題の更に先にある事だったのだ。
「ライは、子に好かれるようですね?」
チェスを始めた子供達とライに視線を向けて呟くと、優しく目を細めたアリシアが頷く。
「エディとは血の繋がりはありません。ですが、昔からここがそういう場所でしたから、あの子は慣れているのです。」
「ここは、優しい温かな場所ですね。」
「わたくし達全員の、心の拠り所でしたの。ライオネルは、それをずっと、守ってくれていましたわ。」
昔を懐かしむようにルシエラが微笑み、ナーディアは自分の腹を撫でながら、ぽつりと零す。
「私達は、守られてばかりだったんだ。だけどあの子が今幸せそうで、安心した。シルヴィア、私達の弟をよろしく頼むよ。」
「…貴女方は、ずっとライの心を守っていた存在なのだと思います。でなければ、彼が今、あんなに優しく笑えてはいないと思いますよ。」
暗殺者に狙われる日々の中、己を傀儡にしようと狙って来る貴族達の中渡り合うのは、心が歪まなければ自分を守れない。だけれどライには、この離宮があった。守るべき存在と、優しく温かな場所があった。だからこそ、彼は突き進む事ができたのだと、ヴィーは思う。
「お会い出来て、お話が出来て安心致しました。ライオネルは、一人ではないのですね。」
アリシアの緑の瞳に光るのは涙。ルシエラも、ナーディアも、目に溜まった涙をそっと拭う。
「まだ泣くのは早いですわ。明日は調印式と戴冠式、結婚式はその次なのですから。」
「あらレミノア、貴女の幸せそうな様子を見られたのも嬉しいのよ?」
「母上から聞きました。花嫁衣装、とても美しかったそうね?ベール、使ってくれたのでしょう?」
「旦那も、レミノアを愛してくれてそうじゃない。」
「はい!シルヴァン様の妻となれて、わたくしは幸せですわ!」
娘達とその夫達が愛し合い、幸せそうに笑っている様子を見守るルミナリエが嬉しそうに微笑み、浮かんだ涙を刺繍のされた手巾に染み込ませる。そして、気配無くその場を離れた。
ルミナリエが向かったのは、夜が訪れ始めた庭の端。石が積まれたそこに腰を下ろし、堪え切れ無くなった涙を顔に押し付けた手巾が吸う。
「妾は、間違ってはいなかったか?息子に全てを押し付け、復讐に取り憑かれ、あの子が全てを成し遂げてくれた今、妾は安穏と、幸せになった子供達と共にいても良いのだろうか…ライオネル…会いたい、貴方に会いたいよ……」
体を折り曲げて、ルミナリエは慟哭する。
「同じ名など、付けるべきではなかった。あの子を呼ぶ度、貴方を思い出す。あの子の笑みは、貴方にそっくりだ…声まで、貴方を思い出さずにいられない。……貴方と、妾の子は、妾を、恨んではいないだろうか?」
会いたい、会いたい、会いたい。
愛しいただ一人の男を想って、ルミナリエは泣く。涙を流す原因の感情が、後悔なのか、子供達の幸せを喜んでの物なのかもわからなくなる程、ぐちゃぐちゃになって彼女は泣いた。
その背に歩み寄ったのは、一つの影。
「母さん、ライは、全てを理解した上で行動したんだ。私達も、拾い育てて貰って感謝している。貴女に拾われなければ、私達は死ぬか、あのまま酷い生活を送っていただろう。」
泣き崩れたルミナリエの背を摩ったのは、ライの影として生きる事を選んだ男。背を摩られながらも、ルミナリエは顔を上げる事も出来ず、涙も止まらない。
「始まりは、皆の復讐だった。姉姫達の事も、あいつは許せなかった。だけどね、母さん。あいつは復讐だけで終わらせ無かった。私達の手だって本当は汚させたく無いと、全て一人で背負おうとした馬鹿だ。それでもあいつは今、後悔はしていないよ。誰の事も、恨んでなんていない。だから母さんは、幸せになった皆を喜んで。まだまだ子供はたくさんいるよ。全員、幸せを手に入れる為に足掻いてるんだ。まだ、見守っていてよ。」
「…ジーク、お前は、幸せか?」
「幸せだよ。家族がたくさんいる。大好きだ、母さん。」
復讐を誓った、大切な者たちの墓の前、夜の優しい闇へと包まれるそこで、オンブルはルミナリエの涙が止まるまで、彼女の背を摩り続けていた。




